娘と蝶の都市伝説6
擂鉢状(すりばつじょう)のスタンドから大歓声が襲いかかる。
カメラマン席に並ぶ二十本近い望遠カメラ。
三台のテレビカメラが、いつのまにか五、六台に増えている。
湧きおこる拍手。ユキー、ユキーの声援。
やっと熱のこもった本気の応援が始まった。
ユキは、自分に向けられた熱気を全身で味わいながら、ベンチに向かった。
やったね、いいぞ、と内野手たちが全速力で飛んできた。
ユキもそのたびに、イエス、サンキュウを口にした。
みんな初対面だ。でも、もう気心が知れた感じだった。
ベンチに戻ったユキを、監督と選手全員が囲った。
「ナイス、ユキ」
声をそろえた。そしてイエーと選手全員が拳を上げた。
「イエー、エイ、エイ」
日本語とも英語ともつかぬ掛け声で、ユキも飛び跳ねるように全員とハイタッチを交わした。
ユキが放ったその九球は、生き生きとし、躍動(やくどう)していた。
どのボールもキャッチャーの手前で伸び、ふわっと浮き上がった。
にぎやかに全員とタッチを終えたとき、ユキのからだが、ぽっ、ぽっ、と熱くなった。
その熱さが、じわじわと頭のてっぺんまで這い上がった。
なにかが頭のてっぺんに集まり、球場の歓声に合わせて、声をあげているような気がした。
冷凍ボックスから目覚めたとき以降、熱くなったり冷めたりを繰り返している。
だが気分は悪くない。
そして、どこかの街角に立っているというような異変も起こらなかった。
4
一回の裏、ヤンキースは三点をとった。
拍手と大歓声の中を、ユキはピッチャーズマウンドに向かった。
レッドソックスの四番バッターは、ベネズエラ出身の赤鬼である。
髪も顎鬚(あごひげ)も、おまけに顔色まで皮膚が透けて赤い。
ホームランはすでに四二本。
ストレートにはめっぽう強い。
キャッチャーのサインをのぞくと、ストレートでストライクだ。
ユキは高く左足をあげた。ミットの位置は、ど真ん中からボールが半分ほどずれている。
このバッターの穴だった。
しかし、他のピチャーはそこには投げられない。
ちょっと間違えば、ホームランになるからだ。
ユキは、柔らかなフォームでリリースした。
右手を離れた白球は、気持ちよくミットをめがけた。
赤鬼は、きたっとばかりにフルスイングした。
が、空振り。え? という顔でピッチャーズマウンドのユキを見返す。
キャッチャーから返球を受けたユキは、すぐに投球のかまえに入った。
第二球めを放る。同じボールだ。三球めも同じだ。
赤鬼は、いともあっさり三振。
ヤンキースファンの皮肉に満ちた大歓声。
バッターは、呆然とバッターボックッスに立っていた。
「わたし、すこしは有名になれるかな」
ユキは意味もなく無意識のうちにつぶやく。
頭の中の呼びかけに、ニューヨークで有名になれ、と言われていたような気がしたからだ。
五番バッターも直球で勝負。やはりストライクゾーンのコントロールで三振を取る。
六番バッターは、バットを一握り短く握って登場した。
はじめてバットにボールを当て、キャッチャーのポップフライになった。
一階正面の報道専用のエリアのアナウンス席で、アナウンサーがマイクに向かい、必死に喋っている。
『すごい、すごい、なんてすごいんだ。こんな見事なピッチングは見たことがありません。二回も三者三振です。いや、三人めはキャッチャーフライです。しかも全部直球。なんということでしょう。最速、165キロを投げているのです。しかもユキは女性なんです。170センチそこそこの小柄でスマートなジャパニーズの女性です。突然の登場で、いまデータが届いたばかりですが、これによると……あ、突然の入団なので、まだなにも書かれておりません……』
どこかで聞いたようなアナウンスであった。