Sandpit
吹谷と柿虫が食堂から出てくるのが見えて、吹谷が死刑宣告を受けたように表情を強張らせた。柿虫はそこまで動揺していないように見えるが、ヤマタツから視線を外そうとせず、モッサンは視界に入っていないということにしてやり過ごそうとしている。
「で?」
モッサンは短く呟くと、銀歯だらけの歯をむき出しにして笑った。
「夜に終わる仕事やと聞いとったんやけんども? クソ優雅に朝メシ食うとるけど、終わったんかいな? なんで報告がないねん?」
質問は三つ。どれから答えても鉄拳が飛ぶことは確定している。三つとも同時に答えて、かつ鉄拳の強度をやや弱める魔法の言葉は『申し訳ありません』しかない。三国が耳を澄ませていると、吹谷と柿虫が言葉を発する前に、ヤマタツが横から言った。
「現状は? ここで言える内容か?」
吹谷と柿虫が首を横に振り、ヤマタツはモッサンの方を向いて首を横に振った。モッサンは顔を歪めて笑った。
「なんやねんお前ら、おもちゃの人形かいな。昨日寝てへんねん、手短に頼むわ」
そう言うと、モッサンは語尾をそのまま伸ばして、欠伸をしながら唸り声を漏らした。その様子を見ながら、三国は呼吸を整えた。目立ってはいけない今の状況だと、駐車場で騒ぎを起こしたら一巻の終わりだ。モッサンは単独なら、駐車場で殴ると決めたら殴るし、煙草を吸いたいと思ったらどこでも火を点ける。ルートバンのダッシュボードには拳銃が入っているだろうから、撃ちたいと思ったら撃つ。しかし、ヤマタツがいるとその行動にブレーキがかかる。二人が全く同じミスを犯したとしても、トミキチがヤマタツを叱りつけることはないが、モッサンは別だ。その証拠に、耳の後ろには煙草が押し付けられた跡がいくつもある。
ヤマタツが突然電柱の方を向いて、言った。
「三国」
ずっと気づいていたのだ。三国が歯を食いしばって電柱の後ろから姿を現すと、力関係の隙間に頭を食い込ませるように、モッサンが顔を向けた。
「おー、お前だけ違うとこで食うてたんか? なんや、仲悪いんか? 眠たいねん、はよ集まれや、喋らんかいこらー」
基本的に、モッサンの発する言葉に答えてはいけない。三国はヤマタツが盾になる位置で足を止めた。ヤマタツは機能不全を起こしている会話にうんざりしたように、顔をしかめながら三国の方を向いた。
「どこにおったんや?」
「学校の近くにあるサ店です」
「なんで、夜の内に帰らんかった?」
ヤマタツに報告した言葉は、そのままトミキチに伝わる。だとしたら、ある程度は正直に言っておいた方がいい。三国がそう考えて息を吸い込んだとき、代わりに柿虫が口を開いた。
「あの……、積荷が手元にないんです。この近くで捨てたのが見えました。はい」
モッサンはひゅうと息を吸い込むと、柿虫の顔を見下ろしながら言った。
「そこまで分かってて、なんで手元にないねん」
「なくなってました」
柿虫が呟いたとき、モッサンは拳を固めた。その手が持ち上がるよりも先に、ヤマタツが言った。
「探してて、朝になったんか? それか、人通りがなくなるのを待ってるんか?」
三国は、真横から答えた。
「静かになるのを待ってます」
「それでいい。十時ぐらいまで待て。吹谷、お前は刺青が目立つからモッサンと戻れ」
ヤマタツの言葉に吹谷の顔色が真っ青になり、ついでのように帰ることを指示されたモッサンは、顔をしかめた。
「あ? 戻れってなんやねん」
「お前も目立つやろ。車の鍵貸せ」
ヤマタツはそう言って手を差し出し、モッサンの目を見据えた。三国が固唾を呑んで見守っていると、モッサンは長い溜息をついてからルートバンの鍵を差し出した。この場で勝てたとしても、あとでトミキチに報告するときに負けるからだ。助手席のドアを開けると、ダッシュボードからウェイストポーチを取り出して腰に巻きつけ、吹谷に向かって顎をしゃくった。
「行くぞ」
あのポーチの中身は、例の拳銃だ。三国は駅の方向へ歩いていく二人の後ろ姿を眺めた。吹谷の未来像がモッサンであってほしい。だとすれば、自分の行き着く先がヤマタツになる線も生まれてくる。ヤマタツは三国に鍵を差し出して、言った。
「道言うから、河川敷まで行け」
三国はルートバンの運転席に乗り、エンジンをかけた。ヤマタツと柿虫を乗せて学校の前をさっきとは逆向きに進んでいると、どうしても頭に思い浮かぶことがひとつあった。それは、女子中学生の片割れである中林が、どういうわけか深夜にあのバイクを見ているということだ。だとしたら、セフィーロのことも知っているのではないか。そのことをもっと突き詰めたいが、ヤマタツがいると動き回れない。常連組がまだ話し込んでいる喫茶シャレードの前を通り過ぎたとき、三国は無意識に看板を探し始めた。道路が少し開けて、遠くの山が風景の一部に取って代わったとき、田んぼを挟んでぽつんと建つ社屋に、三国は目を留めた。何の捻りもなく、社屋の二階と三階の間に『中林環境サービス』と書かれている。あの屋上からなら、前の道路は確実に見える。ということは、あの中林の娘はそこにいたのかもしれない。それなら、セフィーロも確実に見ているだろう。頭の中で目撃者の顔を整理し、三国はオーディオの時計を横目で見た。午前八時半。時間が容赦なく過ぎるように、どうしても逃げられない暗い予感も、強くなっていく。
あの大男の死体は、もう上がっているだろう。
鮮やかな赤い誘導棒を片手に走ってきた警備員が、大きな身振りで手を横に振りながら言った。
「ちょっと、ここにずっといたらダメだってば」
西川信介は反射的に一度瞬きをすると、下ろしたままになった窓越しに、警備員の顔を見下ろした。二〇〇五年型のふそうスーパーグレートは静かにアイドリングを続けており、そのエンジン音は、頭上のトタン屋根にぶつかる雨粒の音でほとんどかき消されている。高校を出てから、ずっとトラックに乗ってきた。目にしてきた景色のほとんどは、アスファルトと白線。二トン車から始めたが、あまりに体力がなかったことから筋トレを習慣に組み込み、それはいつの間にか趣味になった。がむしゃらに働いている内に金が溜まっていき、二十代後半で自分のトラックを持つ『一人親方』となったが、五年前に雇われに戻り、今は武光運輸の正社員だ。それなりに体を酷使してきた四十六歳としては、経費や整備など余計なことを考えずに運転に集中できる今の環境が、正直ありがたい。荷下ろしは専門の業者がドック側で待ち構えているから、力も使わない。
「もう、中身全部降ろしたよね。早く出ないと後ろつかえるの、分かるだろ?」
その声が良く届くのは、さっき咄嗟にオーディオの音量をゼロにしたからだ。西川はもう一度瞬きをすると、警備員に向かって頭を下げた。
「ウッス」
シフトレバーを触ろうとしたとき、まだ左手にスマートフォンを持ったままだということに気づいた西川は、置き場所を求めて目を泳がせた。ダッシュボードの隙間に目が向き、そこへ差し込むようにスマートフォンを置いたとき、警備員が荷台のパネルを誘導棒でコンコンと叩きながら言った。
「ウッスじゃねえよ、早く手足に伝えろっつってんだよ。あんた、大丈夫か?」