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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 昌平は、五年前に家を出た。信介には『何も知らない』と言ってきたが、それは、真面目で昔気質の信介が、昌平に対して本当に愛想を尽かすのが怖かったからだ。昌平は、出て行ってしばらくの間、テキ屋の見習いをしていた。十七歳の少年にできることなんて、大してない。そう思っていたから、最初の一年は金銭面で助けながら、どうにかして糸を繋いだ。そして、限界を感じたときにちょうど様子を聞いてきたのが、剛だった。
『うちで面倒見よか。仕事やったら腐るほどあるぞ』
 まさか、運び屋をやらせているとは思わなかった。そして、昌平から最後まで『うまくやってます』という言葉しか聞き出せなかったのは、自分の不手際だ。
「梨沙子、えらいことになったわ」
 剛は眉をハの字に曲げると、お手上げだと言うように両手を広げた。その胸に平手を叩きつけながら、梨沙子は言った。
「あんたを信じたのに。私がアホやったわ」
 ぴくりとも動かず、剛は梨沙子の顔をまっすぐ見据えた。 
「お前は、いつもアホやろ」
 梨沙子はハンドバッグを振って、剛の脇腹に叩きつけた。マリがパーラメントに火を点けてモデル立ちになったとき、剛は言った。
「ははは、中林家の女やな。ほら、もっと手え出せ。あんなハゲに牙抜かれくさって、情けないのー」
 信介の顔を初めて写真で見た剛は、『こいつはハゲるどー』と短いコメントを残した。だから、それを証明できたことを唯一の手柄のように話す。梨沙子はハンドバッグを引き寄せると、中林家だけで通じる『言葉』を思い出しながら、深呼吸をした。
「どないすんの。このまま、こそこそゴミ屋続けるんか」
「何も見んで、しょうもないことほざくな。今朝から、取り掛かっとるわ」
 剛が言い返したとき、マリはパーラメントの煙を宙に吐き出し、キャンターの車体を見上げた。
「昌平くんは、立派にやってたよ。今回のは、新手のタタキやと思うわ」
 梨沙子は、マリの顔を睨みつけた。この女には、違う力学がある。地球の重力ですら違う方向に効いているような、現実離れした超然とした立ち姿。十代後半から誰かの横でモデル立ちを続けて、この小男にひっかかった。すぐに捨てるだろうと思っていたら、でこぼこ夫婦のまま十五年続いている。
「なんで、うちの子が運び屋なんよ」
 梨沙子が誰にともなく言うと、マリが煙を吐き出しながら答えた。
「一番、お金になるから。ドライバーやらしてもよかったけど、うちの給料やったら続かんやろうし。欲しいって言うてた車、なんやったかな。今年の頭にあれ買って、嬉しそうにしとったで」
 梨沙子は、マリの言葉を逃さず聞き取った自分の耳を呪った。この女は、自分が昌平から聞き出せなかったことを、何でも知っている。剛はマリの方をちらりと見てから、言った。
「三菱のアウトランダーやな。現金で買いよった。特別仕様の、七百万ぐらいするやつや」
 二人が言いたいことは、痛いほど分かる。その道を選んだのはあくまで、昌平なのだ。梨沙子が黙っていると、剛は続けた。
「筋の悪い奴には、そもそも頼まん。昌平はお前んとこのハゲ譲りで、運転が上手かったんや。だいたい、他人はよう分からんのよ。どっかで血い繋がっとかな、ややこしいことは頼まれへん」
 早口で話す剛の横顔を見ながら、マリが煙を吐き出しながら笑った。梨沙子は気づいた。自分が言いたかったことは、もう頭にひとつも残っていない。中林家は、悪事に関しては家族経営だった。それに巻き込まれて息子が死んだはずのに、巻き込まれたという言葉だけが上手く飲み込めない。中林家の人間なら、手を貸すのが当然だ。剛からそう言い聞かされてきたからか、昌平が遊ぶ金を求めて危ない仕事を引き受けたのも、剛が新車を買えるだけの報酬を湯水のように与えていたのも、当たり前どころか、ほとんど善行のように感じてしまう。
 剛は、梨沙子が言葉を発しないことに耐えかねて、噛み合わせの悪い歯を舌でなぞって咳ばらいをしてから、言った。
「昌平には、ヤバいことになったら学校前の道路で積荷を捨てろって言うてた。そこまでは、言う通りにしよったわ」
「なんで、そんなことをしたん?」
 梨沙子が冷静な口調を取り戻すと、うんざりした表情のマリが吸い殻を地面に捨てて足でとどめを刺し、ようやく会話に戻る気を起こしたように、言った。
「追手がここで足を止めるから。少なくとも、面は取れるし。捕まえられそうやったら、いてまうけど。な?」
 マリは剛の顔を見ながら、歯を見せて笑った。梨沙子は、マリの横顔を見つめた。立ち振る舞いは蝶のように優雅でも、吐き出される言葉で蛾だと分かる。澄ました顔をされるより、こちらの土俵まで下りてきてくれた方が話しやすい。
「見張りは寝とったん?」
 梨沙子が言うと、剛は呆れたように目をぐるりと回しながら、首を横に振った。
「追手が、予想以上にアホやった。捨てたんに気づかんと、そのまんま追いかけていきよったんや」
 マリがくすりと笑い、梨沙子は思わず口角を上げた。頭ではブレーキがかかっているはずなのに、条件反射のように体に染みこんでいる。
「で、誰かが気付いたんやろな。戻ってきよったけど、今度はヤンキーのバイクと揉めて、取らんままどっか行ってまいよった」
 剛は残念そうに肩をすくめると、少し血走った目を忙しなく瞬きさせた。
「おかげさまで、寝てまへん」
 マリは新しいパーラメントを口にくわえると、火を点ける前に言った。
「今日の昼に、取りに来たわ」
 それでは、強奪の手助けをしているみたいだ。梨沙子が剛の方を向いたとき、剛は短い手を目一杯広げた。
「でーっかい視点で見ろ、梨沙子」
 昌平が投げ捨てた積荷に、追手は気づかなかった。だから、すぐに回収した。そのままにしておいてもよかったが、敢えて排水溝の中に戻した。捨てる前と違うのは、位置情報を伝えるGPS発信機が埋め込まれているということだ。剛は手を下ろして、続けた。
「うちの人間に手え出したら、飼っとるペットまで皆殺しや。積荷の場所は、バッチリ掴んどる。関係者の情報は、もうちょっとかかりそうやな」
 梨沙子の目に火が宿ったのを見たマリは、歩調を合わせるようにパーラメントに火を点けた。剛は、妻と妹の両方が自分に注目していることを確認してから、言った。
「信介くんは、こっちいてんのか?」
 剛の口調が柔らかくなり、梨沙子は俯いた。自分のペースに巻き込んだら、その物言いはがらりと変わる。アホの妹は梨沙子になり、ハゲの旦那ですら信介くんになる。
「今、東の方を回ってるわ。戻ろうとはしてるみたいやけど」
 剛はマリと顔を見合わせて笑ってから、梨沙子に向き直って言った。
「よっしゃ。ほな、寧々の家に泊まるって言うとけ」

     
 いつもなら、ロングアイランドアイスティー。今日はただのアイスティーだった。寧々は、人の生死に関わる話をするときはアルコールを飲まない。カウンターの後ろで、健はその顔をまっすぐ見据えた。寧々はストローを指で遠ざけながら、呟くように言った。
「梨沙子は、工場の方に行ったわ」
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ