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娘と蝶の都市伝説5

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ようするに、三万年前の雪豹の毛皮を着た人間の住む村が、外部と閉ざされたある場所に存在しているというのだ。
そしていよいよエリックが切りだした。

「ところで、毛皮についていた陰毛ですが、あれはあなたのものですか、それとも依頼人のものですか、あるいは他のだれかのものなのでしょうか」
エリックが二人を見比べた。
「自分のものではない、と以前に返事をしましたが」
湯川が答える。

「依頼人のもの、という意味ですか?」
「依頼人はそれを拾ったといっているんです。陰毛も三万年前のものだったのですか?」
「いえ、いま生命活動をしている現代人のものでした。ちょっと変わっていたのは、このような髪の毛の鑑定の場合、本来は毛根がないとDNA鑑定はできないのですが、毛幹といって毛の本体の部分の髄質が豊かで、毛根がなくても鑑定ができたのです。これは本人の特別な体質なのだそうですが、そのDNA鑑定で面白い結果がでたんです。

ミトコンドリアの分析です。細胞の中には遺伝子を収納する核と同じように、細胞のエネルギー供給役をになうミトコンドリアというものがあります。このミトコンドリアも遺伝子を持っています。ミトコンドリアは、代々、母方の遺伝子だけの蓄積になっているんですが、この陰毛の遺伝子は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの遺伝子を、五対五の割合で持っていました。両者の混血だったんです」

ホモ・サピエンスは現代人の祖先とされている。
ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスの淘汰(とうた)作用で滅び去った種とされている。
骨太の狩猟民族で、脳の大きさなどからホモ・サピエンス以上の知性があったとされているが、なぜ滅びたのかは謎である。

「ネアンデルタール人の遺伝子を持っていると言っても、実は別にめずらしくはないんです。現代人の中にもかなりいるんです。どうやら私たちの祖先は積極的ではないにしろ、過去にネアンデルタール人と混血していたんです。とにかく、この毛皮についていた陰毛の持ち主は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスのハーフであり、女性でした。

これらの事実から、現在もどこかにこのハーフの人間とそれらの人種が雪豹の毛皮を着、独自の生活をして生き長らえている、と推測できるのです。毛皮を着ていることからも彼らは寒冷地帯の山の中に住み、狩かなにかで生活をしているものと推測されます。もし推測どおりであるなら、人類学的にも動物学的にも、そして科学的にも大発見になります」

微生物の件といい、ほんとかよと湯川は、声にだしたい気持ちを堪えた。
生物化石の年代測定技術者であるが、一応はれっきとした科学者であるエリックの言う通りならば、すぐにでも現地に飛んでいきたくなった。しかし、どこか納得ができなかった。科学的発見であれば、まずは世界的な科学雑誌に論文なりを発表すればいいのだ。

「エリックさんが知り得たその陰毛のDNAの分析結果のコピーをもらえれば、私の依頼者を探しだし、どこで毛皮を手に入れたかをあなたに教えられるでしょう。そしてあなたと一緒に現地にいきましょう」
湯川は、カマをかけてみた。
「いいえ、DNAの分析結果のコピーは差し上げられません」
エリックは、はっきり拒否した。

「現地にいくのは賛成です。現地でそのDNAの持ち主を観察したいんです。話を分かりやすくするために申しあげますが、陰毛からは変異遺伝子(へんいいでんし)が発見されました。変異遺伝子が発見された場合、染色体のどの部分にあるかで、ある程度その変異遺伝子の役割が予測できます。またIPS細胞なりで実験をすれば、どのような変異なのかの手掛かりもつかめます。

しかし、今回は変異遺伝子がB5の用紙で二十ページも発見されたんです。ですからIPSで実験をしても変異が複雑すぎ、五年も十年も、あるいは二十年もかかったりして、実験は不可能に近いんです。したがってそんな手間暇をかけていては埒があかないので、その変異遺伝子を持った人間に直接会いにいきたいんです。その場所にいったら、そのときに詳しく説明しましょう」

エリックの薄茶の瞳が、小さく左右にゆれた。
突然出てきた話だったが、湯川にはその重大性がよく理解できた。
だが、具体的なイメージが湧かなかった。

「二十ページというのは、すごいことらしいんですが、話を聞いていると、その変異遺伝子は、どうやらいい方に作用しているように聞こえます。どうして人間にとって好都合な変異と分かるんですか?」
「詳しくは現地に行ったら説明します。とにかく、その人間が生きてこの世界に存在しているというところがすごいんです。会ってみたらきっと分かります」
エリックは鼻で息を吐き、唇を噛んだ。

そういうことか、それでおれを誘いにきたのか、と湯川はようやくエリックの意図を理解した。
「ちょっと話させてください」
エリックは、正面から二人に向き直った。

「人のゲノムというのは三億個の塩基(えんき)で設計図を描いております。でも、そのうちの一・五パーセント余りが、生命持続のために活動しているにすぎません。これを遺伝子と呼んでいます。では遺伝子以外の他のゲノムたちがなにをしているのかというと、分かっているものもありますがほとんどは、はっきりしていません。

そして、その他の九八・五パーセントのゲノムは、眠っているだけの役立たずのジャンクと思われてきましたが、違っていたのです。どうやら間接的に遺伝子たちを手助けしたり、集団で他の遺伝子に動きかけたりしているらしいことが徐々に解明されてきました。遺伝子たちは目的に合わせて発現し、または他の遺伝子群と組んで、ほかの遺伝子群に指令を出したりなど、複雑な活動をしていたのです。

役立たずとされていたその他多数のジャンク遺伝子たちが、どこかで関係しているようなのです。とにかく神業(かみわざ)と奇跡の連続を繰り返しながら、遺伝子たちは生命体を創造し、自らを維持し続けてきました。もしここで、二十ページの変異遺伝子が、現代の人間にとって好ましい変異作用を生じるとしたらどうでしょう。

これが今回の変異遺伝子群発見のヒントです。これ以上、ここでは答えられません。そんな人種が住んでいるかもしれない場所に、行ってみたいのです。どんな現実が待っているのか、あなたも自分の目で確かめてみたくはありませんか?」

「雪豹の毛皮を着た、身長が私たちの三倍もある巨人たちが住む村があるとかではないでしょうな?」
「それは人間にとって好ましい変異とは言えません。とにかく現地で直接調べてみることです。その場所、湯川さんご存知なんでしょう。現地でその場所を発見したらDNAの分析結果のデータを渡します。そして詳しく説明いたします。私は湯川さんをパートナーに選びます。どうでしょう」

そういうことかと、湯川はやっと納得し、ゆっくりうなずく。
湯川は、都内で龍玉堂(りゅうぎょくどう)という漢方薬局を営む秦周一という人物からその場所を聞いていた。
いずれは秦を誘って現地にいってみよう、と考えていた。
地図でその場所を確かめると、動物学的にみても、それらしいぴったりの場所だった。
作品名:娘と蝶の都市伝説5 作家名:いつか京