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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 西川はクラッチを踏み込み、無言でシフトレバーを操作するのと同時にトラックを発進させた。シルバーに光るアルミバンの角とぶつかりそうになった警備員は体を引き、誘導棒で力任せに車体を叩いた。
「てめえ、出入り禁止にするぞ。停まれ!」
 西川は返事をせず、窓を上げることなくアクセルを踏み込んだ。出入口の『一時停止標識』も守ることなく構内から出て、開け放たれた窓から吹き込む雨にようやく気づいてパワーウィンドウのスイッチを押した。車内が打って変わって静かな空間に変わり、国道に合流してすぐに、オーディオのボリュームを元の音量に戻した。長渕剛を聴くようになったのは、筋トレの効果が出始めたころだった。妻の梨沙子がプレイヤーにほとんど全てのアルバムを入れていて、それを借りたのがきっかけだった。元々音楽に興味がなかったし、今もない。そこにするりと入り込んできたのは、長渕剛だけだった。外見が少しずつ近づいていることに最初に気づいたのは勤務先の社長で、茶髪や髭はご法度だったから、あと一歩のところで諦めたようだと笑っていた。二十代半ばで定着した姿格好は、ハゲ隠しのために坊主頭にした以外は、二十年が経った今も変わっていない。ころころと変わるのは、その日の居場所だけだ。
 今、家からおおよそ七百五十キロ離れた場所にいる。合流地点でパッシングしたプリウスに頭を下げて、西川はトラックを滑り込ませた。サンキューハザードを短く焚いたとき、ダッシュボードにかろうじて引っかかっていたスマートフォンが座席の隙間に落ちた。赤信号で停車するのと同時に、西川はスマートフォンを拾い上げた。着信履歴が十五件。ほとんどは梨沙子だが、その手前に知らない番号が三件連続して残っている。登録されていない番号だったから、一回目は取らなかった。二回目は運転していて気付かず、三回目は荷下ろし中に気づいた。
 警察だと名乗った若い声は、身元を確認したいと言った。
『息子さんで、間違いありませんかね』
 その無遠慮な口調のおかげで、どこか冷静でいられたと思う。昌平は二十二歳だが、生まれた年から計算しないと分からないぐらいに、その関係は希薄だった。十七歳のときに家を出て以来、接点を持っていない。最後に怒ったのは十六歳のときで、友人のバイクを勝手にオークションで売り飛ばしたからだった。
 そのとき、周りに迷惑をかけるだけなら、もう息をすること以外は何もするなと言った。迷惑をかけるなという意味で言っただけだったが、それが落語のオチになったように、今朝、息をすること自体を止めた。子供のような声の警察官は、淡々と続けた。
『現在、死亡した状況を調べている状態です』
 朝七時に、袋小路になったT字路で林に半分頭を突っ込んだ状態の車を通勤中の会社員が見つけ、その脇に血まみれの人間がひとり倒れていることに気づいた。身元がすぐに西川昌平だと分かったのは、本人が免許証を携帯していたから。何ひとつ、ルールを守ろうとしなかった息子。昌平が免許証を持ち歩いているなんて、そんな姿は想像できなかった。 そもそも、誰が守らせることに成功したのだろう。親である自分や梨沙子ができなかったとしたら、一体どうやって? 
 スマートフォンが手元で鳴り、西川はハンズフリーに接続してイヤホンを耳にかけると、通話ボタンを押した。武光運輸の新藤。対外的な窓口であり、実質は苦情係。
「西川ちゃん、お疲れさんですー。移動中か?」
「ハンズフリーつけました」
 西川が言うと、新藤は大きく息を吸い込んでから言った。
「構内で人、轢きかけたんやって? さっき、えらいキレて電話してきよったぞ。停まりもせんと、出て行きよったて。お前だけが出入り禁止なるんやったらええけどや、車にごっついロゴ貼ってあるやろ。会社に迷惑がかかるってのは、分かるな? 次の流通センターでやったら、洒落にならんぞ」
「棒で、荷台どつきよったんで」
 西川は呟くように言うと、新藤が相槌を打つより前に通話を切った。別の着信が入っている。画面を見るまでもなく、梨沙子しかいない。通話ボタンを押すと、知らない惑星の人間に思えるような、籠った涙声が聞こえてきた。
「警察から、電話来た?」
「来た。戻るわ」
「え? 今、関東やんな?」
 西川はうなずいた。声に出さないと伝わらないことに気づいて、小さく咳ばらいをしてから言った。
「戻る」
 次の現場は流通センターで、二百キロ離れている。家からはさらに離れる方向だ。道路標識には二本の右矢印が表示されていて、高速道路の入口を示す緑色の案内表示もある。しかし、そちらにはどうしても手が動かない。西川は高架下をまっすぐ抜けると、続けた。
「警察に、なんかしてくれって言われてるか?」
「ご主人と連絡取れますかって、言われた」
「それだけか?」
 西川はナビに自分の家をセットすると、流通センターとは反対方向の入口に乗った。本線に合流する直前、梨沙子は言った。
「警察は、検視とかが終わるまで何日か待ってもらうかもって。何があったんやろ」
 これから七百五十キロを走る間、ずっと考えるに違いない問いかけ。西川は、梨沙子の声を頭に留めた。
「色々調べとるんやろ。妹はどないしてんねん」
「さっき電話したから、もうちょっとしたら来てくれる」
「分かった。今運転中やから、どっかに停めてから電話するわ」
 西川は通話を切った。昌平は自分の好きなように生きる。こちら側にその覚悟が生まれてから、おおよそ五年。だから、結果に追いつかれたのだという感想しか生まれてこない。そこまで諦めていたからこそ、この先に違う感情が待ち構えているとしても、そんなものは味わいたくない。梨沙子も冷静だったから、そこは同じように感じているのかもしれない。
 三人家族としては崩壊したにも関わらず、夫婦仲は決して悪くなかった。不気味なほどに。時速九十キロで頭打ちになったスーパーグレートの車内で、西川はようやくオーディオのボリュームを上げた。『乾杯』が途中から流れ出したが、今やその歌詞は、ただの日本語の羅列だった。
 梨沙子と知り合ったのは、二十三年前。実家から『修行』として出されていた運送会社の事務員で、お嬢様だった。最初に驚いたのは、旅行先でホテルの灰皿を持って帰ろうとしたときだ。タオルや歯ブラシではなく、灰皿。綺麗なガラス細工だったから、つい手が出たと言っていた。その手癖の悪さは本物だったらしく、前歴すらあった。当時は、それを育った環境のせいだと決めつけて、見て見ないふりをした。その代わり、梨沙子の実家からはできるだけ遠ざけた。
 梨沙子が最後にトラブルを起こしたのは、昌平が十歳で、別人を育てていたように素直で可愛かったころのことだ。もう、十二年も前の話。昔の知り合いが詐欺事件を起こして捕まり、梨沙子も関わった疑いがかけられたが、実際に捕まったのは、梨沙子が今頼ろうとしている妹だった。その顔を見たくないし、頭にすら浮かべたくない。夫とは早くに死別したが、今も岡安の姓を名乗っている。
 岡安寧々は、二十六歳から二十八歳までの三年間を塀の中で過ごした。
        
 
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ