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娘と蝶の都市伝説5

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秦は挨拶も抜きで、滝川の席の丸テーブルの椅子を引き、腰をおろした。
滝川の二つの瞳は、呆然と見開かれていた。
その瞳には、突然恋人兼上司を失ったおどろきと悲しみが入り混じっていた。

「でもまだ、ご遺族の方が遺体を確認したというわけではないんでしょう。しかし、ほかの二人、あなたはご存知だったんですか?」
「はい」
滝川のうなずき方には、なんでも喋りますという覚悟がうかがえた。
「じつは先生、出先から旅のようすをケイタイでメールしてくれていたんです。向こうの電波事情が悪くて途切れ途切れでしたが、なんとか届いたようです」
意外な事実だった。

「では、いまテレビで話していた日本人らしき女性も、あなたはご存知だったんですか?」
「日本人女性がでてきたのは、雲南省の徳欽(ダーチン)という町へいくバスの途中駅、香格里拉(シャングリラ)という停留所からです。彼女は先生とはなんの関係もありません。ただ、梅里雪山にいく目的が偶然同じだったようです。名前も知りません」

「それでは、もう一人のアメリカ人の男の人はどうです?」
「知っています」
滝川の透きとおった瞳が、虚空に据えられた。
背後の巨大画面は、今さっきの悲惨な出来事を打ち消すように、日本の南の都市で始まった勇壮な祭りの映像とテンポのよい音楽で躍動していた。



ふいにジェフ・エリックというアメリカ人が、湯川博士の研究室に訪ねてきた。
湯川が秦に毛皮の入手場所を電話で訊ね、さらに毛皮に付いていた陰毛の持ち主に会いたいとアメリカの方から言ってきている、と告げた直後だった。
秦のケイタイが、ユキコをスカウトにきたTGの畑中によって切られたときである。湯川は、相手はまだアメリカにいるものだとばかり思っていた。

アメリカ人、ジェフ・エリックは、180センチほどの細身の男だった。
湯川がもらった名刺には、『JE歴史生物分子学研究所所長』と書かれていた。
オフィスはニューヨークにあった。髪も目もブラウンだ。明るい茶色である。
三十歳くらいで、真面目そうだった。

湯川は私的な客がくると自分の部屋ではなく、博物館の裏手にある馴染のレストランに案内した。
湯川は、滝川を同席させた。
アメリカに留学した滝川は、会話が堪能だった。

滝川に案内され、先に席に着いていたジェフ・エリックが、改めて挨拶をした。
「メールの質問に対して返事がないので、直接やってきました」
メールは二日前のものだった。
勤めていた会社のデータを盗んで、わざわざやってきたのだ。
なにごとかと湯川は戸惑い、そして警戒した。

「いまは名刺のとおり、私は独立したんです」
湯川はもらった名刺をちらり、また確かめた。
その名刺には、US歴史科学研究所とは書かれていなかった。
本来は、生物化石を専門とする炭素年代測定技師のはずだ。

「お一人でいらしたんですか?」
「初めてで、言葉も分からない日本ですが、みなさん親切です」
「所長さんをなさっているこのニューヨークの研究所には、現在何人ぐらいのスタッフがいらっしゃるのですか?」
湯川は、親切な日本人の民族性について説明する訳でもなく、いぶかりながら訊ねた。

「独立したばかりですから、私一人です。さっそくですが……」
エリックも湯川の質問を脇に押しやるように、早々に膝の上のカバンを開けた。
取りだしたのは、五センチ四方の透明のサンプル入れだ。
中には、三万年前の雪豹の毛皮の切れ端が入っていた。
その切れ端はDNA監査に出したためか、湯川が送ったものの半分の大きさだった。

湯川はうなずき、すぐに質問した。
「三万年前という鑑定結果にはまちがいないんですか? いくらなんでも、三万年はないでしょう?」
声を押し殺し、エリックの視線を跳ね返した。
「いいえ、ユカワさん」
エリックは首をふった。前触れもなく、話が核心に入る。

「問題のその毛皮の三万年という時間に、根拠がないわけではありません。もう有名な話ですが、ロシアの研究チームが三万年前の草の種を発芽させ、花を咲かせました。種は生命の再生装置を三万年もの間、ずっと維持していたんです。条件がよければDNA遺伝子は、三万年間、ずっと生き続けられるのです。子孫を残そうという使命を忘れていないんです」

「でもそれは植物の場合でしょう。三万年も生体組織を維持している動物の毛皮なんて、聞いたことがありません。たいていは途中で朽ち果てます」
「だからこれは新発見なんです。保存状態が非常によかった」
湯川と滝川は二人ならんで、元の検査会社から盗みを働いたアメリカ人の男を見守った。

「まず、この毛皮には特別な微生物が住みついている。それが検査で分かったんです。微生物は最近になって研究されだした生物学の新しい学問分野なのですが、この地球上には、地球の砂粒と同じ数ほどの微生物がいて、種によって色々な役割を果たしながら地球の生物界を支えているんです。そして、この毛皮から発見された微生物は、毛皮の保存のための酵素を出す役割を持っていたというんです」

「微生物といえば単細胞だろう。そんなことができるのか」
湯川は、あえて反論してみた。
「単細胞でも微生物は集団で働くんです。おどろくことに集団同士で連絡網を築き、通信し合い、協力体制をとるのです。まあ、聞いてください」
神妙な顔をする二人に、エリックは真面目顔でうなずく。

「この毛皮を守る微生物は、毛皮をまとう人間の体内に住む微生物に連絡をとり、毛皮の保存状態を有効にする分泌物を体の表面から出すようにと依頼するのです。微生物研究者からそのことを聞いたとき、ふざけているのかと思ったのですが、現在の微生物研究の分野では、かつてのゲノム研究のようにとんでもない事実の連続なんだそうです」

「微生物の話はあとでゆっくり聞こう。なにが言いたいのか端的にお願いします」
湯川はいろいろ質問をするよりも、結論を急ごうとした。
「この場合、人間が雪豹の毛皮を代々着ていたんです。そのほうが保存に有効だったんです」
「三万年前からの部族なりが、代々同じ雪豹の毛皮を纏(まとい)い、今もどこかで生活しているというのか」

秦という依頼者が言っていた中国、雲南省の梅里雪山という言葉を湯川は思い出していた。
山のふもとに、明永村という小さな集落がある。
その村の背後に氷河があり、氷河のさらに裏路をトレッキングしていたときに見つけたという毛皮だ。
秦は、漢方薬の会社の元社長である。

「失礼ですがエリックさん」
湯川に目配せをしてから、滝川がエリックに問いかけた。
「人間の肌から分泌する物質が、着ている毛皮の保存状態を半永久的にさせているとおっしゃるんですね?」

「そうです。ですから、そんな分泌物を発汗している人種に会ってみたいとおもいませんか。その人種の体内に住む微生物が、着ている毛皮に住む微生物にうながされるんです。その働きで、分泌物の発生を促す未知のDNA遺伝子を発現させているんです。発現というのは、遺伝子が働きだすという意味です。生き物はそのときの環境や条件によって生命の維持装置を変化させます。変異遺伝子が活躍しているということです。とにかく現に、三万年前の毛皮がここにあるではありませんか」
作品名:娘と蝶の都市伝説5 作家名:いつか京