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娘と蝶の都市伝説3

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『雲南省の端のほうに徳欽(デーチン)という町があります。そこの町から少し行ったところに梅里雪山(ばいりせつざん)という山があります。そこの麓(ふもと)に永明村という小さな村があります。永明氷河観光の出発地点です。その村の背後に、梅里雪山の頂に通じる裏路があります。そこのルートをトレッキングしているとき、残雪の岩陰で発見したんです』
『梅里雪山。明永村の背後の裏路。麓の残雪の岩陰。なーるほど』
湯川は一言一言たしかめた。
「そのほか、なにか分かったようなことはなかったんですか?」
今度は秦が質問した。すると待っていたかのように湯川がしゃべりだした。

『そうです。私もいろいろアメリカの担当者に質問をしたら、現在、詳しく検査をしているので一週間後にまた報告します、という答えだった。ところが、一週間たっても音沙汰がなく、再びニューヨークのオフィスに電話をしたんです。すると、その担当者はもう辞めたと言うんですな。それでは、と検体の番号と依頼人である自分の名前を述べたのですが、そのような検体も依頼人も登録されていません、とそんな返事なんです。

それなのに依頼した研究所の会社名で昨日、担当者からメールが届きました。メールには、こう書かれていました。(以降の報告が遅れて申し訳ありません。ところで、一つ質問があります。検体の深い毛並みの奥に、人の陰毛が付着していました。だれのものなのかを確認したいのです。いかがでしょうか)そんな内容です。(検体は依頼されたものであり、自分のものではない)と返信すると(その依頼人の住所と名前、電話番号を教えてくれませんか)と聞いてきました。

(あなたは、会社から私のデータや検体を持ちだしている。あなたの行為は犯罪ですよ。それに毛皮に陰毛が付いていたからと言って、依頼主に断りもせず勝手にDNAの検査をしたようですが、それは契約違反になりますよ。一体どういうことなんですか)と返事をしました。

すると(分かっています。確かに私は三万年前の毛皮に惹かれ、ひょっとしてなにか面白い結果が出るのではないかという誘惑に負け、陰毛のDNA検査に出してみたのです。幸いサンプルが良質で検査が可能でした。そして結果についてですが、とにかくそちらに行って、陰毛の持ち主と直接話がしたいのです。その理由は、本人にしか話せません)とそう言うんです。どうです? どうしますか?』

年代測定の毛皮に陰毛が付いていた。その陰毛が問題だという口ぶりだった。
秦に、まだ直接会ったことのない動物学者の湯川という男の興奮が伝わってきた。
『それで、わざわざニューヨークからくるっていうのか?』
そう言ったときだった。
秦はぐいっと肩を掴まれた。

読日新聞の畑中だった。
「ヤンキースだかメッツだか知らないけど、もう嗅ぎつけてきたのか。やめといたほうがいいです。やつら、シビアですよ。もし行くとしても、日本でじっくりプレイして、それからにすべきです」
いいながら大きな手を伸ばし、他人のケイタイを掴み、通話を切ってしまった。
振り返る秦の頭上で、180センチを超える畑中がにっと笑う。

「まずは日本でやるべきです。だけどやつら情報早えなあ。それより私にも150キロ、見せてもらえませんか」
畑中の新聞社は『TOKYO GREAT』通称『TG』という日本一の人気球団を所有している。
「なにしにきたんだ。取材にきたんじゃないのなら帰れ。さっきはニューヨークからくる学者の話をしてたんだ」

さすがに腹が立った。
畑中をにらみつけ、奪われたケイタイを畑中の手からもぎ取った。
バカヤロとつぶやき、廊下の奥の自分の寝室に向かった。
大事な話の途中だったのだ。
「すみませーん」
背後で絞った声がした。

廊下に立って膝に両手をあて、畑中が頭を下げていた。
そんな畑中を無視し、電話をかけなおした。
だが、話し中だった。
五度かけなおしたが同じだった。

「実は私は取材にきたのではありません。ユキコさんが、我が社のチームで活躍できるかどうかの様子見と、下準備の交渉をするためにやってきたのです。さっきは、アメリカのメジャーのチームがもう手をだしてきたのかと……大変な失礼を。申し訳ありません」
いっそう深く頭を下げた。
畑中の言い訳を聞き、秦はおどろいた。
日本一の有名球団のTOKYO GREATが、スカウトでやってきたというのだ。



湯川からは電話がない。
こっちからかけても、現在でられません、ばかりだった。
折り返しの電話もない。

三十分後、秦はユキコと一緒に社旗のはためく黒塗りの車で、自宅前の坂をくだった。
人気球団が即日、テストをするというのである。
帝王高校の監督の御墨付なのだ。場所は東京ドームのグランドだった。
そういうことなら、とユキコも秦も大歓迎だった。

しかし、秦の頭には、三万年前の毛皮の件がこびりついていた。
ユキコは毛皮を着ていたが、どこで手に入れたのかは覚えていない。そ
して、検査にだした毛皮には陰毛が付いていたという。
ユキコのものに違いなかった。事実をはっきり聞けた訳ではなかったが、アメリカの検査官が、その陰毛の持ち主に直接会いたいと申し込んできたのだ。

さらに検査担当のその男は、勤めていた会社からデータや検体サンプルを盗みだしていたというのである。
DNA(遺伝子)検査に関連し、なにを発見したのか。
なぜ年代測定のサンプルである毛皮を盗むような真似までしたのか。
もしかしたらユキコの生い立ちが、陰毛のDNA検査で分かるのかもしれない。
明日、国立博物館の湯川博士に会いに行ってみよう、と秦は車に揺られながら考えた。

テストをして貰えると知って、ユキコは目を輝かせ、頬を上気させている。
「畑中さん、あなたはもしかしたらプロの選手だったのではありませんか?」
後部座席の秦が、気持ちを切り替えるつもりで声をかけてみた。

背の高さや体格に、そんな匂いが漂っていた。
たしかに畑中はプロのピッチャーだった。
だが、一度も一軍に登録することはなかった。
それで野球を断念し、親会社の新聞の記者と球団職員、そしてスカウトも兼ねるようになったのである。

後楽園遊園地の落下傘タワーが見えた。
そのむこうの高架線の上を、地下鉄の電車が走った。
乗用車はその高架線をくぐった。

秦はドームの地下の個室に案内され、トレーナーに着替えた。
準備を終え、女性係員の後について階段をあがった。
広いグランドが目の前にひろがった。
東京ドームの天井のライトが、するすると光量を増した。
まばゆい明かりの中で、なにかが始まろうとしていた。
身がひきしまった。
作品名:娘と蝶の都市伝説3 作家名:いつか京