娘と蝶の都市伝説8
8-3 チベット側の桃源郷
1
二〇☆☆年、中国の雲南省(うんなんしょう)、暮れの昆明(こんめい)。
父と娘と思われる二人が、病院の救急病棟で亡くなった。
もっとも病院に運ばれたとき、二人とも命は尽きかけていた。
父娘は代々の御守り役として、漢方の桃源郷(とうげんきょう)で暮らす住民だった。
そこは、不可侵(ふかしん)の薬草地として地域の住民に認められてきた聖域であり、周囲に住むチベット族や漢民族、その他の多くの少数民族は、聖域について他人に語ることはなかった。
桃源郷の一家は、山に奉納された聖なる男女の集まりでできていた。
父親も母親も子供たちも、それぞれが地域から捧げられた貢(みつぎ)ぎ物である。
捧(ささげ)げられた子供は地域の賢い幼児が選ばれ、成長し、血の繋がりよりも濃い擬似家族を作った。しかし、家族が子供をつくることは禁止されていた。
一家はあくまでも、地域を守る知性の集まりであった。
一家の主は医術をこなし、薬草を処方し、その術は時代を越え、代々受け継がれた。
『聖域を守れ』の言い伝えは、同時に『地域の人々を守れ』ともなった。
一家はその言葉の意味を理解し、多くの人々のために尽くした。
しかし二千年代、新しい捧げ者はなかなか現れなかった。
そんなとき、父との暮らしに飽き足らなくなった娘が聖域の家を飛びだした。
ケイタイとインターネットの時代、若い娘にとって桃源郷は退屈な日々にしかすぎなかった。
世間知らずの娘は、ちょっとばかり容姿がすぐれていたので、たちまち町の男にもてあそばれた。
父親は娘を捜し、町から町へと足跡(そくせき)を追った。そ
してついに夜の町で娘を発見した。
娘は男相手の商売をさせられ、半分囚(とら)われの身だった。
父親は娘を連れて逃げた。
だが逃亡は失敗し、裏社会の男たちに捕まった。
半殺しの目にあい、昆明の郊外まで車で運ばれ、道端に捨てられた。
二人が発見されたとき、父親は『梅里雪山聖域守護人・萬雷(ばんらい)』と書かれた小さな袋を着物の胸の内側に潜ませていた。
連絡を受けた梅里雪山の麓のチベット族の族長は、はるばる昆明を訪れ、死体を引き取った。
そして、守る者のいなくなった聖域内の丘に二人の骨を埋めた。
チベット族の族長は、漢族やその他の主だった地元の長たちを集めた。
主のいなくなった聖域の今後について、相談したのである。
その結果、すでに年老いてはいたが、かつて聖域を捨て、ニューヨークに逃れた萬雷の孫に帰還を依願した。
2
息を飲むと、右脇腹に猛烈な激痛が走った。
腹には分厚い包帯が巻かれていた。
丸顔に白髭を生やした男が腕を組み、秦周一(はたしゅういち)を見下ろしていた。
ネットカフェにいた英語の話せない中国人のおやじさんだった。
秦を助けたのは、秦のからだや皮膚から漢方の薬の匂いを感じ取ったからである。
匂いを嗅ぎ分けられたのは、白髪のおやじさんの父親が、漢方を扱うサウスブロンクスのモグリの医者だったからだ。
おやじさんの父親の医術は、その父親である祖父から受け継いだ。
祖父は梅里雪山(ばいりせつざん)の聖域の一家から家出をし、密航者としてニューヨークに住みついた男だ。そのとき聖域の一家には長男がおり、次男の祖父に聖域を守る絶対的な義務はなかった。
ブロンクスに住みついた次男は、中華料理店の主の病気を治した縁で店の娘と結婚した。そして、サウスブロンクスの中国人やヒスパニック、アフリカ系の黒人たちの病気や怪我を無料で治療した。
当時アメリカには、鉄道や道路建設の労働者として、香港からイギリス商人に連れてこられた半奴隷の中国人、苦力(クーリー)が無数にいた。
彼ら中国人は全米の都市や町などで、悲惨な生活を送っていた。
萬雷は彼らを治療しているうち、どうしても聖域の薬が必要になった。
逃げてきた故郷に手紙を書くと、代々の教訓どおり、地域の貧しい住民のために使うという条件で許可が出た。
その後も、定期的に薬が送られるようになった。
サウスブロンクスでは、祖父の仕事を息子が受け継いだ。
だが孫にあたるその息子は、中華料理のコックのほうを選んだ。
秦を助けたネットカフェにいた白髪の男である。
そのコックの恩人は、店の裏側の部屋に家族とともに住んでいた。
ただの中華料理屋のコックであったが、その男の名は、祖先から受け継いだ由緒ある名、萬雷であった。
「あなたからは複雑な薬の匂いがした。それに名前に秦(しん)と周(しゅう)の字があった」
秦と周は、中国の歴史上の国家の名である。
パスポートを見たのだ。秦が持っていたショルダーバックは、ベッドの脇に置かれていた。
コックの萬雷は次のように語った。
だれもが避けるサウスブロンクスの奥に男が走っていく。
後を追ったら、拳銃を持ったCIAとおぼしき若い男が現れ、秦を射った。
次の瞬間、左右の廃墟のアパートの窓から発射された弾丸が、今度はCIAを路面に倒した。
町のその一画では、国家や警察はすべて敵だった。
廃墟の町に住む追剥たちが路地からクマネズミのごとく現れ、死体を脇路にひきこんだ。
秦も同じようにひきずりこまれた。
だが萬雷が駆けつけ、そいつは友人だ、と顔見知りの男たちに告げた。
店にはスペイン語の客も多く、片言のスペイン語が話せた。
秦にはまだ息があったので、ついでに家まで運んでもらった。
萬雷の部屋で気づいた秦は、日本人の自分がなぜ撃たれたのか分からないと語った。
ユキコや国家機密漏洩(ろうえい)の件については、軽々しく口にできなかった。
サウスブロンクスのその町の周囲や出入り口は、CIAのエージェントに四六時中見張られていた。
町から出たとき、近づいてきた人間にいきなりずどんとやられる。
訳あり人間の脱出は難しかった。
事件はただの物盗りで処理されるし、第三者は無関心である。
「この町のこのエリアには、不法滞在者や単純な犯罪者や凶悪犯もいるし、国家に追われているテロリストや政治犯など、あらゆる罪人が揃っている。罪人のほとんどは、警察官やCIAやFBIによって射殺される。だけど、この家にいる限りは安全だから安心してくれ」
萬雷はそう説明した。CIAに襲われた詳しい理由は聞こうとしなかった。
萬雷が中華料理店の厨房に立つため、部屋を出ていった。
入れ替わり、オランウータンの子供のように、丸い頭にわずかに毛の生えた、穏やかそうな目をした父親の萬雷老医師が現れた。
この父親が秦の腹の傷の手当てをしてくれたのである。
萬雷老医師は秦の腹の包帯を交換しながら、いきなり聖域の話をしはじめた。
そして、提案してきたのである。
「いま、その聖域では、主(ぬし)がいなくなり、困っている。ニューヨークとやらの生活を捨て、わしが行きたいが、もう八七歳で先がない。恥ずかしいが息子はぐうたらで博打が好きで、薬も医術も理解できない。孫たちもスマホゲームに夢中で人助けにはまったく無関心だ。そこでだが、八七歳のわしに比べたらあなたはまだ若く、将来性もある。聖域の山で薬草の管理をしながら地域の住民を治療し、残りの人生を有意義に過ごす生き方もある。どうだろう、