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娘と蝶の都市伝説5

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5―3 ニューヨークの冷たい眠り



四十階のラウンジから眺めた下界は、光の海だった。
力強く、逞(たくま)しく、そして美しかった。東京はまさしく世界一の都市である。
TOKYO GREAT(トウキョウグレイト)のピッチャーであるユキは、窓側の大理石造りのカウンターで頬杖をつき、彼方まで続く文明の証を眺めていた。

上下のスーツ姿だ。度のない眼鏡を掛け、ポニーテールの髪を肩におろしている。
髪が伸びたぶんだけ、大人に見えた。
ユキの耳には、二時間前の球場の大声援がこだましていた。
『ユキ、ユキ、ユキ。TG天使、ユキ、ユキ、ユキ。ゴーゴー、ユキ、ユキ、レッツゴー』

今日は日曜日。東京ドームで行われたホーム球場の試合はナイターだ。
三振一六、内野フライ一、内野ゴロ二、気まぐれで当たったレフトフライ一本。
完投で四勝めだ。まだ点は取られていない。
完璧なピッチングを維持している。

アメリカのCNNが、二試合めのダイジェスト版を全米向けに放映した。
早速、ファンが観光を兼ね、日本の球場に足を運びだした。
三戦めには、そんなファンの一人である世界の金融界の大物が、東京ドームに姿を見せた。
ユキの表のマネージャーの畑中は、球団社長から連絡を受け、秦(はた)に知らせた。
超特別のお客さんと知った秦は、試合後、専用のトレーニングルームでの会見を承知した。

当日の試合前、三人のシークレットサービスがすばやくトレーニングルームをチェックした。まるでアメリカの大統領なみの警護である。
すぐに黒っぽい背広を着、長めの黒髪をオールバックにした小柄な男が入ってきた。
「ハジメマシテ、ロバート・モレガン、デス」
入り口から一直線、ジャジー姿のユキがいるランニングマシンの横にきた。

日本語の挨拶だった。思いのほか、気さくな感じである。
耳をだしたオールバックの黒髪がよく似合った。
世界の金融界の大物はまだ四〇代である。
「近くで見ると、もっときれいで、セクシーですね」
あいさつ代わりに、褒(ほ)めた。

「私は、野球の選手になりたかった。でも15歳のときにあきらめました。身長が足らなかったからです。しかたなく大学で経済を勉強し、いまは金融界で仕事をしています」
口の端をきゅっと引締め、頬に愛嬌(あいきょう)のある笑窪(えくぼ)をつくった。
秦はもちろん同席しなかった。
あとで聞いたとき、モレガンの思惑いかんで一国の経済が崩壊するということも知った。また国際的な金融危機が起こると、必ず陰で関与していると噂される男でもあった。

「あなたは素晴らしいピッチャーです。尊敬します」
五分ほどで、帰っていった。
そして今日、試合のあと、再びその男に会った。

ファンの前に姿を見せないユキが、畑中の提案でサイン会をひらいた。
入場者の中から抽選で当たった三〇名に、サイン入りの色紙を直接手渡したのだ。
その列に白人の男性が混じっていた。
「モレガンさん」
気づいたユキが声をかけた。

「私は金持ちだから、抽選で当たった人から千ドルで買いましたよ」
世界経済をコントロールする男の笑顔。ネットの世界で、彼は悪魔と呼ばれていた。
彼のビジネスのお陰で一国の経済が破綻し、末端の家族や子供たちが飢えるような事態になっても知ったことではないのだ。
もちろんユキはそんな彼の裏事情とは無縁だ。

と、ふいにユキの額の先、眉間のあたりが熱くなった。
その温かみがぽっと拳大にひろがる。
熱い固まりが頭の中で回転し、ふわふわ揺れだした。
ずっとなかった『あれ』が、突如またやってきたのだ。
ユキは両手で顔をおおった。

記憶が途切れてしまうのだろうか。
ユキはラウンジのカウンターに肘を突き、どこかにいってしまう恐怖におののいた。
いつもなら秦がついているのだが、湯川の凍死を知ったその日の午後、羽田から雲南省に飛んだ。
その後、秦からは連絡が途絶えている。

ユキに訪れる記憶の途切れは、ここのところ鳴りを潜(ひそ)めていた。
頭内がすぐに熱いエルギーで満たされ、声が聞こえた。
⦅ニューヨーク……ニューヨークに行ってください⦆
ユキは呆然(ぼうぜん)となりながらも、一語一語、響いたとおり、頭に並べていった。
「ニ……ュ……ヨ……ク……」

並べ終えると、待ってでもいたかのように今度は、ふわっと暗くなった。
『報告します。われわれはいま、チリという国にやってきました』
だれかが話しかけてくる。
ニューヨークを囁(ささや)く声とは違っている。

『この国で起こったことは、新自由主義と称して豊かさを独り占めしようという共存共栄の基本ルールを破る典型です。人間という生き物の中に、他を食いつくす悪魔と呼ばれるような所業を平気で行う者がまぎれているんです。思い通りにするために人を洗脳し、人間改造計画とやらを実行し、豊かさを横取りする。

しかし彼らは、どんなに懐を暖めてもまだ足りない。豊かさといっても根源は緑の地球だ。結局、連中は己の利益を追求するあまり、やがては緑の地球を破壊しつくしてしまう……その他、知り得たたくさんのあくどい行為を聞かせたいのですが、残酷(ざんこく)すぎて吐き気がし、今回はこれ以上パルスが発せられなくなったので、もう終わります』

勝手に人の頭の中に入ってきて、勝手に撤退(てったい)していった。
ぱっと闇が消え、すべてが元に戻った。
ユキはあたりを見回した。
そこは整然として光にあふれ、なにやら大騒ぎをしているような今の報告とは別の世界があった。

もとの窓際のカウンターの席だった。
ちらり、近くの客たちの反応をうかがうと、右脇のテーブル席の男が席を立ち、歩み寄ってきた。
「失礼ですが、なにかお困りでしょうか?」
五十歳くらいの丸顔の男だった。

やや太り気味で、縁なしの丸い眼鏡をかけている。
目の窪みに、白人との混血の気配があった。
「もしかしたら、あなたはTGのユキさんですか?」
男は腰を低くし、囁(ささや)きながら寄ってきた。

左手の薬指に、太くて重たそうな金の指輪。
目尻に皺(しわ)を作り、笑みを浮かべる。
ユキは、どう答えていいか分からなかった。
丸眼鏡の男は、腰をかがめた姿勢で語りだす。

「私、ダン・池田と申します。ホーム球場で試合があったとき、ユキさんがこのホテルに泊まるだろうと予測していました。そう考えているのは私だけではありません。マスコミの連中が何人も張り込んでいます。そのまま私の話を聞いていてください」
ダン・池田と称する男がふうっと一息つく。

「はっきり申し上げます。私はヤンキースから依頼を受けた代理人です。ユキさんの移籍交渉のすべてを任されています。ユキさんが、実はTGとは完全なフリー契約だと畑中さんから聞きました。あなたはいつでもTGを辞め、よその球団に移れるんです。明日からでも、ヤンキースで投げられるんです」

正面のガラスに写ったラウンジの風景の中で、一眼レフカメラを手にした一人の女性が席から立った。
が、ユキの背後を右手のカウンターのほうに、歩いていってしまった。
「ヤンキース?」
「そう、ニューヨークヤンキースです。ニューヨークにあります」
作品名:娘と蝶の都市伝説5 作家名:いつか京