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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Sandpit

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 優奈が『ネオン姉さん』というあだ名で呼んで慕ってくれていることは、京美から聞いて知った。隙あらば、その話をしているとも。変な自信が湧いたのはそのときで、ほとんど意識することもない内に、栓が抜けたように頭が回転を始めていた。
 我妻と梶木を人知れず引退させて、剛が自分を脅すための材料を足元から崩す。
 その計画は、すぐに形になった。昌平が死んでさえいなければ、今ごろは終わっていただろう。頭から消せない考えに、寧々は静かにため息をついた。そんなことを考えれば考える程、母親としての像はぶれるし、大それたことをしているのではないかという不安がこみ上げてくる。梨沙子の子供のことを『計画の邪魔者』のように考えるのは間違っているし、その考え方自体が中林家のお家芸だ。
「優奈に、なんて言うたらいいんやろ」
 寧々が呟くと、京美は即座に答えた。
「素直に、お母さんですって。それでいいと思う」
 言い終えるのと同時にガタンと大きな音が鳴り、京美は天井を見上げた。
「今の、上?」
     
     
 震える手で、礼美は床からスマートフォンを拾い上げた。電話の向こうでは、優奈の声が響いている。
「おーい、どした? こっちは一階でなんかケンカしとるで」
 礼美は声を出そうとしたが、喉の奥から錆びついた歯車が軋むような音が鳴るだけだった。高遠のことは、ほとんど覚えていない。雀荘と一緒くたになった、ぼんやりとしたイメージだけだ。死んだということも、会話を小耳に挟んで知ったぐらいだ。T8000とクロスワードパズラー梶木がそこに関わっているなんて、思ってもいなかった。今は、ネオン姉さんと話していた両親の記憶と結びついて、その周りだけ不自然に電気が灯ったようになっている。でも、そんなことなどどうでもよくなるぐらい、たった今聞いた言葉が衝撃波のように頭を揺らせていた。優奈の本当の母親は、ネオン姉さんだ。
「優奈?」
 礼美は思わず名前を呼んだ。どれだけ意識しても声が震えてしまい、電話の先がすうっと静かになった。
「大丈夫?」
 このまま優奈の声を聞いていたら、何も話せなくなる。礼美はスマートフォンを落とさないよう力を籠めて、息を整えてから言った。
「うん。廊下でこけた」
「マ? 心配すぎる。一緒にこけたかったわ。そしたら、痛みも半分やん」
 いつも通りの優奈。礼美は間が空きすぎないように歯を食いしばって、今まで通り、自分が言いそうなことを口に出した。
「両方痛い思いするんやから、倍やって」
「ははは、ほんまや。なんで半分って思ったんやろ」
 優奈が、電話の先で笑っている。突然、自分だけが違う宇宙に飛ばされたようだ。礼美は部屋まで戻ると、ずっと不自然な姿勢で聞き耳を立てたことで痺れた左脚をさすりながら、ベッドの上に座った。
「廊下すら敵っぽいから、今日は大人しくする」
 礼美が言うと、優奈はわざとらしく唸り声を出し、最後に勢いよく息を吐いた。
「それがよい。てか、わたしもそろそろ呼ばれそうやわ」
 通話が終わっても、まだ体が浮いているように感じる。体の中に、もう元には戻れない言葉を抱えてしまった。礼美は、『ネオン姉さん』のことを思い出そうとして目を閉じた。文化祭の絵を手伝ってもらったときが、最新の記憶だ。二人とも左利きで、何より話のテンポがよく合っていた。初対面なのに、言葉のキャッチボールが一度も外れることなく、お互いのミットに吸い込まれていく。自分も、優奈と初めて話したときにそう感じた。しかし、ネオン姉さんとの相性の良さはそれを超えていて、嫉妬すら覚えるぐらいだった。
 礼美は真っ黒で艶のないテレビの画面を見つめた。この部屋にいたところで、何もできない。いや、何をしたらいいのだろう。鏡に自分の顔を映し、血の気が引いた両頬に触れたが、涙は出ていなかった。今は、自分の体が暴れ出しても何も分からない気がする。
 自分の家の秘密については、不思議なぐらいに冷静に受け止めていた。高遠という名前は、書類や写真のメモ書きでしか見たことがない。優奈の件が鎖のついた重りのように垂れ下がっているから、内輪揉めでオーナーを殺したことなど過去の話だし、どうでもいいことのように思えてくる。そう思いながら鏡で自分の顔色を見ていた礼美は、ドアがノックされた音で飛び上がった。
「は、はい」
「礼美? お父さん、お客さんと話してるから。うちらでご飯行こか」
 京美がいつものゆったりとした口調で言った。礼美は深呼吸をしてから上着を手に取り、言った。
「行く」
 京美に続いて一階に下り、礼美はカウンターで話すネオン姉さんの背中をちらりと見た。あちこち傷だらけのハンドバッグから、リップクリームを取り出している。その何気ない仕草を見たときですら、『何も頭に思い浮かべない』ということ自体、もう不可能だ。健と目が合ったとき、京美が言った。
「ちょっと、ご飯行ってくるわ」
 外の空気は冷たく、雨が降る直前のように厚い雲がのしかかっていた。礼美が隣に並ぶと、京美は言った。
「何、食べる?」
「あまり、お腹空いてないかも。軽いのがいいな」
 礼美が言うと、京美はファミリーレストランを目指して歩き始めた。健が『何でも屋』と馬鹿にする洋食のチェーン店で、やっかみ半分だと言って二人で笑うのが常だった。今までの丸川家では、そうだった。でも、健の機嫌が悪かったら、どうなっていたのだろう。そのときだけ、冗談と受け取らなかったら? 
 うちは、殺人と地続きだ。
 普通の家と違って、その先に本当の『最終手段』がある。そう考えると、ナトリウム灯に照らされる京美の横顔が突然恐ろしくなった。無意識に足がすくみ、礼美は意識的に足を速めて京美に歩調を合わせた。早く、人のいるところに行きたい。この道を歩いているのは自分たちだけで、夜になると車がまばらに通るだけだ。中学校も電気こそ点いているが、先生たちはほとんど帰っている。
 学校を通り過ぎて、住宅街の手前にあるファミリーレストランに辿り着き、四人席に案内された礼美は雑音に呑まれて胸を撫でおろした。本当は静かな空間が好きだけど、今は周りに何かがないと耐えられない気がする。ほとんどメニューを読まずに自分の料理を注文し、お冷をひと口飲んだところで、礼美は言った。
「お父さん、ネオン姉さんとなんの話してるん?」
「ずっと一緒にやってきた仕事が、今日で最後になるって話」
 京美はあっさりと答えて、お冷をひと口飲んだ。その口調も表情も、自分がよく知る母そのもので、緊張が和らいでいくのを感じた礼美は、同じようにお冷のグラスを持つと、言った。
「ネオン姉さんは、もう来なくなるん?」
 京美は首を横に振ると、グラスの中に答えを見つけたように、目を伏せたまま言った。
「来るよ、普通のお客さんとして。客層からしたら、派手めではあるけど。礼美、ちょっと話が変わるんやけど、いいかな」
 京美と目が合い、礼美は姿勢を正した。自分が知らない世界のドアが開いたようで、たった今、するりとその仲間入りを果たした気がした。大人の会話というのは、こんな風に始まるものなんだ。京美は同じように姿勢と正すと、言った。
「二階が雀荘やったんは、覚えてる?」
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ