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娘と蝶の都市伝説5

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野球ファンであれば、ヤンキースがアメリカのニューヨーク州にあることぐらいは、子供だって知っている。
そのとたん、ユキの頭の中で、さっきの言葉が電光のごとく閃いた。
『ニューヨーク……ニューヨーク……』

同時に、先ほどのカメラを持った女性がダッシュしてきた。
連続フラッシュが迸(ほとばし)った。
どこかの週刊誌か雑誌の女性カメラマンだった。
ユキの頭蓋(ずがい)の内側で一瞬の煌(きらめ)きと熱い固まりが炸裂(さくれつ)し、光の粒が飛び散った。



二日後、ユキは朝の便でダンと一緒にニューヨークに飛んだ。
用意されていたマンハッタン・ミッドタウン・イーストの高級ホテルAREに着いた。
同時に、ニューヨークヤンキースのオーナーであるハル・スタインブレナーもやってきた。ユキを獲得したという報告を球団経由でダンから受け、アリゾナから自家用ジェットで駆けつけたのだ。

ユキにもヤンキース側にも、間にたったダン・池田にとってもあわただしい日程だった。
マンハッタンのホテルの部屋は、最上階の特別室だった。ベットルームが三つと五〇畳のリビング、トレーニング室、食堂、娯楽室、事務室、それにキッチンルームには、リクエストした大きな冷凍冷蔵庫が置かれていた。
これは、ユキが自分で鳥肉を焼いて食べたかったからだ。

ヤンキースのオーナーはハンサムでまだ若く、四〇歳そこそこに見えた。
現実のユキを眺め、その華奢(きゃしゃ)な姿におどろいたようだった。
両手で固くユキの手を握りしめ、挨拶代りに初登板についての意見を述べた。

「ジャパニーズのかわいい娘さんが、一六二キロの直球、そして数々の変化球を抜群のコントロールで投げ、データを完全に覚える記憶力、とにかくすごい。ここのところうちは、いつもあと三勝もあれば地区優勝というところで、毎年苦汁(くじゅう)を飲まされている。ユキ、あなたが切り札になるんだ。たのむよ」
早口でしゃべり、握手の手に力が籠った。
「とにかく、決心をしてくれてありがとう」

急ぎの旅でユキも疲れていた。
部屋で夕食をすませ、ベッドの上に大の字になった。
ダンは同じホテルの一階下に、部屋をとっていた。
「医療検査も問題がなかったようなので、就労ビザはすぐ下ります。特別ですよ」
ダン・池田が丸眼鏡の奥で、目を細めた。

何度もケイタイをチェックした。メールは届いていない。
中国と通信ができるように、秦と一緒に専門家にケイタイをセットしてもらった。だが、雲南省の通信事情はかなり悪そうだった。

後楽園ホテルの四〇階のラウンジで記憶が途切れたのは、二、三分だった。
目覚めたとき、フラシュを浴び、ユキは椅子から転げ落ちた。
鼻からはずれた偽装(ぎそう)眼鏡が腹這った床を前方に滑り、遠くに飛んだ。
両手を突いて顔をあげると、ダンと女性カメラマン、それにラウンジの係りのウエイトレスが立っていた。

今度こそはニューヨークだと、ユキは覚悟をした。
だが、自分はまだそこにいて、床に転げ落ちただけなのだと知った。
ユキは女性カメラマンとウエイトレスに、いきなさいと手で合図した。
ほかの客たちも、ちょっとした騒ぎから目を逸らし、それぞれの自分の時間に戻っていった。

丸顔に丸眼鏡の中年の男だけが残った。
「わたし、ヤンキースで野球やります」
それを耳にしたダンは喉仏(のどぼとけ)を動かし、唾を呑みこんだ。
倒れたときに頭を打ったのかと、いうような目つきでユキを見守った。
「ほんとうですか?」
「すぐに行きます。父はいま中国の雲南州にいますので、メールを入れておきます。父も間違いなく賛成です。向こうの用がすんだら、ニューヨークにきてくれるでしょう」

「あなたについては、全アメリカのチームが注目し、獲得しようと狙っています。私もあなたのビデオを見せられたとき、卒倒しそうになりました。そういう決心がおありならば、すぐにTGの畑中さんや他の人たちにも連絡しなければなりません。慌ただしくてすみません。ちょっと失礼」

ダンは、上着の内ポケットからケイタイを取りだした。
そしてレストランの出入り口のほうに、急ぎ足で向かった。
ダンはすでに、TGの畑中にすべてを聞きだしていた。
もちろん多額の裏金を払っていた。
畑中にしてみれば、早々にアメリカのメジャーリーグ、MLBに引き抜かれることは分かっていた。

ダン・池田は、日本のプロ野球球団の監督の息子だった。
母親は白人でアメリカ国籍であるが、完全な父親似である。
成人し、日本人選手のアメリカのプロ球団であるMLB行きのエージェントとして活躍していた。
当然、畑中とも以前から接触があった。
だから話は、スムースに進んだのだ。事務手続きはすべてダンに任せた。

ニューヨークに着いた翌日、ダンがヤンキースの試合を観にいったらどうかと提案した。
ヤンキースで投げるようになれば、気ままには歩けなくなるので一人でいくとユキは答えた。
ユキの意見に、ダンはOKをだした。
そんなときを考慮し、別室にユキの知らない二人のシークレットサービスを控えさせていた。
球団の費用で雇ったガードマンだ。

ミッドタウン・イーストのAREホテルからヤンキーススタジアムまでは、専用車で二十分くらいだ。
しかし、地下鉄があると聞いたユキは、そっちを選んだ。
ダンにもらったヤンキースのユニフォームを着、ユキは地下鉄に乗った。

「二人だ」
コーヒー色の革のジャンパーと灰色の背広姿の男は、ホテルをでたときからついてきた。
ユキはセンター左側の一階の席を取った。
もちろん、ホームチーム側だ。

昼間の平日、試合開始二〇分前。
すでに七割近くの観客がスタンドを埋めていた。
その日の試合相手は、ボストン・レッドソックスだ。
ヤンキースファンで埋まったセンター右側の二階席の一角に、ぽっと花が咲いたように赤いユニフォームが固まっていた。
レッドソックスのファンだった。

ユキはケイタイとりだし、ダンに言われたとおり、103―A31と自分の席の番号をメールした。『帰りには、街をぶらついてからホテルに戻ります』と文字を追加した。



試合が始まると、ユキの背後の二階席が騒がしくなった。
ヤンキースのユニフォームを着た連中で埋まった203エリアの観客が、声をそろえ、全員で選手の名前をコールする。
振り返ったユキの目が、連中の手前のボックスに座った革のジャンパーの男を捕らえた。その一列後ろにもう一人、背広の男だ。

ホテルからついてきた二人である。
ユキはポケットからケイタイをとりだし『誰かに尾行されているかも』とダンに送信した。ダンから折り返し返事がくる。
『あなたが自由に一人で行動したいといったので、二人をつけた。シークレットサービスについては、そのまま知らん顔をしてやってくれ』
なあんだ、とユキはうつむいて笑った。

そのときまたメールが入った。
文字が並んでいた。父親になった秦からだった。
中国の雲南省からだ。秦がメールの通じる場所にきたとか、ユキの方がアメリカにきた、という通信事情なのか。
ユキは試合を頭の先で眺めながら、素早くメッセージをチェックしはじめた。
作品名:娘と蝶の都市伝説5 作家名:いつか京