小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Sandpit

INDEX|35ページ/58ページ|

次のページ前のページ
 

 両親が笑いを堪えているのを見ながら、修哉は淡々と語った。これはプレゼンだ。夕食はとうに終わって、幸平は追いビール、真由美はコーヒーを嗜んでいる。最もリラックスした状態だと理解していたつもりだったが、どうもそれを狙って発言を待っていることを、見抜かれていたような気がする。
「なるほどなー。塾があったらそうか」
 幸平がそう言って大きくうなずき、真由美が付け足すように言った。
「せやね。塾を終えて家に帰ると、だいたい十時半ぐらいかな。いつもやったらそこから晩御飯。しかし?」
「今日は、晩御飯が終わっております」
 修哉は口調に抑揚をつけることなく、両手を広げた。幸平がビールを脇に置いて笑い出し、真由美は言った。
「ゆえに?」
「友達がおれのチャリに忘れ物してん。返しに行かな困ってそうやから」
 修哉が普段の口調に戻って言い切ると、幸平は眉をハの字に曲げた。
「なるほど。今は何時や? おお、お前、夜の九時やんかいさ」
 大げさに驚いた幸平は、真由美の方を向いてお伺いを立てるように上目遣いになると、言った。
「お母さん、どう思う?」
「うーん、塾なら十時ってのは、いいポイントやね」
 修哉はすかさず、指をぴんと立てた。
「チャリでパッといって帰ってくるのが、一番早いかも」
 軽くブレーキがかかったように、空気が重くなった。修哉は合理的な結論が出るのを待ちながら、思った。拓斗はすぐに外へ出たから両親と顔を合わせていないし、何より友人があんな死に方をした日の夜だ。でも、後藤修哉は今までに無茶などしたことがないし、レーダーがついているように人を避ける能力だって、持ち合わせている。修哉が二人の顔を交互に見ていると、幸平が小指をぴんと立てて、それを見た真由美が机の下で足首を軽く蹴ったのが音で分かった。修哉は笑いながら訊いた。
「なに、その手?」
 真由美が呆れたように、首を横に振った。
「お父さんの小指はな、意思とは関係なくぴーんって立つねん。かわいそうに。な?」
 幸平は小指を収めると、噛みしめるように何度もうなずきながら、言った。
「あんまり話し込んで、遅くまで引っ張り回したらあかんぞ」
 突然飛躍した話に、修哉は真由美の方を見た。
「せやで、女の子の門限は厳しいから」
 二人が出した結論に苦笑いを浮かべると、修哉は手を振って否定した。
「そういうのんじゃないから」
 自分の思わぬ声の大きさに修哉が驚いたとき、幸平は言った。
「おれとお母さんの出会いはな……」
「行ってきまーす」
 食卓から飛び出すと、自分の部屋に上がった修哉は洗面器を手に持った。そのままではスマートフォンが操作できないことに気づいて、一度洗面器を床に置くと、優奈とのメッセージ画面を開いて、『洗面器返しに行っていいかな』と打った。送信ボタンを押してそのメッセージが画面の上に乗ったとき、修哉は大事なことを思い出した。
「いや、返事……」
 合理的に考えれば、返事が来てから動くべきだ。全く後先考えずに、自分の都合だけでメッセージを送ってしまった。普段ならこんなことはしないのに、今は洗面器を小脇に抱えて、右手が自転車の鍵を持っている。玄関でヘルメットを手に取ると、まるで自分の体ではないように、修哉は視線を落とした。この足も頑なで、前に進むのをやめようとしない。
 洗面器をカゴに置いて自転車のスタンドを倒し、最後まで忘れていたヘルメットを頭に被る直前、雨粒が髪の隙間に滑り込んできた気がして、修哉は空を見上げた。雲が紫色の模様になって、まだらに空を覆っている。このタイミングで雨とは、ついていない。優奈の言う通り、神様はDJだ。
 その言葉を声ごと思い出した修哉は、サドルにまたがってペダルを漕ぎ始めた。中林環境サービスは、学校前の道路から田んぼを挟んだ先に、ぽつんと建っている。用事があったことなんてないし、そもそも前を通ったことがない。ただ、自分が幼い子供だったころから、あの建物はずっとあった。確か、昔は外壁がベージュだったはずだ。今は冷たい白色に塗り替えられているし、ロゴも新しくなっている気がする。子供のころからずっと視界に入っていた、何気ない風景の一部。そこに今から洗面器を返しに行く相手がいて、自分が知らない間も、そこで人生を歩んできたのだ。
 優奈が目立つ建物に住んでいるのは、正直羨ましかった。廃ホテルから見下ろせば一目瞭然だが、後藤家は指差されても候補をひとつに絞れないぐらいに、没個性な見た目の一軒家だ。だとしたら、例え景色の一部であったとしても、優奈の記憶のどこかに自分は存在するのだろうか。もし、どこかでその断片を共有しているのなら、是非その話をしたい。そこまで考えたとき、修哉はペダルを漕ぐ足を緩め、自分に向かって呟いた。
「変人ですやん」
 我に返るときはいつも、変なゾーンの最深部まではまりこんだときだ。これも、優奈からすればどう見えているのだろう。実は、冷静なツッコミを入れてくれる礼美がいるから会話が成り立っているのであって、さっきの銭湯帰りの会話も、優奈が体中から湯気を発していたから上手くいったのかもしれない。今回、洗面器を渡したらそこで用事は終わりだ。その後は、何を話せばいい?
 修哉は自転車を停めることなくスマートフォンを取り出して、よろめきながら体勢を立て直した。まだ、既読にはなっていない。『授業中はしずかに』とペンキで描かれた母校の向かい側を通り、修哉は喫茶シャレードの前を通るときに足を止めて、中を覗き込んだ。ドアには『CLOSED』と書かれた札がかかっているが、電気は点いている。カウンターの後ろには礼美の両親がいて、まだひとり、お客さんらしい女の人がカウンター席に座っているのが見えた。
 礼美は、大人の階段を上りたいならおいでと、言ってくれた。しかし、こんな渋い雰囲気の店、百年は早いように思える。修哉は再び自転車を漕ぎ出し、河川敷の手前の道を目指した。優奈からはまだ返事が来ない。しかし、家の前を一周するぐらいなら、バチは当たらないはずだ。とにかくこの謎の勢いだけは、何か外からブレーキがかからない限り、今日は止まりそうにない。
  
  
 ヤマタツは、上着のポケットから取り出した古いメモ帳にボールペンを走らせた。メモを取るときは、いつでも紙だった。データと違って完全に捨てられるし、これを失くさない限りは外に情報が漏れることもない。ミズノのジャージや昔から一貫して履いているニューバランスの685も含め、メモ帳は自分を構成するための、定番アイテムのひとつだった。今は、双眼鏡とベルトに挟んだマグナムキャリーがその仲間入りをしている。
 雨粒が紙の上に落ちてきて、ヤマタツはメモ帳を閉じてポケットに入れると、チェイサーの運転席に滑り込んだ。夜から明け方にかけて、雨が降る。オーディオの時計は九時十分をちょうど回った。ここに来て二十五分が経ったことになるが、結果的には間が良かったと思う。
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ