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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 梶木はふらつきながら立ち上がり、健の顔をじっと見つめた。そして、自分にしか見えない宝物を見つけたように、血走った目をぐるりと回した。健はその視線を追った先に、階段を下りてきた礼美の姿を見つけた。その名前を呼ぶ前に梶木が駆け出し、背中を捕まえようとした健は右に大きくよろめき、右足首を深く切られていることに気づいた。姿勢が崩れたままフライパンを咄嗟に振りかぶって投げたとき、それが梶木の背中に命中するのと同時に、トラックの陰から飛び出した寧々が体当たりをして真横に倒した。健は梶木の背中から覆いかぶさり、その後頭部を殴りつけた。下敷きになった寧々が身を捩りながら這い出して起き上がったとき、梶木は肘打ちを健の脇腹へ入れて倒し、立ち上がった。体に隙間なく傷を負った状態で周囲を見回すと、出口を目指して千鳥足で逃げ出した。追いかけようとした健は、梶木の右手に何も握られていないことに気づき、思わず振り返った。寧々は、右手をまっすぐ貫通したナイフの柄を左手で支えながら、言った。
「深追いすると、危ないわ」
 健は、ソリオの車体にもたれかかるように座った寧々に言った。
「分かった。このナイフは、抜くなよ」
「このまま、生活すんの?」
 寧々の軽口に、健は神経質な笑いを漏らした。
「アホやな」
 そう言ったとき、礼美が駆け寄ってきて、上着を脱いで健の右足首に巻き付けた。
「足、怪我してるやんか。もう、なんで怪我してるんよ!」
「切られたからに、決まっとるがな」
 健は傷口の少し上で上着を縛ると、言った。
「これ、まだ売ってるか? 新しいの買うわ」
 礼美は首を横に振りながら、頬に流れている涙を両手で払った。
「そんなん、どうでもいいし。てかお父さん、車の運転覚えてたんや」
「急に思い出したわ」
 娘の緊急事態であれば、何でもありだ。健は、礼美の上着と自分の血で賑やかになった右足首を眺めながら、誇らしげに笑った。
 寧々は手に刺さったナイフを見つめながら、やり残した仕事について考えた。我妻と梶木は、最後に裏切った。剛とマリを殺すとして、もう切れるカードがない。新しく使えそうな手がないか、今から考えても遅すぎるぐらいだ。優輝なら、『何も刺さってない方の手で』と軽口を言うに違いない。
 取り返せないことばかりが横たわる自分の世界に入り込みかけたとき、自分の方へ歩いてきた優奈が目の前で足を止め、寧々はその顔を見上げた。まるで、世界を救いに来たように堂々とした佇まいで、その全身に力が漲っている。何度も練習して、頭の中で予行演習をしてきたように、その立ち姿は張りつめていた。やがて無理をしたように上がっていた口角が少しだけ下がり、大きく開いていた目から涙が流れ出した。
「お母さん」
 優奈はそう言うと、呆然とする寧々の前に座った。
「取り返せる。今からでも」
「ごめんなさい」
 寧々はそう言うと、優奈の体を引き寄せた。胸の中に抱え込んだとき、ナイフが刺さった右手を背中に回しかけて、寧々は慌てて手を体から遠ざけた。体を揺すりながら、優奈は笑った。
「刺さってもいいよ」
 寧々は、自分の表情が優奈から見えないことに安心しながら、高い天井を見上げた。剛とマリが生きている以上、何も解決しない。もし、刑務所に逆戻りするようなことがあれば、今度こそ出られないのだから。
 わたしは今、とんでもなく残酷なことをしている。
    

 頭の骨は、どこかが確実に折れている。フライパンの一撃で脳震盪のようになるとは、思ってもいなかった。梶木は熱病に浮かされたように歩き続けていたが、橋の手前で足を止めた。寧々だけがいるはずの工場に、どうしてあれだけの人間が集まってきたのか、全く分からない。
 梶木は欄干にもたれかかると、駅の方向へ目を向けた。我妻は電話に出ない。車も車庫に残してきた。ナイフは寧々の手に刺さっている。今まで当たり前のように存在していたものが、どこかへ消え去ってしまった。ここからは、体ひとつだ。そう思って横断歩道に足を踏み出したとき、真っ暗に見えていた橋の反対側でヘッドライトが点いた。タイヤを滑らせながら急加速したチェイサーツアラーVは、時速百キロで梶木の体を数十メートル跳ね飛ばし、即死させた。
 ヤマタツは喫茶シャレードの前でチェイサーをスピンターンさせると、人が集まり始めるよりも前に橋を抜けて、再び山道へ入った。穴が空いた窓から容赦なく風が吹き込み、狭まる視界の中、ヤマタツは自分の体温が風よりも冷たくなっていることに気づいた。センターコンソールの周りは飲み物をぶちまけたような血だまりができていて、路肩にチェイサーを寄せると、ヤマタツはエンジンを止めた。
 ここまでだ。
 死ぬ間際に何が浮かぶのかなど、考えたこともなかった。頭が用意していた走馬灯はろくでもなく、ほとんどは仕事のことだった。トミキチと最初にやった案件や、モッサンの後始末。三国は信用できないと結論付けたことや、仕事を覚えない吹谷を何度か殺そうと考えたこと。唯一出てこなかったのは、柿虫だった。その顔を意識的に頭に思い浮かべたヤマタツは、考えた。自分には到底できなかったが、本当はこの手で殺しておいた方がよかったのだろうか。強面な見た目だけで人を殺せないモッサンの代わりに、柿虫はほとんどの殺しを代わりにやってきた。どの道、何を考えても今からは間に合わない。
 ヤマタツは目を閉じると、失血死するまでの間、ほとんどの走馬灯を脇へ追いやって、水島を助け出したときのことを思い出していた。
    
   
 最初の違和感は、コンビニで財布を出したときだった。免許証やカードが、何枚か逆に入っていたのだ。落としたときにひっくり返るというのも、考えづらい。三国は街灯がまばらに照らす夜道を歩き、家の鍵を取り出した。フォレスターは置いてきたから車庫がぽっかりと空いていて寂しいが、また買えば済む話だ。
 モッサンを殺したときの感触だけは、おそらくこれからも消えない。あのタイミングで『人を殺したことがない』などと、よくもぬけぬけと言えたものだ。こっちがどんな思いで人を殺してきたかなんて、想像もつかないのだろう。
 三国は家に入って鍵をかけ、チェーンを差し込んだ。廊下の電気は消えていて、居間から柔らかな光が漏れている。雪美は用心深い性格で、素性の知れない夫が帰ってくるという見込みがあるとき以外は、必ずチェーンをかける。最初は締め出されたりして喧嘩もしたが、慎重なのはいいことだ。廊下の電気を点けることなく、姿見でシャツに血が付いていないことを確認すると、三国は髪に触れた。もう乾いているが、明るい場所で見ると血だと分かるかもしれない。
 前に向き直ったとき、居間の中から、ドンと低い音が鳴った。
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ