バカ殿お笑い禁止令
「百五十年まえであろうと、やられたほうはいつまでも忘れぬものである。辻笑(つじわら)いのあのコテコテの笑いが証拠である。連中には、徳川家に対する積年のうらみがある」
「でも、江戸のお笑いの主役は、落語にでてくる与太郎に熊五郎に八五郎とかです。コテコテは江戸の庶民には合いません。なにが面白いのか、理解に苦しみます」
「えげつないからと申して、油断は禁物であるぞ。やつらも必死なのだ。だめなら新しいネタをしこみ、なんとかコテコテで江戸を爆笑のうずに巻きこもうと懸命である。どこかに本拠地があるはずだ」
徳兵衛は、お玉が池のお笑い道場のようすを松五郎にさぐらせていた。
連中が大阪方面からの関係者であろうことにも、察しがついていた。はっきり確証をつかんだら、望月の旦那に報告するつもりだった。
また、門弟たちがインチキだと怒っていたという情報も、松五郎がつかんでいた。
「やつらの笑わない究極の秘訣(ひけつ)ってえのは、袖(そで)にひそませた洗濯鋏(せんたくばさみ)なんだそうで」
松五郎は、竹でできた洗濯鋏をふところからだして見せる。
「これが風雲非笑術の正体でさあ。この洗濯鋏ですばやく、こう、自分が笑いそうだなと思った瞬間、肋骨のところの皮にはさむのだそうで」
そういって松五郎は脇腹を洗濯鋏でつまみ、『うっく』と顔をしかめた。たしかに効果は抜群のようだった。
「だけど、脇腹には笑いのツボが隠れているので、まちがえると逆効果だそうで、そこをうまく避けるのがコツなんだそうで」
松五郎の報告を聞いたあと、徳兵衛は一人でお笑い道場を偵察した。
屋敷の裏にまわり、垣根の隙間に額をつけ、中庭をのぞいてみると。松五郎が見せてくれたものと同じ洗濯鋏が筵(むしろ)の上に積まれ、太陽をあびていた。その横で、五、六匹の犬と猫が仲良く居眠りをしている。どの犬の額にも太い眉が描かれている。
右奥では、二人、三人と組をつくった男たちが、互いに頭をたたきあっていた。笑わない修行と言えば言えたが、どつき漫才の修行のようにもおもえた。すこし離れた木の下では、四、五人の男女が口から唾をとばし、けんめいに何かをしゃべっていた。しゃべくり漫才の修行のようだった。
6 上野の山のお笑い大会
徳兵衛が、八丁堀の旦那の屋敷から紺屋町の自宅にもどってみると、びっくり顔で松五郎がまっていた。
「たいへんだあ。今夜、上野の山でお笑い大会があるそうですぜ」
松五郎は声をふるわせていた。
単独の笑いだけでも大罪なのに、お笑い大会とは……すごいなんてもんじゃない。
そうか、やはりあの屋敷だ、と徳兵衛の勘(かん)がはたらいた。
「いくぞ。お玉が池のお笑い道場だ」
四角い顔に、はりつめた三角の目が光る。
二人で脱兎(だっと)のごとく駆けだす。
あれだけ繁盛していた道場は、もぬけの殻(から)だった。総動員で、どこかにでかけたような様子だった。
「親分、どういうことなんで」
「馬鹿やろう、まだ気がつかねえのか。笑わねえ修行をしてるなんて真っ赤な嘘で、ほんとうは裏で、お笑いの修行をしてたのよ。それで夜な夜な、人にかぎらず、犬までの動員し、江戸じゅうに曲者(くせもの)を放ったんでえ。人心を迷わし、世を混乱させ、その隙に徳川様に代わって天下を乗っ取ろうって魂胆(こんたん)にまちがいねえ、やつらは豊臣方の残党でえ」
二人は、呉服橋の南町奉行所(ぶぎょうしょ)に駆けこんだ。
上司の望月の旦那(だんな)に面会し、ことのしだいを報告する。
お笑い大会と聞いた同心の望月は、あおざめた。事態を見抜けなかった責任は重い。
奉行に報告し、いちはやく収拾させなければ切腹ものだ。
奉行の近山金次郎(ちかやまきんじろう)は、よくやった、上方(かみがた)のお笑いなどに負けてたまるか、と刺青のある腕をまくった。
「どどどど、どど~ん」
乱れ打ちの太鼓が鳴った。天下の分け目、関ヶ原の決戦以来の旗本(はたもと)御家人(ごけにん)一千騎(いっせんき)の総動員だ。
「わあー」
江戸じゅうの武家屋敷から、歓声があがった。
われ先、白鉢巻の旗本後家人の次男三男が呉服橋にはせ参じる。
謀叛者(むほんもの)の鎮圧(ちんあつ)の非常召集を機に、手柄をたて、俸禄(ほうろく)を得ようと張り切っているのだ。
長男以外の次男三男は、徳川様から配られる親の扶持米(ふちまい)を只食いする居候(いそうろう)だった。いずれは家をはなれ、自立するか、年貢を取り立てている所轄の村で百姓になるか、あるいは一生、肩身のせまい居候で生きるかである。
ろんより、町奉行の近山金次郎も次男であり、ふてくされて町に出て裏社会に出入りし、背中に入れ墨までほどこした。
だが、兄の急逝(きゅうせい)で運よく町奉行の役職にありつき、裏社会を知った者の有利さで次々に事件を解決し、たちまち江戸の花形スターになった。
お奉行の近山金次郎自らが馬にまたがり、先頭に立つ。
「ものども、敵は上野であるぞー。そーれい」
「わあー」
鬨(とき)の声をあげ、白鉢巻の次男三男をまじえた捕り方が、江戸の町にくりだす。御用提灯(ごようちょうちん)をかかげ、六尺棒や梯子(はしご)をもち、ぶつぶつのついた鉄の棒をかつぐ者もいる。
寺社奉行の捕り方も、応援に駆けつける。
「どわあ、わははは……」
にぎやかなどよめきが、夕暮れの上野の空にこだました。
お笑い大会の会場からだった。
「敵は、上野の山の寛永寺(かんえいじ)にあり。それい、ものども」
奉行の近山金次郎は、上野の山をふりあおぐ。顎(あご)に食い込む陣笠(じんがさ)の白紐の結び目もりりしい。
白鉢巻の捕り方が、黒門町からなだれこむ。
提灯(ちょうちん)がゆれ、梯子がぶつかりあう。
寛永寺は二重、三重にかこまれた。
「御用だ」
「御用だ」
「わあ、わはははは」
「御用だ」
「御用だ」
「わあ、わはははははは」
「わあ、わはははははははは」
御用だ、に合わせるかのように、境内(けいだい)におこる笑い声。
笑い声で、役人たちの声がとどかない。半分は、甲高(かんだか)い若い女性の声だ。
捕り方たちが声を枯らしても、観客は気づかない。
笑いに飢えていたからなのか、もう無我夢中だ。
それに、特別許可のあったお寺の境内ならば、日と時刻をきめ、笑ってもいいと御上から許可がおりた、というデマ。寛永寺はお笑い認定寺院、第一号だとも。曲者たちの謀略だ。
寛永寺のお坊さんたちは、寺の奥で柱にくくられ、身をよじって笑っているか、こらえているかのどっちかであろう。
怒濤(どとう)のごとく湧きおこる爆笑のうずに、前線を固めていた捕り方たちがこらえきれなくなった。
とうとう笑いだしてしまったのだ。
侍とは名ばかりの白鉢巻の捕り方は、とつぜんの爆笑(ばくしょう)にさらされた。免疫(めんえき)のない彼らはひとたまりもなかった。生まれてこのかたお笑いとは無縁で、いつも深刻なしかめ面をして生きてきたのだ。
捕り方たちは腹を抱えて涙にくれ、総くずれになった。