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娘と蝶の都市伝説6

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6―2 ヤンキースで再デビュー



ヤンキースのオーナーのハルは、日本のTG球団同様、ユキについては極秘でいく作戦をとった 
入国当日に身体の機能チエックを済ませ、翌日には専属トレーナーとヤンキースの正捕手とで秘密のトレーニングも終えた。
デビュー戦は、対レッドソックス三連戦の三戦めである。
 
金曜日、対レッドソックス三戦めのヤンキーススタジアムは、ほぼ満員だった。
平日のデーゲームであるが、長年のライバルで、隣の都市をホームとするボストンレッドソックス戦は特別である。

試合開始三十分前、秦周一(はたしゅういち)はヤンキース側の高額チケットのフィールド席にいた。
梅里雪山(ばいりせつざん)の麓(ふもと)をうろついたお陰で、顔は浅黒く日焼けしている。
きれいに剃った無精髭も少し伸びた。その方がなんとなくしっくりする。

スタンド全体が、秦の心を察するかのようにざわついている。
秦は、衝撃的な事実に遭遇した。
凍った人間の生還を目撃してしまったのだ。
同時に『遺伝子が人間にとって都合のよいほうに変異を起こしたらどうなるか』という国立博物館の湯川博士や、アメリカ人のジェフ・エリックの問いかけが頭に浮かんだ。

三万年前から蘇(よみがえ)る肉体──もし本当だとしたら神業(かみわざ)である。
生命の根源をつかさどり、環境に応じてさまざまに変化するDNA(ゲノム)という魔法の物質をだれが考え、創りだしたのかと問いかけたとき、それはサムシング・グレート(SOMETHING・GREAT)だと答えた科学者がいた。

どのように推測しても、その神業を駆使できる者は『偉大なるだれか』という答えしか見つからないのである。
漢方薬の世界にも、人類誕生の歴史ほどに神秘の世界が広がっているが、DNA(ゲノム)の世界はそれ以上に、超のつく神秘性を幾重にも交差させている。
『ユキ、おまえを説明できるのは、サムシング・グレートしかいないのか』

研究者たちは、ゲノムを解読すれば生命の正体がつかめると勇んだ。
しかし、謎はいっそう深まった。
不可思議なDNA遺伝子たちの、新たな働きが明らかになっただけだった。

例えば、特定の遺伝子を意図的に欠損させた実験用のマウス。
その遺伝子がなければある病気をひきおこすはずであるが、目的の病気にならない個体がいるのだ。
欠損した遺伝子を周囲の複数の遺伝子が共同で補い、働きを正常化させるのである。
どの遺伝子がどのように作用し、欠損遺伝子をカバーしているのかは謎だ。

またチンパンジーと人間のゲノムの塩基(えんき)の総数は双方とも約三十億。
違っているのは一パーセントだけ。
しかも両者の違いを引き起こすのは『HAR1』と呼ばれている一群の遺伝子領域の作用によるものであった。

通常の遺伝子は、皮膚の破損が起こればそっくり同じ新しい皮膚を造る。
だが、HAR1はそんな単純な作業はしない。
自分以外の複雑で多様な遺伝子群の働きを、それぞれが、いつどこでどのように活性するかを指示するのである。

進化の過程で、人とチンパンジーが分かれたのは600万年前。
この600万年をかけ、人間だけがHAR1の指令により、一群の遺伝子領域に変異を起こし続けてきたのである。
変異は大きな脳を造る作業を行い、知能の発達を促し、報処理能力や記憶力に長けた人間を創りあげた。

しかしなぜか人のゲノムは、たった一・五パーセントしか活動していないのである。
残りの九十八・五パーセントのゲノムたちは、いったいなにをしているのか。
だが最近、役立たずと呼ばれてきたジャンクゲノムたちにも、HAR1のようになんらかの役割があるらしいと推測されるようになった。

ある日あるとき、一連のジャンクゲノムがコピーされ、ジャンプしてある部分にペーストされる。
結果、突然の大変異を起こし、とてつもない進化をもたらす可能性もあるのだ。



ユキは、冷凍ボックスの中でゆっくりからだを起こした。
血の気の失せた白い頬に、ほのかな赤みがさしていた。
手をついて横座りの足を引き、両膝をかかえた。
そのとき、呆然とした面持ちで立ちすくむ秦に気づいた。
「お父さん」

額にかかる前髪を掻かきあげ、なにごともなかったように声をかけた。
「ごめんなさい、急で。わたし、ニューヨークヤンキースでプレイしたくなったんです。さっそくレッドソックッスの試合に投げるかもしれないとダンさんが言うので、飛行機に乗っているとき、データをもらって相手のバッターの癖、全部おぼえました」
青味がかった瞳は、子供のようにきれいだった。

「え? わたしこんなところで、なにをしているのかしら?」
ユキは頭を下げ、自分の胸元に視線を落とした。
ユニフォームはじっとり濡れていた。
「そうだ。わたしは、二人の押し入り強盗に襲われ、ここに隠れて、こうやってボックスをスライドさせ、ぴったりと閉めたんだわ」

『ニューヨークヤンキース、おめでとう』と秦は、はじめて会ったときに声をかけるつもりだった。
しかし、言葉がでなかった。
さっきまで凍っていたユキが、一生懸命自分に話しかけているのだ。

「やはり、あなたは、洞窟の氷の中で眠っていたのか?」
秦は胸の鼓動を押さえ、ようやく話しかけた。
「分かりません」
ユキは秦を見返し、またたいた。
「あなたは、もしかしたら三万年前の世界からきたのだろうか?」
秦は質問をくりかえした。

ユキは秦を見返したままだった。
そして、なんだろうというように、首を傾げた。
「ユキが着ていた毛皮の年代測定で、三万年前という結果がでたんだ。遠い過去の生活とか、なにかしら思い出さないのか。父親についてはどうだ?」
「三万年なんて、そんな……お父さんはあなたじゃないですか?」

見開かれたユキの目から、涙があふれそうになった。
「そうだ、私はあなたの父親だ。でもユキ、ユキは凍りついて冷凍ボックスの中で眠っていた。そしてたった今、目覚めたんだ。どういうことなのか、理解できるか?」
ユキは、自分の胸や腹や膝に目を向けた。

「そう。芯まで冷えて、とっても気持ちがよかった。ずっと平和に眠っていたい気分だった。でも、からだの芯に溜まっていた熱いものが五体に流れだし、頭やお腹や手足を温め、だれかに、⦅起きなさい、起きなさいって⦆語りかけられ、目が覚めた。ほらもう指先だってこんなに温かい」

ユキは、ベットの上で眠りから醒めたかのように、ボックスに座ったまま右手を秦のほうに差しだした。
アメリカンアカガエルみたいなことを言ってるじゃないか、もしかしたら凍っていたのではなく、ただ、白い霜(しも)をかぶって眠っていただけなのか、と秦は思い込みたくなった。

「起きろって語りかけられたって? だれに?」
「前にも聞いたことのある声だった。もしかしたら神様」
神様がそんなふうに存在するとしても、なぜ三万年前のユキを氷漬けにして今の世界に甦らせるのか。

斜め横から射す、柔らかな黄色い太陽の光が、ユキの黒髪からかすかな霧状の蒸気を立ち昇らせた。
「ユキは間違いなく凍っていた。普通人間は全身が凍って、また目覚めたりなんかしない。梅里雪山の洞窟で凍っていた記憶はないのか?」
作品名:娘と蝶の都市伝説6 作家名:いつか京