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娘と蝶の都市伝説8

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雑草の間から蕨のごとく顔をだしているのは、天麻(てんま)である。
蜜柑(みかん)のような葉をひろげ、赤い粒々の実をつけているのは、三七人参(さんしちにんじん)。
膝の高さほどの雑草を掻き分けると、冬虫夏草(とうちゅうかそう)が地面の土を押し上げ、芽をだしていた。

漢方薬の薬屋としては、よくそんな山や草原の夢を見たものである。
秦は山路を歩いているうち、チベット側に息づく梅里雪山の薬草の桃源郷(とうげんきょう)を目の当たりにしていたのだ。

もしかしたら祖先は、この地にいたのではないのか。
薬草の桃源郷は当時、梅里雪山を中心に、現在のチベットから中国側の領域にまで、ぐるうっと広がっていたのではないのか。

やがて秦は原生林を抜けだした。
眼下には碧色(あいいろ)の透明な氷河湖が広がっていた。
澄んだ湖面に、梅里雪山の山々が逆さに聳(そび)えていた。
周囲は野菜の畑である。
畑の真ん中には石と丸太を組み合わせた古い家が、草の生えた屋根の煙突から煙をなびかせていた。
萬雷一家が代々暮らしてきた家だ。

氷河湖の外側を囲う山々と緑の森。
平野や森は多くの薬草で満たされ、あらゆる生き物が、静かに、そして活発にうごめいていた。
もちろん微生物をはじめとして、目に見えない地中の生き物たちもだ。
秦は最後の下りの路を、はずむ足取りで歩んだ。

長い道のりだった。
ニューヨークのサウスブロンクスで箱詰めにされ、中国船でニューヨークからパナマに抜け、ハワイへ密航した。
ハワイから香港、中国の雲南省、そしてチベット自治区から聖域へ。
サウスブロンクスの萬雷老医師は、嘘をつかなかった。
撃たれた傷の治療をほどこしたとき、すでに萬雷医師は、秦を聖域に送り込む気でいたのだ。



彼女は萬雷老医師がいったとおり、小屋に住んでいるのか。
「おーい、ユキコ」
声が、青い氷河湖の上を滑っていく。
すると小屋から一人の娘がでてきた。
足をとめ、斜面を見上げた。

秦の姿を認めると、畑のなかの路を走りだした。
「お父さん」
秦も小走りに路を下った。
荷物は背中のザック一つだ。
二人は坂道を降りたところで出会った。

「お父さん、三万年たってやっと会えた。あなたはわたしの大事な家族です」
やはりユキコは、梅里雪山の氷の洞窟で眠っていたのだ。
三万年後に目覚め、娘を捜しにきた父親の子孫と再会したのである。

「からだの傷は大丈夫ですか?」
「このとおり、モグリの萬雷老先生のおかげだよ」
大きくなった雪子が、父親の手を取っているのだ。
いや、その手の感触は、岩山を這い登る弾力性のある、しっかりした妻の明日子のものでもあった。
古文書から生まれた奇跡だった。

家は屋根の梁が深く、かなり大きかった。
床は板張りで、外科のための部屋と漢方の薬を貯蔵する部屋、そして生活用の部屋とに別れていた。
居間の中央には囲炉裏(いろり)があり、土瓶が湯気をたてていた。

ユキコがきたときは山番がいて、畑もの中も整理されていたという。
ニューヨークの萬雷から手紙で知らせてきていたのだ。
山番がやってくるのは週に一度だ。

ユキコは、彼女に不審を抱く者がでないうち、ニューヨークから失踪(しっそう)したかった。
なにしろユキコの出現で、パーティーに参加した全員が熱に浮かされ、乱痴気(らんちき)騒ぎを演じたのだ。
ウイルスは近親者から始まり、同じDNAを持つ一族郎党、知人、友人へと感染する。

南のジャングルからきた微生物のBATARAの超粘菌たちが、ユキコのDNA遺伝子に働きかけ、クリスパーウイルスを放出させる。
そのウイルスは子孫存続のための性欲を伴いながら、変異を生じた特定の遺伝子配列を狙って攻撃する。

特定の遺伝子を持った一族が、その国の国民になって国家を利用し、知力と暴力と持て余すほどの資金力で他を買収し、すべてを支配する。
共存共栄は鼻糞(はなくそ)である。
ヨーロッパにも同じ種族がおり、同じ運命をたどる。

このときの特定の遺伝子の配列は、理不尽に地球を支配しようとする人種たちだけが保有する。
そして、その遺伝子がクリスパーウイルスによって切り取られ、その個所にあらたな塩基配列が並ぶ。
塩基の配列整うと、細胞たちは徐々に衰え、活動を停止させる。死んでいくのだ。

ターゲットは紀元前、ある地域から発祥した異端の民族である。
BATARAの長老は、インドネシアのジャングルを出発するとき、訳が分からないままその記号を微生物集団のリーダーから受け取った。

ユキコが去ったテイクアベニューの建物では、昼夜を問わず、男女の咆哮がはちきれた。
大勢の仲間たちがリビドー天国の噂を聞きつけ、さらに集まった。
そして、燃えさかる森林の火事のように炎をたぎらせ、狂気をくりをひろげた。
感染者が自家用ジェット機で帰宅し、地球の裏側まで、拡散はあっというまだ。

テイクアベニューで目的を達成した夜だった。
⦅アメリカからすぐ逃げてください。すぐにです⦆
ユキコはアドバイスを受けた。

するとその夜、眠っているユキコの口から紋白蝶が飛びだした。
単細胞の微生物になってユキコのからだに飛び込み、しばしの滋養(じよう)で生気をとりもどしたBATARAの超粘菌である。

目的を達成し、再び多細胞の蝶の姿に戻り、熱帯のジャングルに帰るのだ。
今度は急ぎの旅ではない。
あちこち気ままに飛び、住みやすそうなジャングルを見つけ、またそこで微生物の仲間として、単細胞と多細胞、動物と植物を兼ねた超粘菌の姿で生きていく。

ユキコは萬雷老医師の故郷をめざし、まずは香港に飛んだ。
香港から路線バスを何度も乗り継ぎ、陸路を上海に向かった。
萬雷老医師の願いどおり、そこで医学の書籍を読み漁った。
同時に外科医を雇い、直接、簡単な手術の手ほどきを受けた。
父親の秦の怪我が治るまでの短い修行だったが、持ち前の記憶力で初歩の手術をマスターした。
薬については秦に任せるつもりだった。

ユキコと秦は囲炉裏で沸かしたお茶を飲んだ。
三十センチ四方の、支え棒で止められた引き出窓から山々が見えた。
「お父さん。わたしは微生物の仲間である超粘菌と一緒に仕事をしました」
窓の明かりに映え、日焼けした秦の頬が光った。
秦は、微生物や粘菌は知っているが超粘菌という菌は知らない。

ユキコが語りはじめた。
「いまから三万年前、ネアンデルタール人が滅ぼされました。わたしのからだに入った微生物の仲間の超粘菌がわたしのDNAをコントロールし、ウイルスを発症させ、彼らを滅ぼしたのです。素晴らしい文化を持ち、大繁栄しつつあったネアンデルタール人に、存在を遠慮してもらったのです。心配だったのはネアンデルタール人だった自分の父親でした。でも、母親であるホモ・サピエンスと体液を交えた者には免疫が与えられていたのです。現在発見されているネアンデルタール人の骨は、免疫のあった者か感染のなかった者のものなのです」

ユキコは遠い世界からよみがえった人間だ。
どんな話がでてきても不思議ではなかった。
作品名:娘と蝶の都市伝説8 作家名:いつか京