小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷

INDEX|2ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

 脇門から入るところを、たまたま知人が目撃していたのだ。口入屋というのは今でいう、ハローワークである。

 ところが、それきり姿を見せなくなった。
 住み込んでいるのかと、その知人が屋敷に聞きにいったら、戸棚を修理し、すぐに帰ったと言われた。

「大目付(おおめつけ)様に報告しておこうぞ」
 巡回の定廻(じょうまわ)り同心が、何代もつづく世襲の無表情の顔でうなずく。
 いつものように黒い羽織を着、髪を櫛でなでつけている。

 位のある侍たちの犯罪や事件は、大目付役人の管轄である。
 町廻り同心は町奉行の配下であり、手がだせない。

 トラと三毛はそろって聞いていた。
 一瞬、体のどこかに寒気の走るのを感じた。
 嫌な予感だった。猫に縁があるのも妙だった。

 トラと三毛は背中を突っ張り、手足を伸ばし、大きな欠伸をした。
 番小屋の障子戸はいつも開けっぱなしだ。

 凄惨な事件のあとである。
 地蔵堂のまえの道はまだひっそりしていた。
 心なしか、境内の空気も重苦しい。

 二匹は神田駿河台下の通りを、番町にむかった。
 どこにでもいる赤茶のトラと三毛猫の二匹づれだ。
 通行人は無関心である。

《だけどすごいよね。ぱっと一撃なんだから》
 三毛が足をとめ、自分の茶毛の喉を手首でなでた。
 娘の殺され方についてである。
 鋭い刃物で切ったのではない。鈍器で掻き切ったような傷跡だった。

《殺し馴れていやがる》
 三毛が赤茶に白毛の混じった背を、さわっとそよがせた。
《おっかねえよなあ》
 トラが、恐ろしさをふり払うように薄茶と濃茶の縞模様の喉をなでた。

 二匹が感じたあの夜の戦慄。若い娘のあわれな最期。
 娘の身許も不明である。

 水道橋に出、俎板橋(まないたばし)をわたると田安門だ。
 お城の堀沿いに行って市ヶ谷門をすぎると、番町だ。
 そこには武家屋敷がならんでいる。

 佐武藩の本邸は神田三河町にある。
 番町の別邸はお妾さんの住まいだ。正式の藩邸ではない。
 番町の通りは、四ツ谷、市ヶ谷、赤坂へ通じている。

《ここだ》
 トラと三毛には、すぐにわかった。
 ならんだ屋敷の白壁の内側に、猫の気配があったからだ。
 塀の外のトラと三毛の妖気《ようき》を察知し、むこうが騒ぎだしたのだ。

《何匹もいるよ》
 二匹は足をとめ、屋敷の白塀を見あげた。
 塀の内側で体をよせ合い、わめきだす猫たち。
 ただの家猫だった。

 荷を背負った薬屋。子連れのおかみさん。
 坊主。虚無僧(こむそう)。職人髷(まげ)のお兄さん。
 着流しの伊達(だて)男。そして侍。
 混みあってはいなかったが、通りに人影は絶えなかった。

《あの浪人風情。ただ者じゃないぜ》
 横目になったトラが、口の端で三毛に声をかけた。
《むこうからくる伊達男もそうだよ》
 二匹の顔は、互いにそっぽを向いている。

 どうやら、侍を取り締まる大目付の配下の密偵のようだった。
《殺された女中と、関係してるのかな》
《どういうことになっているのか、すでに探りが入っているみたいだね》
 とにかくトラと三毛は、屋敷のお妾さんがどんな人なのか、確かめようとした。

 別邸のお妾屋敷の敷地は、三百坪ほどもあった。
 江戸は武家人たちの都市であり、町人たちの暮らしは考えられていない。
 日本橋界隈の裏店(うらだな)に暮らす町人たちの住まいは、四畳半で充分なのだ。

 梢が左右の塀の内側から伸び、屋敷の脇道はしんとしていた。
 道に散った落ち葉がしっとり湿っている。
 脇道を奥に進む。さらに裏側にまわると風下になった。

《なにこれ?》
《うう、臭せえ》
 トラと三毛は口と鼻を前足でおおった。からじゅうの毛が逆立った。

 人間にはわからないが、二匹には識別できた。
《殺された女中は、なにかを見たと言ったな》
《奥方様は恐ろしい人だって》
《それで屋敷から逃げだし、途中で地蔵堂に寄ったところを追手に見つかった》

 トラと三毛は、尻尾の先まで神経を張りつめた。
《よおし》
 トラと三毛は四肢《しし》に力をこめ、塀の上に跳んだ。

 臭いが強烈になった。
 塀の縁から、あやうく片足を踏み外すところだった。
 二匹は体を沈めた。

 屋敷の庭は山の静けさだった。
 外の通りとは別世界だ。
 丈の低い庭木や笹を配し築庭(ちくてい)。鬱蒼とした木立。

 敷地の中央に檜造りの屋敷があった。
 脇門の横に小屋があり、門番夫婦らしき男と女がいた。
 門番は束髪(そくはつ)の黒髪を背中に垂らし、目が細い。

 いつしか塀の下に猫が集まっていた。
 二匹を見あげ、声をあげている。みんな無邪気な家猫ばかりだ。
 歯を見せ、気ぜわしく鳴いている。
 一団となっているようだが、それぞれが勝手気ままに騒いでいる。

 屋敷の横手の部屋の戸が開き、中から刀を手にした二人の侍が走りでてきた。
 侍たちが、なにごとかと塀の上をうかがう。
「外猫ども。何用であるか」
「こら、あっちにいけい」
 一人が、しっと手で追い払う。

 トラと三毛は塀の外の脇道におりた。
 引きあげていく二人の侍の足音。
 トラと三毛は、またもとの塀の上に戻った。
 ふたたび騒ぎだそうとする家猫たち。

《だまりな》
《うるさい》
 気を入れ、かあっと睨みおろす。
 飼い猫たちは、にゃあと口を開け、地面に尻をおとした。
 トラと三毛は両手足を広げ、塀から庭の笹々藪に飛んだ。
 藪をぬけ、母屋の床下にもぐりこむ。
 床下を進むと、土壁が出現した。

 ぐるっとまわってみる。
 四方形で二十帖ほどの大きさだった。
 臭いはその中から漏れている。

 床下を通り抜け、屋敷の表側から築庭の植木の茂みにもぐりこんだ。
 肩をならべ、植木の陰で表側のようすをうかがった。
 廊下が奥に伸びていた。

 でてきた腰元が正面の畳の部屋をつっきり、奥の襖(ふすま)を開けた。
 また廊下だった。
 部屋がさらにつづいていた。
 奥の廊下にも猫がたむろしていた。やはりただの猫だった。

 庭木にあがり、枝を伝い、屋敷の屋根に移った。
 風取り用の窓からなかに忍びこんだ。
 天井裏を歩み、さっきの四方形の土壁の場所まできた。
 そこも長四角に仕切られていた。やはり口にもしたくない、嫌な臭いが漏れていた。

 トラと三毛は、いったん外の塀の上にもどった。
 とにかくそこで、主のお妾さんが出てくるのを待とうと思った。

 お妾さんは、夕方になっても姿を見せなかった。

3 
「もし。そこな若い衆、少々ご用がございます」
 表通りに面した塀の上から、腰元が上半身をのぞかせている。
 片方の手で袖をおさえ、もう一方の手でおいでおいでをしている。
 月が明るかった。

 通りかかったお兄さんは足をとめ、塀の上の腰元を見あげた。
 紺絣《こんがすり》の仕事着。締めた洗い晒しの帯。気っ風のよさそうな職人だ。
 腰元は、暮れてからずっと通りを見張っていた。
 声をかけたのはその男一人だけだった。

 職人は眉毛も太く、きりっとし、体に力を漲らせていた。男前でもある。