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娘と蝶の都市伝説6

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秦はもう一度聞きなおした。

「梅里雪山では、気がついたら洞窟のあそこに座っていたんです。そして、わたしはだれだろう、どこからきたんだろう? と考えていた。そんなときお父さんがきて、ユキコって呼んだので、わたしはユキコだなって思ったんです」

ユキコの体の中にある変異遺伝子群が、その答えを用意してくれているはずだ。
それはまさしく、この地球上の生物たちのDNAの仕組みを考えだし、現代に生命をつないできた偉大なるだれかの仕業である。
でも、なんのためにそんなことをするのか。

とにかく、依頼した二日後のDNAの鑑定結果に、その答えがでるのだ。
科学的な興味どころではない、未知の恐怖が入り混じる複雑な心境だ。
「いつまでもボックスに座っていないで、でてきて服を着替えなさい」
秦はふいに父親の立場にもどった。

 

空白だった電光掲示板の最後のピッチャーの欄に『YUKI』という文字が光った。
ユキといわれても、一般のファンには馴染みがない。
一部のファンから、おー、やー、と叫び声があがった。

すでに白い縦縞(たてじま)のユニフォームのヤンキースの選手たちが、各ポジションに散っていた。
だが、ピッチャーズマウンドにはだれもいない。
ソフトな男性の場内アナウンスが、スタジアムに流れた。

『野球を愛するみなさん。ヤンキースファンのみなさん。そしてレッドソックスのファンのみなさん。お知らせいたします。本日、ヤンキース球団は、日本で活躍していた球界唯一の女性投手、ユキ選手を獲得いたしました。そして一時間前にサインを済ませ、契約を完了いたしました。ユキ選手がヤンキースの仲間になったのです。MISS YUKI FROM JAPAN。ミス、ユウーキイイー、フローム、ジャパアーーンンン』

最後のンンンが球場に響き渡る。
電子ピアのじゃじゃ~んという効果音。同時に、ヤンキース側のベンチの奥から、ポニーテールを揺らし、小柄な選手が飛びだした。
フロムジャパンという紹介とポニーテールの黒髪の小柄な女性の登場で、観客たちはやっと気がついた。

最近のテレビのニュースや特別番組で見た話題の選手だった。
野球界でただ一人のプロの本格的女性投手である。
ヤンキーススタジアムに、歓声が沸き起こった。
拍手、そして口笛。総立ちである。

ユキは大観衆に向かって手を振りながら、ゆっくりマウンドに近づいた。
ユキはマウンドで片手を上げ、足を小刻みに踏み変えながら一回転し、観客に応えた。
ピッチングコーチと監督もマウンドにやってきた。
痩せ形の監督は、口に含んだガムをせわしく噛んでいる。

監督やコーチは、朝のミーティングで初めてユキの件をオーナーから聞かされた。
太鼓腹(たいこばら)のピッチングコーチも、同じようにガムを噛む。
内野手たちもやってきて、ユキを囲った。キ
ャッチャー以外は、みんなユキと初顔合わせだ。

珍しそうにじろじろ眺めている。噂に聞いてはいたが、小さくて華奢(きゃしゃ)じゃないか、という目つきである。
日本のTG同様、前宣伝なしの突然の登場だ。
「ユキ、たのむぜ」
ピッチングコーチが背中を丸め、小柄なユキをのぞいた。
指の背に毛の生えた大きな手の中の公式ボールを、すとんとユキのグラブに落とす。

キャッチャーが走ってホームベースに戻った。
ウオームアップの投球とはいえ、観客たちはユキの第一球を見守っている。
背後に立ち、ユキを囲う内野手や監督、コーチも同じだ。
全員が酸素呼吸をしている生物であることを忘れ、息を殺す。

肩の力を抜き、ユキはマウンドのプレートを踏んだ。
キャッチャーがしゃがみ込みながら額のマスクを下し、さあこい、とかまえた。
ユキはミットをめがけ、白球を放った。
直球、一二〇キロ。キャッチャーのミットにぴたりと納まる。

スタンドの客がかすかにどよめいた。
あれ? 速球投手だろ、という面持ちがユキにも想像できた。続けて三球。
同じボールだ。キャッチャーが補給のたびに、うんうんとうなずく。
「よおーし」
監督とコーチが声をそろえ、両手の平をぱしんと合わせた。

ウオームアップを見守っていた野手たちも半信半疑の面持ちで声をあげ、各ポジションに散った。
完客がおーっ、と声を上げ、拍手を送った。
ユキがマウンドで一人になると、観客の声援がぴたりと止んだ。
すかさず、アンパイアが右手を上げた。

「プレイボール」
同時にユキは左足をあげ、ふりかぶった。
白球が一直線、白く光った。
わあっと、球場全体に轟くどよめき。
デジタル掲示板に163キロとでる。電光石火(でんこうせっか)の直球だ。

バッターは、バットが振れなかった。
「わあー」
やっとはっきりしたおどろきの歓声。
二球目。165キロ。バッターは空振り。
ユキは、すぐに次の投球モーションに入る。

三球めは、キャッチャーがアウトサイドの低めにかまえる。
サインどおり、アウトサイドに一六〇キロの直球。
一番バッターは腰を泳がせ、バットを振った。
「アウトー」
アンパイアが絶叫し、右手をえいっと真横に突きだす。

歓声が湧く。だが、半分はしんとし、日本からきた小柄な女性投手をただ眺めていた。
二番バッターを迎えた。白人の細身の選手である。
データでは、大きな当たりはないが、右に左に確実にヒットを放つ。
現在、三割三分の成績を維持中。

バットを立てて短めに持ち、さあこいと低くかまえる。
キャッチャーのサインは、アウトサイドの直球。
ミットはストライクゾーンぎりぎりの位置だ。
一球、二球、そして三球目も同じ直球。あっさり、見送りの三振。

ぱっ、ぱっ、ぱっ、とすばやい連投である。
あまりものあっけなさと鮮やかさに、球場全体から、おー、ほー、と溜息が漏れる。

ユキは、正面席のどこかにいるはずの父親の秦の姿を探した。
秦は山で日焼けし、見分けがつかない。
黒人やメキシカンと変らない皮膚の色だ。

ふいにユキは、秦が見せてくれた新聞を思い出した。
そこに描かれたイラストに、はっとなった。
なんだろうと必死に考えようとした。しかし、頭脳は反応しなかった。

「なにか思い出したのか?」
見せてもらった新聞を手に、フリーズ状態になっているユキを秦がのぞき込んだ。
しかし、どうして心が動揺したのか、ユキには分からなかった。

キャッチャーが小走りにやってきた。
ホームベースの背後で、アンパイアが両手を大きく広げていた。
タイムが告げられたのだ。
「どうした?」

「なんでもありません。スタンドにきているはずの知り合いが、どこにいるのかと」
ユキはスタンドを見上げた。
「ま、いいや。息継ぎだ。今度の三番バッターは、ストライクゾーンの四隅を狙う。
インコースの高めだけはボール、あとは四隅のぎりぎりストライクでな」
キャッチャーはマスクを着けた格好で、ホームベースにもどった。

小さな女性投手が大男に向かい、ゆったりしたフォームで、糸を引くボールを投げる。
ずどんと165キロのストライク。
バッターはあまりもの速さに、ただ見とれていた。
アンパイアは上着の裾(すそ)をひらめかせ、両足をそろえて跳びあがった。
空中でバッターアウトのアクションを演じる。
作品名:娘と蝶の都市伝説6 作家名:いつか京