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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Sandpit

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 当時、産業廃棄物に紛れ込ませて物品を密輸するルートを確立した剛は、ターコイズブルーのトラックでうろつくわけにもいかず、最後の受け渡し場所とそこから先の配達人を探していた。健はちょうどオーナーに殺されかけて、幸か不幸か剛に助けられた。そして、借金でいよいよ首が回らなくなっていた我妻と、社内で暴行事件を起こしてクビにリーチがかかっていた梶木。それを繋げる接着剤が自分だということに、気づいた。
 まず、我妻の借金を清算することから始めた。二千五百万円の借用書。その名義が岡安寧々に代わったとき、高利貸しではないということを強調した。利子を取らない代わりに、これが命の値段だと思ってほしいとも。もちろん、不安要素もあった。我妻からすれば、自分は雀荘で綿棒片手に走り回っていた小娘だ。一対一で対峙したときは自分でも命知らずだと思ったが、我妻が泣きながら土下座をしたときは、肩の荷が下りて倒れ込みそうになった。
 そうやって、我妻は中林家の一部となった。剛は梶木をクビにする代わりに我妻と引き合わせ、適性百パーセントの仕事を与えた。支配者が交替するだけに終わった健には心が痛んだが、隙あらば殺そうとしてくる高遠に比べたら、剛などペットのオウムみたいなものだ。
 寧々は、自分の一挙一動を見守る健と京美の顔を交互に見てから、言った。
「とりあえず今は、兄貴に付き合いきらな。昌平くんが亡くなってるから、手出した奴にはとことん行くと思う」
 仕事が失敗に終わって、剛が復讐に燃えている以上、今は崩れた計画を根本から立て直さなければならない。我妻と梶木が引退して姿を消すことは、この計画の核心だ。二人がいなくなれば、喫茶シャレードも一時的に『受け渡し場所』ではなくなる。そのためには、宙ぶらりんになっているこの仕事を終わらせる必要がある。中途半端なまま姿だけ消せば、剛は地の果てまで追いかけるだろう。
「まあ、兄貴もしばらくはジタバタするやろけど、今から新しい人間を探すんは、難しいで。我妻と梶木がおらんようになったら、コネもないしあかんと思うわ」
 寧々が言うと、京美が薄暗く曇った表情を浮かべた。
「寧々さんも、大変な思いをしたよね。でも、もう終わるかな」
 場の空気を共有するように健が目を伏せたとき、寧々はうなずいた。
「終わってほしいね」
 一度は、まともに生きようとしたのだ。だからその道はどこかに残っていると、今でも信じている。全てが変わったのは、二十五歳の時だった。つわりが酷くてほとんど動けず、朝から連続で鳴っていたらしい電話とニュース映像が頭の中で繋がったときは、昼前になっていた。テレビから流れる『石塚ケミカルで爆発事故』というテロップを見たとき、不思議と冷静だったのを覚えている。優輝は命こそ助かったが、化学薬品を吸い込んだことで免疫系と内臓をやられており、長い時間起きていられないどころか、五年は持たないと医者に言われた。そして、作業手順を守らなかったことで起きた事故だったから、労災には認定されなかった。
 寧々は、呼吸器に繋がれている優輝の青白い顔を思い出し、それがテーブルの上に映し出されているようにしばらく見つめた後、顔を上げた。優輝は退院後も思うように動けず、周りに迷惑をかけることを嫌がっていた。そして、梨沙子は詐欺事件で自分の名前が挙がり、真っ青になっていた。そういう窮地こそ中林家の出番であり、剛の得意分野だった。
『優輝くんな、ええリハビリ施設知ってるから。そこでゆーっくり休んだらええねん。金のことは、心配すんな』
 出産を終えて間もない自分からすれば、それと引き換えに梨沙子の件を引き取ることは、縛られた両足を解くための唯一の手段だった。剛は約束を守り、優輝はそこから息を引き取るまでの三年間を、療養施設で過ごした。約束が地滑りを起こしたのは、そこから後のことだ。寧々が当時のことを思い出していると、その思考を共有したように京美が小さく息をついてから、言った。
「育つと、瓜二つやんね。やっぱり親子なんやなって思うわ」
「優輝に、よう似てるわ」
 寧々はそう言うと、涙をこらえるように顔をしかめた。剛とマリに世話を頼んだとき、優奈は一歳だった。そして、自分が出所したときは四歳になっていた。
『それが、懐いとるんよ』
 最初は、そのひと言で二の足を踏んだ。自分が引き取ったところで、優輝はもういないのだから片親になる。今思えば、あのときに引け目を感じたのが間違いだった。剛には、そもそも返す気がない。そのことに気づいたのは、マリが子供を作れない体だと知ったときだ。そうやって、岡安優奈は中林家のひとり娘になってしまった。
 うちは、役所や警察に駆け込んだら最後、藪蛇で自分が足元を掬われて先に刑務所送りになるような一家だ。そこに綱引きがあるとしたら、上下関係や恩、あるいは弱みといった力学でしか動かない。それに、自分が母親だと名乗り出るのが遅れるほど、優奈に与える衝撃は大きくなる。だから、何度も出向いて剛に頼みこんだが、最終的には決裂した。高遠の殺しの件でお前をいつでも塀の中に送り返せると、脅してきたからだ。
『おれらも終わるやろな。でもお前、次はもう出られへんぞ。そうなったら、優奈は誰が育てる?』
 ロクな兄ではないと思っていたが、そのとき初めて殺意が湧いた。剛は、一度決めたら徹底的にその道を行く。だから、優奈のためを思うなら中林環境サービスの敷地に入ってくるなと、念押しまでした。その中で最終的に引かれたラインは、剛の密輸ルートを守ることの交換条件に、専務取締役として会社に自分の名前を滑り込ませること。
 そうやってお互いの首を手で掴み合う形で、何年もの歳月が流れた。
 今思えば、娘を混乱させないために何歩も引き下がっていた自分が馬鹿らしく思えてくる。そう思うようになったきっかけは、去年の秋。我妻の引退の件を伝えるために、喫茶シャレードに寄ったときだ。閉店間際を狙ったが、礼美がまだ店内にいて、床に大きな画用紙を広げて考え込んでいた。健は、文化祭の準備を放置しすぎて今更急いでいると、呆れていた。そのとき、礼美と同じ制服を着た少女が、筆洗いバケツに水を入れて戻ってきた。誰に何を聞くまでもなく、それが優奈だということが分かった。
 もう小さな子供ではなく、優奈は自分の生き写しだった。左利きで絵が上手いのは自分に似ていて、底抜けに明るくてよく笑うのは、優輝が乗り移ったようだ。初めてその姿を見たときの衝撃は頭に刻み込まれたし、はっきりと思い知らされた。塀の中に戻るのを恐れて逃げ回る代わりに、自分はこれを逃してきたのだと。中林優奈は、幸せな中学生に見えた。丸川礼美という大親友がいて、何不自由なく暮らしている。
 目が合ったとき、優奈は絵の作業に戻るか迷っているように体を揺すりながら、『場所めっちゃ取ってすみません』と言って頭を下げた後、グラスを持つ手を見て『左利きですか?』と興味津々で聞いてきた。自分にできたのは、まず名乗って、絵を手伝い、優奈の表情を一秒でも多く記憶に刻むことぐらいだった。
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ