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化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷

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「じつは、座敷で奥方様が憮蓼(ぶりょう)をいたしております。こんなに月がきれいな夜は、独り身がわびしく、お話し相手がほしいのです。奥方様はあなたのような鯔背(いなせ)な方に興味をおもちです。

 美しいお方ではございますが、遠慮はいりませぬ。一時(いっとき)でけっこうでございます。お相手をしてやってくださいまし。お帰りには、お礼も差し上げましょう。そちらに脇門がございます。人に見られないうちにどうぞ、さあ、どうぞ」
 手の平で右側の脇道を示した。

「でも、あっしは行儀なんぞまるで知らねえし」
 若い職人は足踏みをするようにとまどった。
 お屋敷のお妾さんが夜の寂しさにたえかね、通りがかりの男と一夜を過ごす話は噂で聞いていたかもしれない。
 本当かよ、どうしようと考えあぐねているようすだった。

「お気兼ねは無用でございます。ほんの少しの間、奥方様をお慰みいただければ、それでよいのです。お殿様は病を得、御屋敷のほうで床に臥せっております。人に見られますとなにかと噂がたちます。さあどうぞ、さあ、さあ」

 若い職人は着物の襟に手を当て、乱れを正した。
 ごほんとひとつ、軽く咳をした。
「承知いたしました」
 へい、と軽く頭を下げ、手で示された脇の入口にむかった。

 トラと三毛は屋敷の塀の上を、脇道沿いに移動した。
 伸びた梢《こずえ》がじゃまだったので、となりの屋敷の塀に飛び移る。
 男が奥の通用門から消えた。

 トラと三毛は宙に半弧を描き、ふたたび佐武藩別邸の塀の上に飛んだ。
 別邸の玄関には、明るく火がともっている。
 数寄屋造りの屋敷は、廊下も明るかった。

 男の姿は、どこにも見あたらない。
《どこへいった》
《こっちだ》
 男の鯔背(いなせ)な体臭が、かすかに残っていた。

 庭にとびおり、築庭から床下にもぐった。
 床下を一直線、奥にむかった。
《いた》
 二匹は同時に足をとめた。

『どうぞ奥のほうに』
 腰元たちの話し声だった。
『奥方様がお待ちかねでございます』
『さっきも言ったけど、あっしは礼儀もなんにも知らねえし』
『かまいません。奥方様はやさしいお方ですから、すぐにねんごろに……さあさあ』
『どうぞ、どうぞ』
 三、四人の腰元たちが声をそろえた。

 男は、腰元たちに背中を押されているようすだった。
 トラと三毛がそろそろと跡をつける。
 忍び足は得意である。

『つきました。こちらでございます』
 ぎぎいっと、扉が重たそうな音をたてた。
『さあ、お入りくださいまし』
 また扉が軋(きし)んだ。
 そして、ぴたっと静かになった。

 目の前の分厚い土の壁。床下から天井まで長四角く区切られ、密封されているようだった。
《しまった》
《あの男やられる》

 なにかがはっきりした訳ではなかった。
《おれは一か八か部屋の奥に突撃してみる。おまえは脇門にまわり『いまここにきた若者をお役目でつけていた。やつは盗賊である。引き渡してくれ』と役人になりすまして告げるんだ》

 トラは駆けだした。
 自分が出ていっても、どうなるかはわからない。
 衝動的だった。濡縁《ぬれえん》の下から跳躍し、中空で一回転する。
 そして、ひらりと廊下に着地する。

 音をたてず、畳の上を疾走した。
 侍がいた。腰元も女中もいた。
 その横をすりぬけ、奥の部屋に突進した。

 閉じられた襖の唐紙《からかみ》を頭突きでとおり抜けた。
 おどろいた女中が、運んでいた茶を足もとにこぼした。
 広い廊下が奥にむかっている。
 刀を手にした二人の侍と数匹の猫がいた。

 奥の部屋の扉は、分厚い板でがっちり閉じられていた。
 ぼさぼさの毛のトラ猫の出現に、廊下にいた家猫たちが、いっせいに白い歯を剥いた。

「何者だ」
 侍が刀を抜いた。追ってきた侍たちも刀を手にしていた。
「襖を頭で突き破るとは、不届き千万」
 右から左から白刃《はくじん》が閃いた。

 トラは、ひらりひらりとかわした。
 どれも、瞬時に娘の喉を掻き切った者の刀の捌(さば)きではなかった。

 一方、屋敷の表に、役人が現れた。
「ごめん、ごめんでござる」
 脇の通用門をたたいた。
「拙者(せっしゃ)、大目付方の役人、大山十兵衛と申す」

 三毛は、甲高い女性の声になるのを抑えた。
 通用門が細く開いた。
 黒髪をうしろに束ねた門番だった。

「大目付方のお役人ですと?」
 さようでござる、と撫《な》で肩の大山十兵衛は胸を張った。
「ちかごろごゆるりと界隈を探索なさっているようでございますが、ご苦労様でございます。しかしこの夜分、ご家来も連れずたったお一人で何用でございましょう?」

 細い目に猜疑(さいぎ)の色がよぎる。
 門番に油断の気配はなかった。
「さきほどの職人風情の男、じつは盗賊であり、お役目から跡をつけていたところでござる。お引き渡し願いたい」

 大目付の大山十兵衛は、耳が猫のように尖っていたし、きりっとした猫目でもあった。
 門番は形相を変えた。ばんと扉を開け、やあ、と外に踏みこんできた。
 刀の切っ先が、役人の耳すれすれをかすめた。
飛びのいた
 大山十兵衛は背を丸め、五メートルほども飛びのいた。
 大山十兵衛を牽制した門番は、通用門をびたっと閉めた。
 そのとき、音もなく赤茶の縞の塊が塀を飛びこえてきた。

 大山十兵衛はもとの三毛猫にもどり、一息ついたところだった。
 宙で一回転したトラ猫が、となりに着地した。
《あの若者は、やっぱり殺される》

《『役人の大山十兵衛だ』と名乗ったとたん、門番が斬りつけてきた。びっくりしたよ》
《この屋敷の人殺しは、ただの人殺しじゃない》
 にゃあと低くうめき、互いにうなずき合った。

 トラと三毛は、ひとまず隣の屋敷の塀の上に退散した。
 佐武藩別邸の屋敷奥深くから流れてきていたのは、人骨の臭いだった。
 それも一体や二体どころではなかった。

 別邸の廊下と玄関の明かりがふっと消えた。
 時を置かず、槍を手にした数人の見廻りが姿をあらわした。

 その夜はやけに警備が物々しかった。
《主のお妾は、どんな女性なんだかね》
《一目、姿を見たいものだな》
 二匹は前足の爪で、かりかりと塀の瓦を掻いた。

4 
 翌朝、脇門から十名ほどの侍がでてきた。
 顔つきや態度から、れっきとした佐武藩の藩士たちだとわかる。
 雇われの、臨時の中間や小者たちなどではない。

 藩士一堂が、脇門のまえに勢揃いする。
 次いで、扉の表面に鉄の鋲螺が並んでついた正面の分厚い門扉が開いた。
 装飾のある女駕籠だった。
 駕籠の屋根には、扇に円月をあしらった佐武藩の家紋がついている。

 お妾に違いなかった。
 あとに三つ、腰元用の小さな駕籠がつづき、十名ほどの女中が歩いて付き添う。
 そして槍持と徒の侍が前後につく。
 四台の女駕籠とその一行は、表通りにむかった。

 トラと三毛は、隣の屋敷の塀の上で見守った。
 一行が通り過ぎようとしたとき、微風が流れた。
 二匹はそろって、うっと顔をしかめた。
 同時に女駕籠の暖簾式の窓がかすかに開き、隙間から二つの眼がのぞいた。

《あ……》
《あ……》