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記憶喪失の悲劇

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「昼と夜とで、どっちがいい」
 というのは、一見、
「昼がいいだろう」
 と思われがちだが、こちらも、一長一短あるのではないだろうか?
 普通に考えれば、
「季節による雨」
 の考え方と同じで、
「昼の方がいいだろう」
 と、温度であったり、明るさから感じる体感などから、そう思うのだろうが、だが、実際に昼間の雨の時と、夜の雨の時とで、同じ道を歩いてみると分かるかも知れない。
 これは、もっと言えば、ピンポイントに時間を設定した方が分かりやすいかも知れない。ヒントとしては、
「朝の8時前後であったり、夜の18時前後」
 ということを言えば、ピンとくる人も多いのではないだろうか?
 そう、この時間というと、人が密集する時間帯で、いわゆる、
「通勤、通学ラッシュ」
 と言われる時間である。
 通勤路では、どんどん人が集まってくるように、増えていき、駅までくると、
「どこから、こんなに人が集まってきたのだろう?」
 と思えるほどに、人が密集している。
 それを思うと、その人たちが、一斉に、駅の改札を抜けて、ホームになだれ込んでくるのだ。まさしく、
「通勤ラッシュ」
 というものである。
 そんなラッシュでは、普段道を歩いている時は、それほど、人を、
「鬱陶しい」
 とまで感じることはなかったが、歩いていると、どうしても、傘が邪魔になったり、傘を差しながらでも、まわりに一切の気を遣わず、群れを成して歩いている連中もいる。中には、ただでさえ歩きにくいにも関わらず、スマホを見ながら歩いているので、ぶつかりかねない。
「相手が悪い」
 と言ってしまえば、それまでなのだが、そんなやつに限って、
「あいつがぶつかってきた」
 と、理不尽な正当性を振りかざしてくるのだ。
 そんなことになってはたまらないので、こっちも、なるべくそんなやつに近づきたくないと思い、少しでもよけようとすると、今度は他の人に当たって、迷惑を掛けてしまう。
「実に本末転倒なことだ」
 と言えるのだが、それだけでは済まされない。
 何しろ、
「本当に気を遣いたい相手に迷惑を掛けて、どうでもいいやつのために気を遣ってしまい、結果、悪いことをしてしまったのだ」
 と思うと、何とも、
「まわりのことを考えず、自分のことばかりを優先し、結果すべての人を不幸にしかねない、そんなやつが、この世にいると思うと、歯がゆい思いになるのは、実に当たり前のことである」
 ということを考えていると、
「実に世の中、面倒くさいやつが、蔓延っているものだ」
 と言えるのではないだろうか?
 実際に、街を歩いていると、そんな
「面倒くさいやつが、結構多い」
 と言えるのではないだろうか?
 こんなことをいうと、
「何をそんな細かいことを」
 と鼻で笑われるかも知れないが、たとえば、自転車の走行について、結構大きな問題があったりする。
 結構、勘違いしている人も多いかも知れないが、
「自転車に乗って走る場合、その壮行区分というのは、車道になる」
 というのである。
 自転車というのは、分類上、
「軽車両」
 という扱いで、
「歩行者専用道路」
 と呼ばれる、
「歩道を、基本的には走ってはいけない」
 ということを書いてある。
「車道を走らなければいけない」
 ということは、
「歩道を走ってはいけない」
 ということになるのだ。
 もちろん、例外規定もある。
「自転車通行可」
 という標識がある場所での、走行。
 あるいは、
「13歳未満の児童」
 あるいは、
「高齢者」
 と言われる人たち、
 あるいは、
「車道を自転車が走るのに困難だと思われる場合」
 は、歩道を走ってもいいということになるのだ。
 ただ、この際も、基本的には、
「歩行者優先」
 ということで、極端な話としては、
「歩道を横一列で歩行者が邪魔をしていたとしても、自転車に乗って走っている以上、もうくは言えない」
 ということだ。
 どうしても行きたい場合の方法としては。
「自転車から降りる」
 という方法が一番適切であろう。
 というのも、自転車から降りてしまうと、その時点で、歩行者だから、同じ立場の人が嫌がらせのごとくしていれば、注意喚起を促すことは悪いことではない。
 だが、そもそも、
「道路交通法の基礎」
 すら分かっていない連中に、そんな機転が利くはずもない。
 そんなやつらにとっては、文句を言われても仕方がないと言ってもいいだろう。
 道路交通法を知らないと、どういうことになるかというと、
「自転車で、歩道を走る」
 という行為は、
「バイクが、歩道を走るのと、同じことだ」
 と言ってもいいだろう。
 要するに、
「走ってはいけないところを走る」
 というわけなので、当たり前のことだ。
 これを、
「通行区分違反」
 といい、結構重い罪になるのであった。
「警察から言われたことはない」
 と言うかも知れないが、
「それは、あまりにも勘違い連中が多いから、いちいち対応ができない」
 という事情からである。
「だったら、別に歩道を走るくらいいいじゃないか?」
 という、モラルという言葉の意味を分からない連中がいうだろうが、
「じゃあ、もし、それで誰かが、自転車に惹かれて、打ちどころが悪かったりして、死亡事故につながったりしたらどうなると思う?」
 と聞かれて、相手は黙り込むかも知れない。
「たぶん、警察は、今まで見逃していたことへの非難を浴びて、政治的にも黙っておけなくなると、行政だけではなく、それらの罪も重くなり、過失が、殺人くらいに重い者になったりすれば、やっかいなことになるだろうね? 今までは、大したことがなかったので許されてきたけど、今度は、知りませんでしたでは通用しないからね。そうなると、歩道を走っている自転車の一斉検挙とかも出てくるかも知れない」
 と、少し大げさかも知れないが、間違ったことを言っているわけではない。
 それを聴いた人はたいてい、
「そんな大げさなことないよ」
 というだろうが、理論で話すと、心の中では、
「それはヤバイ」
 と思いながらでも、聴いていることだろう。
 だから、
「じゃあ、車道を走らなければいけないとなると、車が危なかったりするじゃないか?」
 ということになるだろうが、歩行者としては関係ない。
「それは車との問題ということになる。とにかく、道路交通法での立場というのは、明確に分かり切っているもので、何があっても、優先順位は、歩行者ということになるのさ。だから、信号無視で歩行者が飛び出して、車が出会いがしらで轢いたとしても、悪いのは、車ということになるんですよ」
 ということになる。
 相手は、正直ぐうの音も出ないだろう。
 つまりは、
「何を言っても言い訳にしかならない」
 ということだからだ。
 つまり、
「言い訳というのは、どんなに正当性を唱えても、絶対的な優先順位の前では、ひとたまりもない」
 ということの証明でもあるということだろう。
 基本的に、
「歩行者の次に車両が」
 ということになるのだろうが、この車両に種類が多い。
「自動車、バイク」
 などがあり、
 その使用用途において、大きさがあり、その種類がある。
作品名:記憶喪失の悲劇 作家名:森本晃次