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サナトリウムの記憶

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年5月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。死というものについて、
「大日本帝国時代」というものとの比較ということで書いている部分が、終盤にありますが、不愉快に思われる方が、そこでおやめすることをお勧めします。そして、あくまでも考え方として、内容は、「フィクション」です。

                警察というもの

「自然治癒力」
 あるいは、
「自己治癒力」
 という言葉を聞いたことがあるだろうか。
 それは、人間が、元々持っている能力である。その能力は、もちろん、人間だけに限ったものではなく、ほとんどの動物が持っているものだろう。
 たとえば、
「トカゲが、尻尾を切られても、次第に生えてくる」
 などというのもそうであるし、人間においてであれば、
「軽いケガをして、血が出てくるような場合においても、いずれ、血が止まり、そこからかさぶたができて、そのかさぶたが次第に消えていくことで、完治するというような能力を有している」
 ということである。
 人間は、それを、当たり前のこととして考えている。実際に、意識することなく、身体が作用して、勝手に治癒するのだから、確かにそうだろう。
 だから、昔であれば、指を切ったりなどした場合に、
「唾でもつけておけば、そのうちに治る」
 などと言われていたりもした。
 しかし、時代は進んでいき、
「衛生上の問題」
 から、
「キチンと消毒して、それから薬を塗らないと、破傷風になる」
 というのが主流になった。
 昔から、変わりはないはずなのだが、それだけ昔の人は、根性論が多かったということであろう。
 さらに、今の医学の発達から考えると、昔は、本当に、
「不治の病」
 というのが多かった。
 といってもいいだろう。
 特に、ウイルス系の、
「不治の病」」
 というのも、大変だった。
 何しろ、
「人に伝染するものだ」
 ということだからである。
 昔であれば、
「コレラ」
 であったり、
「スペイン風邪」
 などというものも、結構ひどかったりする。
 しかし、これらの伝染病は、いわゆる、
「海外から入ってきたもの」
 ということであり、特に、コレラの流行などは、江戸時代の、国内が、鎖国中に起こったことである。
 鎖国というのは、元々、伝染病防止のために行われた政策ではない。しいていれば、
「キリスト教布教を禁止するため」
 といってもいい。
 当時のキリシタンというのは、本当の目的は、
「キリスト教の布教」
 というような、生易しいものではない。
 本当の目的は、当時、世界情勢として、世界に進出するということでの、
「大航海時代」
 から、ヨーロッパから、アフリカ、アジア、そして新大陸として発見されたアメリカ大陸に、各国が進出していた。
 そして、アジアの諸国は、ヨーロッパの国から、侵略を受け、植民地化してしまっているのであった。
 そのやり方として、
「宣教師を送り込み、キリスト教を布教させ、それによって、国が混乱してきたところに軍隊を投入し、混乱を制することで、苦も無く植民地化してしまう」
 というやり方をとっていた。
 これであれば、
「治安維持」
 という言葉の下、大義名分があることで、植民地化も正当化されるという非常に卑怯なやり方であった。
 日本も、キリスト教布教により、政府のやり方に反抗する農民などによっての、一揆の陽動があったりし、さらには、日本古来からある宗教団体との確執にもなり、世の中の乱れを断つということで、秀吉による、
「キリスト教禁止令」
 であったり、徳川幕府による、
「鎖国政策」
 が行われた。
 しかし、貿易ができないのはマイナスなので、長崎だけでできるように、しかも、限られた国、
「主にオランダにのみ、貿易を許す」
 ということになったのだ。
 それが、鎖国であり、これにより、もう一つの利点があった。それが、
「大名の力を削ぐ」
 という当時の一大目的にも有効に作用していたのであった。
 そんな鎖国中においても、コレラというものが流行ったことがあった。
「どこから入ってきたというんだ?」
 ということであったが、それは、何と鎖国中であっても、貿易のために開いていた港である、
「長崎の出島」
 だったのだ。
 出島で流行したものが、
「気がつけば、日本全国で流行っていた」
 という感じだった。
 これは、日本国内で行き来が激しかったということもいえるだろう。
 それはそうだろう。国内の国と言ってもいい藩ごとが閉ざされていたわけではなく、その藩何を通って、年貢であったり、江戸に物資が運ばれていたわけなので、それだけ、陸路にしても、海路にしても、発達していたわけである。
 それを考えると、日本という国は、それだけ、
「狭い国なんだ」
 ともいえるだろう、
 しかし、それは、島国ということで考えるからで、ヨーロッパのように、小さな国は、隣国と境を持って接しているというわけでない。それこそ、日本の藩というものが、ヨーロッパの国という単位だったといってもいい。
 しかも、ヨーロッパは多民族というのが当たり前になっているが、日本には、日本人しかいないというわけで、アジアでも、そんな国は珍しいのではないだろうか。
 そういう意味でも、
「鎖国」
 という発想は、自然発生的に出てきたとしても、当たり前のことであり、そこにデメリットがあるとすれば、それは、
「貿易による利益だった」
 といってもいいだろう。
 ヨーロッパの中でもイギリスというのは、一番といってもいいくらいに植民地を有しているだろう。
 特に、インドを持っていることで、中国への貿易において、
「損をしないように」
 という発想から、
「史上最悪」
 ともいわれるやり方で引き起こされた
「アヘン戦争」
 で、
「中国侵略に対していかなることをしたか?」
 ということを考えると、実に恐ろしいといってもいい。
「中国の生糸などと、貿易するに際して、高額なものが対価となることをまずい」
 と感じたイギリスは、こともあろうに、
「禁じ手」
 といってもいい、麻薬である。
「アヘン」
 を中国に売りつけることで、自分たちの利益を得ようとした。
 アヘンは、常習性があり、摂取し続けると、廃人になったり、命を失うと言われるほどの劇薬である。
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次