Sandpit
「大丈夫?」
「大丈夫や。あいつらはよその不良ぽいな」
「みんな、おっさんやったけど」
修哉が言い、拓斗は思わず笑った。
「若いころの習慣が、抜けへんのやろ」
二人の後ろからおずおずと姿を現した優奈は、修哉と拓斗に言った。
「ごめんなさい。これ、うちの家のせいなんです。さっきの人らは多分、うちの親が仕事で揉めた相手です」
拓斗は修哉の方をちらりと見てから、小さくうなずいた。修哉と同級生なら、まだ十三歳。今年ようやく十四歳だ。そんな子供が見せる表情には、到底思えなかった。自分もまだ十七歳で、言うほど色々な人間を見てきたわけではない。しかし優奈の表情には、大人に無理やり首を掴まれて背伸びをさせられているような、痛々しさがあった。今もその全身が、自分の力ではどうにもならないことに押し潰されかけているように見える。
「そうなんや……。大変やな」
拓斗は、サランラップの子かと言いかけたとき、まっすぐ優奈を見つめる修哉の目に気づいて、口をつぐんだ。こっちはこっちで、何かに燃えている目をしている。拓斗は言った。
「中林さんで、合ってる?」
「はい。中林優奈です」
優奈がぺこりと頭を下げ、拓斗は言った。
「兄の拓斗です。おれ、友達を探してて。水島梨乃って名前で、背が高い二年の女子なんやけど」
修哉は思わず、拓斗の横顔を見た。
「マジ? 今も連絡つかんの?」
拓斗がうなずいたとき、優奈は輪に入るように一歩を踏み出した。
「その名前は、聞いたことがないです。電話とかしても、あかん感じですか?」
「一応、電源は入ってるぽいんやけど。既読にもならんし、難しい」
拓斗が言うと、優奈はすぐ横に来てスマートフォンの画面に目を向けた。
「SNSとかに、上げてないですかね」
優奈が言ったとき、修哉が重要なことを思い出したように、拓斗の肩をばしんと叩いた。
「前さ、招待来てめんどくさいとか、カッコつけてなかったっけ?」
「叩く意味よ。あと、ほんまにめんどくさかったんや」
拓斗はそう言うと、水島とのメッセージ履歴を辿った。長い文字の羅列を見つけたとき、優奈が言った。
「これ、位置アプリです」
拓斗はリンクをタップして、『ようこそ』と表示された画面からそのまま『次へ』を選んだ。地図が画面いっぱいに表示されたとき、咄嗟に優奈から体を離してスマートフォンをポケットに仕舞いこんだ。修哉が呆気にとられた表情で、呟いた。
「感じ、悪」
「どうしたんですか? なんか分かりそうですか?」
泣き出しそうな表情で縋るように言う優奈に、拓斗はうなずいた。
「これで、連絡とってみるわ。ちょっとだけ、弟と話していいかな。後藤家の話」
拓斗は修哉を呼び、優奈から充分に離れたところで、小声に切り替えて言った。
「修哉」
最初に名前を呼ばれて、修哉は居住まいを正した。拓斗が呼んでくるときは、ほとんどが『おい』で、名前で呼ばれることなんて滅多にない。
「ラップの子やな?」
修哉がうなずくと、拓斗はヘルメットをハンドルバーから引き抜いて、片手に持った。
「好きなんやろ?」
「好きやで」
修哉が即答すると、拓斗は口角を上げて、そのまま笑顔になった。
「今すぐ、あの子を家まで連れて帰るんや。ダッシュで。できるな?」
「できる。兄ちゃんはどうすんの?」
そう言ったとき、修哉は林の中に見えたヘルメットや、バイクの赤いガソリンタンクを思い出した。人は、あっけなく死んでしまう。そして、バイクを運転している限りは、絶対に無事だという保証がないのも分かっている。でも、今日は状況が違う。同じバイク乗りの友達が、あんな風に死んだばかりだ。それが拓斗にとっては燃料にすらなっているように見えるのが、余計に怖かった。修哉の顔が曇ったことに気づいた拓斗は、その肩に手を置いた。
「分担して行こう。お前は、優奈ちゃんを家に送る。おれは、もうちょっと頑張って水島を探す。全員補導されるかもしれんから、通報はすんなよ」
短いやり取りが終わり、拓斗はヘルメットを被ると、ニンジャのスタンドを下ろして跨り、エンジンをかけた。その音が号令になったように、修哉は優奈のところへ走り出して、言った。
「戻ろう、ダッシュで」
二人が自転車を全速力で漕ぎ始めたのを見届けてから、拓斗はもう一度振り返って誰もついてきていないことを確認した。通報するなと言ってしまったが、本当に正しかったのだろうか。ただ、この件に警察が介入したら最後、あの女の子も何らかの形で捕まるのではないかと、直感が伝えていた。修哉が好きになった相手なら、ギリギリまで茶々を入れたくない。拓斗はスマートフォンを取り出すと、地図をもう一度開いた。
ここから三十分ぐらいの場所にある、雑木林。元々はゴルフ場だった土地の一部で、今は使われていない。
水島が最後にチェックインしたのは、十五分前。
「お前、もうちょっとしっかりせえよ」
ヤマタツは柿虫の体を引き起こすと、柱に押し付けるように立たせた。柿虫は子供のように頭を垂れると、染みついた痛みや屈辱を全て払い落としたいように、体を震わせた。
「すみません」
それに応じようとしたとき、遠くでバイクの甲高いエンジン音が鳴り響いた。ヤマタツはマグナムキャリーをベルトから抜いて、柿虫の頭に向けた。
「悪いな、トミキチから言われてんねん。お前は、もうクビやって」
自分と同じように、地面でもがいてきた人間。撃つなら、今しかタイミングはない。バイクのアイドリング音が響き渡る中、柿虫は自分の運命を受け入れたように、両膝をついた。ヤマタツは無意識に顔をしかめた。
「なんでそんな、物分かりがええねん……」
昔の自分を見ているようで、嫌になる。崩れかけたコンクリートを伝って落ちる雨水が、ずっと同じ場所に落ち続けて最後には地盤に穴を空けるように、足元が崩れるまで、同じことを言われるがままに繰り返してきた。従順で卑屈で、どうしようもなく弱い人間。ヤマタツがそのまま黙っていると、柿虫は濡れた地面に伏せるように頭を下げながら、言った。
「自分は、山井さんによくしてもらいましたから。自分を殺すのも、山井さんであればいいかと思います。はい」
あだ名ではなく苗字で呼ばれるのは、久しぶりだった。ヤマタツはマグナムキャリーの銃口を柿虫の頭に向けた。頭の中がずっと、見えない時計に追われている。今はこうしている時間がない気がしていて、それに名前をつけるための言葉が頭に浮かばない。
「やりたいことはないんか? お前がほんまに好きなことや」
「あります。それは、ありますが……」
「おれがお前の頭を撃ったら、できへんやろが。それでええんかい」
ヤマタツが言うと、柿虫は顔を上げた。エントランスの下なのに、雨を被ったようにその顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「自分は、無理です。やったら、あかんのです」
「ほな、このまま死ぬか? もう、ええな?」
ヤマタツがマグナムキャリーの撃鉄を起こしたとき、柿虫はその金属音を聞いて跳ねるように後ずさった。
「いや、いやです。嫌です!」