娘と蝶の都市伝説2
「山の木がなくなれば、腐葉土(ふようど)もなくなる。土に住む小さな虫たちもいなくなり、土の中の虫たちがつくりだす土の養分も失せ、収穫が減る。さらにときどき降る雨が土を削り、濁流になって一気に海まで流れる。ラパヌイの土はこうして半分以上が失われた。
長いあいだ培ってきた土の潤(うるお)いがなくなると陸の収穫だけではなく、海の魚たちもいなくなり、海藻も減る。陸上の動物はネズミだけになり、飛んでくる渡り鳥さえもほんの少しになった。これらの問題は、木々がなくなりだした50年前からはっきりしていた」
二十年前は無理だったが、記憶に残る少年のころのパラヌイの緑の色を、カムリは大急ぎ頭によみがえらせようとした。
「決定的だったのはある部族長の行為だ」
アバカの広い額がひきつれ、白髪がさわっと蠢(うごめい)いた。
「一人の部族長が、密かに大きな巨像を造りだした。いままでの三倍もの大きさだ。それまで部族長たちは平均的な領地を与えられ、平均的な人口を養っていたので、造る石像の大きさも常識的に決まっていた。それゆえ、大きさで争うようなことはなかった。それが暗黙の決まりになっていたのだ。
ほかの部族長たちはあわてた。マリキリ王さえもあわてた。そしてわしを除いた各部族長たちが、より大きな巨像造りに取り組みだしたのだ。もしラパヌイ一の巨像を建てられたら、そいつが神の力を独占してしまうからな。巨像の運搬にはたくさんの巨木が必要だ。いままでの乱伐で残り少なくなっていた巨木が、このときを境に全滅してしまった。同時に大勢の男たちが運搬に駆りだされ、各部族の食料が一気に減った。
以前から山野は荒れ、荒れるにしたがって食料を食い尽くし、部族長たちは日々苦境に陥っていたのだが、現実は考えないようにしていた。でも、目を開ければ苦難は目の前に存在し、じわじわ迫っていた。そして飢餓(きが)に気づき、苦境におちいればなおさら神の力に頼ろうとする。石像造りに精をだしたのだ」
白髪のアバカは、石の台の上に腰を据えたまま顎(あご)を引き、腕を組みなおした。
「部族長のお前がどうしたらいいかを聞きにきたから、思い切って話そう」
アバカは意を決したように、まわりを見渡した。部族長の屋敷の前の広場には、背後に二人の門番がいるきりだ。門を入ったすぐ脇に、カムリについてきた二人の部下が立っている。
「実はいままでのラパヌイの豊かさは、単に自然が豊かだったからにすぎない。産んで人口が増えても食料はいくらでもあった。人々は暇をもてあまし、あまった時間で巨像を造り、神に捧げると称し、自然を破壊していった。我々が神のためにおこなっている巨像建立(きょぞうこんりゅう)は、我々自身の首を絞めるようなもので、競争で巨像をつくるという行為が、ラパヌイの存在を決定的に危うくしてたのだ。だが、ラパヌイの王はそれに気づいていない」
アバカは口を閉じ、舌の先で唇をなめた。
カムリは黙ってうなずいた。
「マリキリ王のところに行き、アクアクの信仰をやめなさいとは言えない。でも食料を大量に消費し、森を破壊し、食料生産を阻害する石像造りはやめろ、とは言える。いつ行こうか、いつ行こうかとためらっているうち、ラパヌイの瀕死(ひんし)状態が眼前に迫ってしまった。どうだ、勇気をだして、一緒にマリキリ王のところに行くか?」
4
その日、カムリとアバカの二人は、そのままマリキリ王のところに出向いた。
ラパヌイが滅びるか滅びないかの瀬戸際なのだ。
重要な問題ですぐに会いたいと告げると、酒とご馳走で盛り上がっていた宴会中の席に通された。
中央の大きな石の椅子に、たわわな腹を抱えた王が腰をおろしていた。
二人は、いきなり支配者の王と一族の神官たちに対面したのである。
「なんの用なのか、用件を申せ」
王がいらだったように応じた。
「アクアクの神に捧げる、巨像造りは即座にやめるべきです。ラパヌイはこのままでは滅びてしまいます」
覚悟をきめたアバカの緊張した声が、宴会の席にきりっと響いた。
瞬間、王宮の間は氷りついた。
王の一族たちも貢物(みつぎもの)が減っている事実に気付いていた。原因もうすうす感づいていた。
だが、だれも危機を口にしようとはしなかった。
アクアクの神の非難になるからだ。
四方八方から、鋭い視線が二人を射抜いた。
それでも二人はけんめいに威厳を保ち、王の正面で身構えていた。
信念が二人を支えていた。
「よし、分かった。この件はあらためて話し合おう。追って連絡をするであろう」
王は、杖で表を指した。
ついに会議がひらかれる、と二人はほっとした。
王の館を後にし、二人は互いの国境で別れた。
それが、若きカムリが白髪のアバカを見た最後だった。
マリキリ王とその神官たちは、簡単な解決方法を思いついた。
反乱者として二人の領土を取りあげ、住民を皆殺しにするのである。
二人の領土は、王と王の一族たちで分ければよかった。
翌早朝、マリキリ王連合軍がアバカの領土、トンガキを襲った。
その隣のナパウは、若き部族長のカムリの報告を聞いた武官兼行政官が、念のためにと軍隊を待機させていたのだ。
ナパウになだれこもうとした王の連合軍は、反撃などありえぬと油断をしていた。
しかし、反撃を食らいであわてた。
王の連合軍の攻撃のとき、トンガキの巨像を運んでいた70人ほどの屈強な男たちが、国境沿いのナパウに逃れた。
この男たちがカムリのナパウの軍に加わり、強力な300人ほどの軍隊ができた。
密かにマリキリ王のアクアクの神に疑いを抱いていたほかの部族長たちが、次々にカムリ側に加わった。
島の住民は二派に分かれ、勝ったり負けたりの戦いを始めた。
カムリはマリキリ王に反逆したが、数年に及ぶ戦いを経、不思議な感覚にとらわれた。
戦ったおかげで多くの人々が死に、一時的ではあるが食料の問題がゆるやかになったのである。
互いに違う神を奉り、殺し合うことで危機から逃れられたのだ。
「戦争だなんて、なんてうまい手なんだ」
しかし、禿山(はげやま)に緑はよみがえらない。
二手に分かれ、互いに憎しみ合うことで、自らが置かれている最大の危機を忘れただけだった。
5
戦いは続いた。
島の中央、石像を造るラノラクの石切り場を越え、からだを粘土でペイントした真っ黒い兵隊たちが行進する。全員が黒曜石(こくようせき)の穂の槍を担ぎ、腰に斧を下げている。
指揮官たちは黒いマント姿だ。人数は約2000。ラパヌイの半分の東側を配下しているマリキリ王の軍隊だ。
迎えるは、若きカムリを指揮官とする悪の反乱軍である。
悪の反乱軍というのは、マリキリ王側の呼び方だ。
反乱軍は、体に赤い粘土のペイントを塗っている。
カムリ軍も黒曜石の穂先の槍を持ち、同じように石の斧で武装している。
人数は1500ほど。反乱軍はラパヌイの残りの半分の地域を支配している。
「アクアク、アクアク、おー」
王の軍隊が気勢をあげる。槍を振りかざし、柄で足元の岩をだだだだと叩く。
「マケマケ、マケマケ、おー」
カムリ軍も負けていない。
アクアクはマリキリ王側が信じている神。
マケマケはカムリ軍側が信じている神だ。