Sandpit
二十台が収容できる、大きな車両倉庫。停まっているのは、モッサンのダイナルートバンと、三国のフォレスター。一回興味を失えば最後、それは仲間の車ですらなく、ただの不良在庫だった。トミキチは、開きっぱなしになったシャッターの手前にBMWM5を停めると、運転席から降りた。立つ鳥跡を濁さずと言うが、この二台の車はその『濁り』そのものだ。
身の危険を感じて逃げるなら、逃げればいい。しかし、最低限の身辺整理ぐらいはしろと思う。『金魚すくい』を始めてから今まで、色んな人間に聞かれた。どうしてヤマタツばかり贔屓するのかと。見よう見まねで真似られても困るから理由は言わなかったが、それはごく単純で、ヤマタツは自分が存在した痕跡を一切残さないからだ。この倉庫にも、あの男がいたということを示す物は、足跡すらない。
結局、この二台から証拠を消してオークションに出すのは、自分の仕事だ。トミキチはスーツの上着を脱いでM5のボンネットにかけると、大きく伸びをした。積荷の発信機を潰して、予め掘り起こしてあった即席の墓に女を埋めた後、ここまで帰ってきた。上出来だし、土産すらある。トミキチはS&WM37をベルトから抜くと、倉庫の薄暗い照明にかざした。象牙のグリップは本物らしく、二十年近く前の銃なのにシリンダーが回転した痕すらほとんど残っていないから、コレクターズアイテムのようだ。女が地面に落としたことでバレルの先端に傷がついてしまっているのが、悔やまれる。
銃をずっと手に持っていると、ふとしたアイデアが浮かんだ。
海外に出て、銃を使う仕事をする。ヤマタツと二人なら、何か面白いことができるかもしれない。トミキチはM37をまっすぐ構えて、その銃口をルートバンに向けた。国内でちょこまかと積荷の強奪をするより、はるかに派手で、危険な仕事になるだろう。
「やってみますか……」
そう呟いたとき、銃声が鳴って目の前の景色が薙ぎ払われたようにぶれた。M37はいつの間にか地面に落ちており、さっきまでそのグリップを握っていたはずの右手は手首から真っ二つに割れ、薬指と小指がおまけのようにだらりと垂れ下がっていた。トミキチが手を庇いながら後ずさったとき、ずっと岩を噛み砕いてきたような歯を剥き出しにしながら、剛は笑った。
「すな」
その右手に握られたコルトディフェンダーが続けざまに火を噴き、トミキチの胸に穴を空けた。仰向けに倒れ、トミキチは飛んでいったM37に目を向けた。
「あー、それは返してもらうぞ。ちっこい発信機は、高いねん」
剛が言ったとき、トミキチは手を止めた。積荷だけじゃなくて、銃の居場所も追っていたのだ。だとしたら、これを持って現れたあの女は、初めから当てにされていなかったということになる。
「女をデコイにしたんか。鬼やな……」
トミキチが浅い呼吸を繰り返しながら言うと、剛はわざとらしく顔をしかめた。
「デコ……、なんて?」
マリが隣に来て、いつものミスコン立ちになると、言った。
「囮って意味やわ。梨沙子にやらさんでもよかったとは、思うけどな」
「なんでやねん、昌平の親やぞ。適役でしょうが」
剛はそう言うと、笑った。トミキチは、自分が相手をしてきた『敵』の正体を知り、四十年間の人生で初めて絶望を感じた。自分が目指してきたのは、お互いの素性を知らないままでも仕事に徹することのできる、精密機械のような集団だった。後腐れがなく、シンプルだ。しかし、こいつらは違う。家族を鎖でぐるぐる巻きにして、囮にするような人間だ。一度巻かれた鎖は、自分が成長するにつれてどんどん絞まっていき、最後は本人を窒息させる。その終点が、梨沙子と呼ばれた女にとっては、廃墟のプールサイドだった。
だとしたら、初めから勝ち目などなかったのだ。トミキチは自分の運命を受け入れると、顔を上げた。
剛はディフェンダーの銃口をトミキチの頭に向けると、何かを言おうと口を開きかけたが、考え直したように一度咳ばらいをしてから引き金を引き、その頭を吹き飛ばした。
倉庫の反対側に停めたクラウンまで戻ったとき、マリが言った。
「なんか、言おうとしてたな」
「かっこええこと、言うたろと思ったんやけどな」
「なんて言おうとしたん」
マリが、世の中の善意を全て蹴飛ばすような意地の悪い笑顔を見せたとき、剛は前を向いたまま笑った。
「昌平の仇じゃあ、みたいなやつや。チャッチャラーって音楽が鳴って、ほんでパーンよ」
「音楽、誰が鳴らすん」
マリはそう言うと、先に助手席に乗り込んだ。剛は倉庫を振り返ると、小さく息をついた。我妻と梶木は消えた。だとしたら、誰が残っているだろう。
昌平も梨沙子も、もうこの世にはいない。
空のトラックは、後部が軽いから雨の日は滑りやすい。特にエンジンブレーキを強くかけるときは、想像もつかないぐらいに不安定になる。荷物を満載にしているとタイヤの横滑りは起きにくくなるが、その反面重心が高いから、スピードが乗りすぎていると横転するリスクが出てくる。教習所で色々なことを教えてくれた教官とは、卒業後もしばらく付き合いが続いた。自分のトラックを持ったと報告したとき、自分事のように喜んで、飲みに連れて行ってもらった。
今は、昔のことばかりを思い出す。高速道路が反対向きには進まないように、起きたことは何も巻き戻せないというのは、分かっている。だから意地を通すように、頭が逆のことをしようとするのかもしれない。
『これから、色々と厳しくなるぞ。外資のやり方に合わせていかな、生き残れん』
焼酎のお湯割りを何杯も飲む教官はそう言って、発破をかけてくれた。そのときは、これからの自分が送る人生の先にはずっとまっすぐな道路があって、分かりやすく白線が引かれていると信じて、疑わなかった。昌平はまだ生まれたばかりで、梨沙子は購入候補に上がったトラックの写真を見ながら、興味がなさそうに生返事をしていた。
『乗りやすいやつにしいや』
何も知らないからこそ言える、あの柔らかなアドバイス。少なくとも、あの時点で自分は、人生で必要な全てを得ていたのだ。
西川は指示器を出して出口ランプに入ると、丁寧にシフトダウンして左コーナーを回った。ワイパーが雨粒を弾き飛ばす中、レーンがずらりと並ぶ出口料金所が見えた。数えきれないぐらいに通った、見慣れた光景。ついに、地元に帰ってきた。西川は料金所を抜けると、赤信号で静かにスーパーグレートを停めた。
七百五十キロを、走り切った。
『あなたは、人と同じような普通の人生を歩めるとは、思わない方がいい』
それは、小学校のときに担任の先生に言われた言葉だった。家に帰って母親に報告したのは、よく意味は分からないが、酷い言葉だと思ったから。しかし、母親は背中を向けたまま、隣に来た柿虫の体を払いのけただけだった。
『そうやろな。鏡、見てみ』