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娘と蝶の都市伝説6

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その後、彼女が外出した形跡はないのだが、いつ外に出たのか。
そのとき一階下のダン・池田は外出中だったし、ホテル内に知り合いはいないはずである。考えられるたった一つの可能性は、ホテルのロビーで知り合った宿泊中の男のベッドの中、というプライベートな展開だ。

すべてではないが、なんでも自由になるAREホテルに滞在する金持ちの男たちの最大の楽しみは、いい女とのベッドインである。
上流階級で行われる私的なパーティーでは、酒とドラッグとセックスが常識という噂である。

二人とも、ベテランのシークレットサービスだ。
R階で起きた事件が気に食わない。
ダン・池田があらたな応援を四人ほど頼んでくれたが、観光客にとって、ニューヨークは見どころが満載だ。

昼下がりのミッドタウン・イーストに、かったるい日差しが降り注ぐ。
イースト・リバーからのかすかに湿った微風が、群がり建つ大小新旧のビルの谷間に流れる。
マンハッタンは、先住民族のインディアンから騙し取った島である。

イースト・リバーからの気流は、そんな歴史的事実などどこにもなかったかのように、穏やかにハドソンリバーからロングアイランドへ抜けていく。



イースト・リバーのリンカーントンネルを、一台の車が渡っていた。
ニューアーク国際空港から来たタクシーだ。
ニューアーク空港は、ケネディ空港よりもニューヨークに近い。
ニューヨークは、数えて五度目だった。
初めてきたのは妻の明日子とで、新婚旅行のつもりだった。

さあニューヨークだ、ヤンキースだ、ストライブのユニフォームを着たユキが見られるぞ、と胸がときめいていてもよかった。
だが、秦は英字新聞の遺跡発掘の記事と、挿入(そうにゅう)されたイラストをぼんやり頭に浮かべていた。
古代人の娘が飛ぶ鳥をめがけ、石を投げていたのだ。
三万年前のユキ──そんな幻想が頭から離れない。

『いったい、なにが起ころうとしているんだ……梅里雪山で凍死した三人は、なにかを見たのではないのか。それで殺されたのか』
梅里雪山で三人のキャンプ地に立ち、秦はあたりを見回した。
岩肌が広がり、正面には谷がえぐれ、風下にあたる山はなだらかな斜面だ。

『ありえない。どう見てもあそこには岩と空しかなかった。もっとも麓であれば、明永村以外の入り組んだ山裾には深く緑が茂り、小さな村々が点在している。しかし、人知れず存在している村とは言えない。雪豹という特種な動物などを飼育し、毛皮を着た生活をしていればすぐに評判になる』
そして、人気のないキャンプ地の残雪の岩場は、いかにも雪豹にぴったりの環境のような気がした。

タクシーはビル街をまっすぐに突き進む。
「ホテルにいく前に、ポストオフィスに連れていってください」
思いついて、タクシーの運転手に告げた。

秦は、香港の空港で買ったエアメールの封筒を手提げバックからだした。
封筒はハンカチに包まれている。
指紋を残さないように飛行機の中で宛先を書き、自分のアドレスに依頼者ナンバー、偽装の名前と住所を付け加えた。

封筒内には所定の金額が入っている。
もちろん現金を封筒に入れるのは違法だ。
だからエアメールの便箋(びんせ)を使い、手紙のようにきちっとくるんだ。
指紋も体液も残さないようにペットボトルの水をハンカチに湿らせ、封筒の糊代(のりしろ)を濡らした。

陰毛の鑑定結果は、事実をはっきり伝えてくれるだろう。
検査料を払えば、分析の結果は三日後にメールで届く。
いまは計測機器などが進歩し、鑑定はあっと言う間だ。

タクシーは一直線に進み、ウォール街に入った。
びっしりビルが並んでいる。
荘重な石造りのエンタシスな円柱を正面に並べたビル、
巨大なアメリカ国旗を壁面に掲げたビル。
総大理石で表を固めたビル。

そのビルの中には、世界から金を吸い上げるための最先端の超高速コンピュータ設備を整えたオフィスが、二四時間、不眠不休で稼働している。
需要と供給の経済学は遠い過去の概念だ。
金が金を産み、その金がまた金を産む。
そこはもう、人生を豊かに暮らそうと日々労働でがんばる人々の生活とは無縁の世界だ。

『おまえたち、そうやって世界中から金をかき集め、なにに使うんだよ』
そこには、そう叫びたくなるほどの狂気が蜷局(とぐろ)を巻いている。
世界経済とやらに疎い秦にできる批評は、それくらいだった。
「ここにポストオフィスがあります」
タクシーが歩道側に寄り、軽くブレーキを踏んだ。



アッパー・イーストサイドの55ストリートのAREホテルは、質素に堂々と聳えていた。
ホテルの予約手続きは、香港からメールで済ませた。
ユキが部屋で待っているはずだ。

ソフト帽に薄手のコート、スーツ、ネクタイ姿は久しぶりだった。
いつしか、丸い背中がぴんと伸び、人が変わった気分の自分がおかしかった。
キイをもらうと、白人のルーム係が、ご案内します、と先に歩きだした。
荷物を積んだカートがボーイに押されてついてくる。

ルーム係りに先導されてエレベーターに乗ろうとしたとき、秦は二人のボーイにチップを渡した。
いの一番、ユキの部屋にいきたかった。
ホテルのスタッフは邪魔だった。
秦はメールで教わったとおり、Rのボタンを押した。

R階のエレベーター前は広いホールだった。
正面に部屋のドアが見える。
迷いようがなかった。R階には一室しかないのだ。
ドアホーンを押したが返事はない。
眠っているなと、秦は手帳の暗証番号を確かめ、四桁の番号を押した。

待っているとはっきりメールをもらった。
待っているうち、眠ってしまったのだろうか。
眠るときユキは子供のように両拳を握ってからだを丸め、夢をむさぼる。

蝶や島の夢を見たと訴えたが、その後、夢についてのメールはもらっていない。
カートを引き入れ、ドアを閉める。
六畳ほどの玄関を抜けると、広い居間だった。
ソファやチアセットが置かれている。
レースのカーテンの向こうはニューヨークの空だ。

「ユキ、ユキ……」
秦は、ソフト帽とコートを脱ぎながら呼んだ。
右奥にドアが一つ、左の壁の中央にはドアが二つ並んでいた。
帽子やコートをソファの上に置き、左の奥のドアを開けた。
寝室だった。ナイトテーブルに一組のソファ、その奥にセミダブルのベッドが二つ。

ベッドで眠っているものとばかり思っていた秦は、主の姿のないベッドに異様な空気を感じた。
寝室からでてロビーを横切り、反対側の部屋に入ってみた。
そこはトレーニングルームだった。
並んだトレーニングマシンが無機物の静けさで、ニューヨークヤンキースの女性投手を待っていた。

ふたたびロビーを横切り、寝室のとなりの部屋に入った。
デスクが据えられ、大小のパソコンやプリンター、大型テレビなどが置かれている。
さらに奥にもうひとつ、部屋があった。
そっとドアを開けてみると、そこも寝室だった。
やはりユキの姿は見当たらない。

奥の部屋をからでて、入り口の脇の廊下をのぞいてみた。
頭上のライトが光っている。
十メートルほどいった奥に、四角いテーブルが置かれている。
椅子が六つきちんと並んでいる。
キッチンだった。壁ぎわに調理台と流し。
作品名:娘と蝶の都市伝説6 作家名:いつか京