娘と蝶の都市伝説2
2-3 悲劇の島
1
紋白蝶は飛びつづけた。
メラネシアからポリネシアの海に入った。
サモアやポリネシアの島伝いに飛んだ。
太平洋の海が果てしなくつづいた。
そしてその島は、360度の碧(あおい)い海原にたった一つ、ぽつんと浮かんでいた。
まさしく、ほっとするような絶海の孤島だった。
島の超粘菌と連絡をとり、パルスの誘導で無事島にたどり着く。
「この島の巨像について聞かせてください。この島になにがあったのかも教えてください」
BATARAの長老は長旅の疲れも見せず、さっそく島の仲間に問いかけた。
いいですよ、と島の超粘菌が応える。
「まず、この島の名前ですが、住民たちは『ラパヌイ』と呼んでいます。島に人が住み着いたのは今から1100年も前です。島は鬱蒼(うっそう)とした緑におおわれ、幹の直径が二メートルもある世界最大の椰子(やし)も生えていました。島は岩に囲まれた急峻(きゅうしゅん)な海岸ばかりで浅瀬がほとんどなく、ほかの南の島のように、椰子の生えた砂浜があり、小舟を浮かべてのんびり漁をするわけにはいきませんでした」
島の超粘菌が語りだす。
「しかし、島は農作物が豊富でした。山の斜面や平地に囲いを作り、窪地を利用して強い太陽や風をさえぎる工夫をし、薩摩芋(さつまいも)、タロイモ、ヤマイモ、サトウキビなどを収穫しました。畑の仕事は平民がおこないましたが、収穫物は領主である部族長のものでした。島の住民は貴族と平民で、地域は十二に分割され、それぞれに領主がおりました。そして、最高部族長であるマリキリ王によって統一されていました。
十二の部族は島の中心となる三角形の岩山を基点に、阿弥陀籤(あみだくじ)のように海岸にむかって縦に不規則な形で領線が敷かれていました。領土を与えられたどの部族長も海辺に家を構え、住民は生活のすべてが、天地創造の神であるアクアクがもたらしているものと信じていました。またラパヌイは大平洋のまっただなかで孤立し、閉ざされていましたので、人々は、この世には自分たちしかおらず、島は地球そのものであると考えていました。
そして住民の仕事は年に二度、作物の植え付けと収穫しかなかったので、余暇のほとんどをアクアクの神に捧げていました。岩山の上で像を造り、自分の領土内にある海岸や海辺の首長の屋敷の前の、祭壇(さいだん)であるアフという石の台の上に鎮座(ちんざ)させる仕事です。だれがいつ始めたのかは分かりません。各部族は、いつしか競争で像造りに励みだしたのです」
2
サイヅチ頭のカムリは、左手の親指と人差し指を額に押し当て、地面に置いた計算用の石粒を上下左右に動かした。長い耳たぶに付けられた石のイアリングが光って揺れる。歳は21。部族長としては若い。
細いからだに、梶(かじ)の木の皮を叩いて作ったタバという布を肩から羽織っている。
三十センチ四方の赤と黄と緑の布を縫い合わせたもので、ここではタバの大きさがその人間の地位や富を表していた。
背後の部族長の家の軒下には、高さ三十センチほどの横長の石のテラスがあった。
そこに、高官の地位にある部族長の親族たちが、神妙な面持ちで腰をおろしていた。
禿げた頭に羽冠(はねかんむり)を乗せている中央の年寄りが神官、その隣で槍を垂直に立てて持っている大男が戦士だ。
戦士は、部族長が決定した命令を、住民たちに実行させる行政官の役割も担っている。
だが今は、全員の二つの目が若き部族長、カムリの背中に釘付けになっていた。
カムリは、南端側のナパウの地域を支配する若き部族長だ。
父親が死に、地位を受け継いだばかりである。
父親は領地で取れた食料を平等に分配し、増える家族の数に喜びを見いだしていた。
その結果、父親の代だけで人口が三倍に膨れあがった。
父親は、人口の増加をアクアクの神のお陰だと感謝した。
見返りとして、石の神像造りに熱中した。
神像を山の石切り場から海辺まで運ぶのに、たくましい二百人の男を使って四、五年はかかった。
領地を受け継いだカムリは、すぐに食料事情に気がついた。
しかし、山野は開墾し尽くされていた。
山の高台でさえも、岩の窪地に芋やサトウキビ、川の浅瀬にまでタロ芋が植わっていた。
すでに、ありとあらゆる場所が利用し尽くされていたのだ。しかも土地が荒れ、毎年収穫量が減っていた。
「みんなの食料を減らすしかない。限界だ」
それは、大それた発言だった。
「なんとおっしゃいますか。そんな真似をしたら、住民たちが黙っていません」
神官と戦士兼行政官の二人が声をそろえた。
「それならば手はじめに、像を運ぶ男たちの食料を減らす」
わあ、と両手を上げ、今度は家臣全員が立ち上がった。
「祟(たた)りがあったら、どうしますか」
カムリは、自分の屋敷の背後に広がるのびやかな斜面を見上げた。
子供のころは、まだ生い茂る木々が少しはあった。
「みんな、われらのナパウの領地を見てみろ。枯れかけているではないか。どうしたらいいか、考えを言え」
立ち上がった全員が、うっと言葉につまった。
すると大柄の武官が提案した。
「隣のトンガキから奪いましょう」
若き部族長は、ぎょっとなって武官を見返した。
「隣には、まだ農地にできる場所があちこちに残されています」
武官は平然と肩をそびやかした。
常々その件について考えていたかのようであった。
「なんてことを言うんだ。そんなことをすれば島中が争いになる。最後はどうなると思う」
カムリは首をふった。
「そればかりか、わたしは隣のトンガキの領主、アバカに会っていろいろ意見を聞こうと思っていたところだ」
3
カムリと二人の部下は、ゆっくりした足取りで丘を下った。
丘の下の門の前で、二人の番人がカムリを迎えた。
門を入ると石の広場である。その向こうに屋根の低い屋敷がある。
軒下には膝の高さほどの平らな石がならび、そこにタバを肩から斜めにかけた白髪の男が座っていた。
伝言を聞いて待っていたのだ。
白髪の男の頭は半分禿げ、額を広々と光らせている。
家臣たちの姿はなく、部族長一人だけだった。
「話したい件があるんです」
トンガキの部族長のアバカの前に立った若きカムリは、頭の羽根の冠(かんむり)を外し、胸に押し当てた。
困っている、相談したい、ということを先に伝えてあった。
「なんの話か聞こう」
早々に会話がはじまった。
「ナパウでは食料が足りなくなりました。私はそんな事実をはじめて知りました。トンガキではどうでしょうか。いや、もしかしたらこれはラパヌイ全体で起こっている問題ではないかと」
カムリは率直に意見を述べた。
ラパヌイ全体という憶測が、カムリを駆り立てたのである。
アバカは顔色を変えなかった。
「で、どうすればいいと考えるんだ?」
座ったまま、若いカムリを見上げた。
「人減らしです。それしか考えつきません。ほかの部族長たちはどうしているんでしょう?」
「このままにしていたらどうなるのか、分かっているがなにもしていない」
アバカが低い声で答える。
日頃この件について考えていたらしく、話は一気に進んだ。