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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 姉とこんなに長い時間を過ごすのは、久しぶりだった。電話が入ったのは、朝の八時半。一昨年から経営しているアクセサリーショップには臨時休業の札を出して、梨沙子が住むマンションまで駆け付けた。剛が昌平の面倒を見ていることは知っていたが、まさか運び屋をやらせていたとは、さすがに想像の範囲を超えていた。そんなことを知った梨沙子がじっとしていられなくなるのは、時間の問題だった。剛と顔を合わせたところで、その勢いに飲み込まれるのは目に見えている。それは分かりきっていたが、結局、梨沙子を家に留めておけるだけの言葉は、見つからなかった。
 中林家が持つ引力は、凄まじい。夫が死んでも岡安の姓を名乗り続けるのは、中林という苗字にまとわりつかれるのが耐えられないからだ。苗字が岡安である限り、自分が中林家の人間だということを忘れていられる瞬間が、日に何回かはある。でも、家族の一大事は別だ。特にそれが、梨沙子の息子となっては。そういうときは、中林家の人間に戻らなければならない。
 自分がまだ幼かったとき、梨沙子はほとんど母親のように、常に盾になってくれた。だから、悪仲間に注目を浴びたのはあくまで『末っ子の少女』としてであって、自分が役割を任される年齢に上がるころには、当時の仲間は行方不明か、塀の中に入っているかのどちらかだった。
 梨沙子自身も、抜け出したがっていた。虫も殺せなさそうな見た目の信介を紹介されたとき、カタギになるのだと確信したし、本人もそれを望んでいるのだと思って、本気で応援した。だから、結婚してすぐに梨沙子が足元を掬われたときには、迷わず助けた。
 今となっては、どうしたらよかったのか分からない。知り合いの弁護士は、再犯だから五年が妥当だと言っていた。無実を争うにも電子犯罪でアリバイを立証するのが難しく、長い裁判に巻き込まれるとも。当時、昌平は九歳。五年後に出てきたら、十四歳。そんな足し算を頭の中でしたことを、よく覚えている。寧々がアイスティーをひと口飲んだとき、グラスを拭いて棚に戻していた京美が振り返った。
「怒っても、のれんに腕押しやろね」
「兄貴には、何を言うてもあかんと思うわ」
 ストローから口を離して、寧々は呟いた。振り返ればどうとでも言えるが、家族全員が揃っていたにも関わらず、西川家は崩壊した。自分が棒に振った三年間は、我妻と梶木が受け渡しに失敗した上に昌平が死んだ今となっては、輪をかけて、何の意味もなかった。ただ、自分の生活を積み木崩しのようにバラバラにしただけだ。
「こんなときに自分ごとで申し訳ないんやけど、我妻の件は……」
 健が声を落として言うと、寧々はストローを指でつまんだまま、うなずいた。我妻が引退の件を持ち出してきたのは、去年の秋のことだった。昔のようには動けないから、もう終わりにしたいと。ここ十年は何も変わっていないように見えたから、単純に疲れたのだろうと解釈した。そして、この業界から足を洗うということも受け入れた。梶木も、我妻を通じて海外の組織へ飛び立つ。そうやって、喫茶シャレードを受け渡し場所として利用しながら、健と京美を監視してきた二人は、姿を消す。
 我妻と接点が生まれたのは、まだ高遠が雀荘と喫茶店の両方を切り盛りしていた、二十年前のことだ。自分は高校を卒業したばかりで、十九歳だった。大学に行くこともなく、クラブで知り合った男が経営する建築事務所で『秘書』として雇われながら、夜は雀荘でアルバイトをしていた。つまり、ここの二階が職場だったのだ。我妻の当時のあだ名は、『綿棒のガズ』。卓が盛り上がってくると耳を触る客が増えるから、アルバイトで使う制服のポケットには常に綿棒を常備していた。しかし、我妻の使い方はあまりにハイペースで、特に顔見知りだけが残って賭けが始まると、コンビニへ買いに走る羽目になることもあった。そんな我妻の弱点は、言うまでもなくギャンブル。閉店後に仲間と興じる賭け麻雀など可愛いもので、コツコツと返済はしていたらしいが、噂で聞く限り、常に一千万円ほどの借金を背負っていた。仕事がブローカーで取り扱う商品は『人』だという、都市伝説めいた噂も立っていたが、負けているときの顔つきは、捨て犬ですら憐れむのではないかと思えるぐらいに情けなかった。
 濃い面子が卓を囲むのを見守って四年が経った、二十三歳のとき。自分の方に転機が訪れた。知り合いに社会勉強だと連れられてきた、石塚ケミカルの現場責任者。それが岡安優輝だった。会社のバッジをつけたスーツ姿は場違いで、一周回って凄腕にすら見えたが、周りが気を遣って手加減をするぐらいに麻雀は下手くそだった。でも、負けても冗談を飛ばすだけで、ずっと笑っていた。卓を見守っていた四年間で、あれだけ場の雰囲気が明るくなったのは、初めてだった。言葉を交わしたのは、優輝が外の空気を吸うために一階へ降りたときで、それに合わせて休憩を取った。
『むずいよね。場の雰囲気とか悪くしてないかな、雑魚過ぎてさ、おれ。麻雀』
 倒置法を通り越して、ここまでめちゃくちゃな順番で話す人は、初めてだった。あのときは緊張して慌てていたからと後で言っていたが、慌てていなくても同じだった。
 優輝と付き合うようになって、その日の内に建築事務所の男を切り、夜に雀荘へ出勤して、今日で辞めますと告げた。二十三歳の口座に何千万円もの金があるのが何故か、それを説明する必要があると思ったし、優輝のために生き方を変えるということを、証明したかった。思い返せば、真面目に生きるためのお膳立てを梨沙子がしてくれたはずなのに、高校を出てからずっと、自分から進んで怪物の足元をすり抜けてきたし、何度かは警察のお世話にもなって前歴もついていた。でも、その生き方は優輝と出会って変わった。
 氷が音を立てて現実に引き戻し、ストローを指から離した寧々は、健と京美がまだ不安そうな表情を浮かべていることに気づいて、言葉で補足した。
「高遠の件は、もう時効でしょう」
「あれがなかったら、うちは終わってた」
 健の言葉に、寧々はうなずいた。自分が雀荘を辞めるときも、しつこい性格の高遠とは後から相当揉めた。死んで悲しむ人間はいただろうが、そんな人間も含めてくたばれと言いたくなる。待っていれば、時代の変わり目というのは必ず来る。でも待っている間に取り返しのつかない結果を招く可能性があるときは、先手を打った方がいい。あのときは健と京美にとって、高遠がこの世から消えることが、最優先事項だった。そして自分は、それを実現出来るだけの道具を持ち合わせていた。まずは、資金。今思い返せば、うんざりするぐらいに金だけが手元にあった。使う相手がいないのだから、意味を成さない。そう思っていたが、実はそれがパズルの最後のピースだということに気づいたのは、もう八年も前のことだ。
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ