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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Sandpit

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 礼美がうなずいたとき、注文した記憶すら曖昧なオレンジジュースが運ばれてきて、ストローがぐるりとこちらを向いた。京美は自分の目の前に置かれたレモンティーをちらりと見てから、続けた。
「オーナーの名前は、高遠。一階の喫茶店を立て直すのに、若い店長を探してた。それに応募したのが、お父さん。コネとかはなくて、顔見知りでもなかった」
「私は、もう生まれてた?」
 礼美が訊くと、京美はそれが今でも愛おしくてたまらない場所であるように、自分のお腹に触れた。
「まだ、中におったよ。やから、十五年前の話。私がお父さんの横でコーヒー淹れるようになったんは、礼美が二歳になったときかな。しばらくはそれが続いて平和やったけど」
 京美はひと息つくと、レモンティーをひと口飲んだ。このまま続行することへの合意を示すように、礼美はストローに口をつけた。京美は、誰も聞き耳を立ててないことを確認するようにレストランの店内を見回してから、続けた。
「高遠が私に手を出そうとしてきたんは、九年前。それが最初やった」
 言葉に出したとき、京美は胸の悪くなるようなコロンの匂いすら思い出していた。すぐ後ろにいた高遠が、エプロンを軽く引っ張ったのだ。ランチタイムが終わり、健が仕入れに出かけたときだった。礼美は今年、十四歳になる。だから、自分の延長線上にこんな袋小路があるかもしれないということは、絶対に知っておいてほしい。実際、これは遠い国の怖い童話なんかじゃなくて、ほとんど体に食い込んでくるぐらいに近くで起きたことだから。
「あの手この手で断り続けて、一年ぐらい経ったときやったわ」
 京美が言うと、礼美は目を丸くした。
「しつこすぎん?」
 京美はその口調に驚き、相槌の代わりに笑顔を作った。娘が戻ってきた。レストランまで歩いた数分間のことは、この先も忘れることはないし、健にも言わないだろう。あのとき、礼美は命の危険を感じていた。他でもない、母親の自分がそうさせたのだ。なぜ廊下にいたのかは分からないが、寧々との会話をずっと聞いていたのだろう。
「しつこいねん、あの男は」
 京美はそう言うと、自分の左肩に触れた。エプロンを咄嗟に元へ戻したときの手つきは、今でも何かがあるたびに体が思い出す、無意識の動きになった。
「お母さん、エプロンめっちゃ着崩すんさ、それが理由?」
 礼美の言葉に、京美はうなずいた。それは、記憶に蓋をする唯一の方法だった。視界がぼやけて、目に涙が浮かんでいることに気づき、京美は慌ててハンドバッグからハンカチを取り出した。今、一番泣きたいのは自分ではなくて、礼美のはずだ。こんな有様だと、どっちが娘か分からない。呼吸を整えると、京美は話を続けた。
「八年前、お父さんが事故したやろ。あれは、ブレーキが効かんように細工されてた」
 礼美の顔が紅潮し、京美は胸にフォークが差し込まれたように歯を食いしばった。こんな思いをさせることすら、間違っている。私は、自分たちの正しさを証明するために、娘を敢えて怒らせようとしている。京美が続けようとすると、礼美は呆れたように首を横に振りながら言った。
「意味が分からん。お父さんが死んだら、お母さんがついてくるって思ったん?」
「高遠は、なんでも無理やり成し遂げてきた男やからね」
 京美がそう言って、核心に触れるための言葉を頭に呼び出したとき、礼美は小さく息をついて言った。
「そっか……」
 拍子抜けして、京美は一時停止ボタンを押したように、頭の中に浮かんだ言葉をそのまま凍らせた。礼美は自分の反応が京美を驚かせていることに気づいて、弁解するように言った。
「いや、そんなん殺して当たり前やわ。お腹空いてきた」
 そう言うと、礼美はオレンジジュースを半分吸い込むように飲んだ。聞き耳を立てていたように料理が運ばれてきて、京美は体を引きながら言った。
「他にも頼む?」
「一旦、食べる」
 礼美はそう言うと、ナイフとフォークを手に取った。京美は言った。
「私とお父さんは、人にお願いした」
「それが、ネオン姉さん?」
「正確に言うと、ネオン姉さんの知り合いかな」
 そこまで言ったとき、京美はふと恐ろしくなった。それが我妻と梶木だということを伝えなくても、いいのだろうか。上手くいけば、今日でその関係は終わる。もし、終わらなかったら? 京美が言葉を切ったままにしていると、礼美は頭に電球が灯ったように顔を上げた。
「分かった。我妻と梶木?」
 京美は、観念したようにうなずいた。寧々との会話を聞いてから、礼美の頭の中はずっと高速回転していたのかもしれない。だとしたら、ほとんど結論が出たこの話ではなくて、礼美が聞きたがっているに違いないもうひとつのことも、ここでケリをつけなければならない。京美がフォークを手に取ったとき、礼美は付け合わせのポテトサラダをフォークで刺しながら、言った。
「ネオン姉さんって、優奈のお母さんなん?」
「そう。色々と、複雑なんよ」
 京美はそう言うと、それ以上話すことがなくなったように、料理に視線を落とした。礼美に話せるのは、ここで終わり。優奈とは友達でいてほしいし、二人が話している様子を見ていると、本当に仲がいいのが伝わってくる。
 だから、絶対に言わない。
 中林家が何をしてきて、これから何をするつもりかは、決して。
     
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ