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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 吹谷と廃墟の中に入ったのが、昼前。次に時間が確認できたときには、もう夕方の四時になっていた。つまり自分は、このシャフトの中で四時間も意識を失っていたことになる。そして腕時計によると、今は夜の八時だ。
 吹谷とは、少し休憩してから山を越えて駅まで行こうと打ち合わせ済だった。面白半分で高校生を轢いたなんてことはヤマタツには言えないし、吹谷も自分に火の粉がかかるのはごめんだろうから、首が取れるような勢いでうなずいていた。
 廃墟はかなり荒廃していて、一階は雨漏りが酷かったが、二階のレストランだけが綺麗な状態だった。片付けられた椅子を並べて、その上に横になって休憩している内に眠気が来た。そして、次に目が開いたときには体が宙に浮いていた。真っ暗な景色が広がっていて、咄嗟に顔を庇ったが足がチェーンのようなものに挟まって、体が反転したところで気を失った。
 左足は、確実に折れている。ふくらはぎの辺りが熱を帯びていて、意識を向けるだけで激痛が走った。後は、右肩もほとんど動かない。体の状態は分かったが、外の状況は何も分からないままだ。スマートフォンはポケットを探っても見当たらないから、盗られたか、もしくはエレベーターの底だ。
 仮に自分を投げ落としたのが吹谷だとしたら、その動機は数えきれないほどある。好き勝手にこき使ってきたし、同じ人間だとは、正直思っていなかった。だからこそ、これだけのことをやってのける度胸があるとは思えない。図体に反してあんなに気の小さい人間も、中々珍しい。
 モッサンは無事な左肩を揺すり、続けて左手を振った。右足も無事だから、今は体があべこべに生きている状態だ。ここから脱出する方法はひとつ。カゴの天井にある救出口をこじ開けて、中に飛び下りることだ。高さは二メートル近くあるから、片足で着地などはできない。その痛みを想像するだけで、このままシャフトの隙間の住人になった方がいいのではないかという気すらしてくる。
 今思えば、チェーンに足が引っかかったのは、落とした側からすれば誤算だったのかもしれない。モッサンは、冷静さを取り戻して久しい頭で考えた。相手は、頭から落として殺すつもりだったに違いない。だとしたら、自分がまだ生きているということを知らない可能性が高い。頭が今後のことを考え始めたとき、外でエンジン音が響いて、ちらついていた赤い光がついに消えた。おそらく、現場検証を終えた警察が引き上げた。高校生を殺した車と運転手の両方が、すぐ近くの廃墟にいるというのに。間抜けもいいところだ。そう考えると、ウェイストポーチの中で静かに役目を待つ拳銃が、途端に存在感を増した。
 モッサンは笑いを噛み殺しながら、足を固定する方法を考え始めた。
 
  
 優奈との電話は、いつだって笑いが絶えない。礼美は、いつものように屋上で興奮気味に話す声を聞いて笑っていたが、修哉と銭湯帰りに遭遇した下りを聞いたとき、思わず大きな声を上げてから口元を手で覆った。優奈が電話の向こうで負けじと笑い、言った。
「今、鳥が電線からバーッて飛んでったんやけど。多分、レミたんの叫びが聞こえたんやで」
「店の窓、全部割れてるかも」
 礼美はそう言うと、肩にかかる髪を黒電話のコードのように指に引っかけて、続けた。
「連絡先交換して、川べりで小粋に喋った? マジで言ってる?」
「先に川べりやで。わーって盛り上がって、そこでちょちょいって」
「マジかー、空から見下ろしたかった」
 礼美が言うと、優奈は感情を抑えた口調で応じた。
「見ててほしかった。証人になってほしい。こんなコマ進むって、思わんやん」
「すごろくに例えるの、好きやんな」
 そう言って礼美が笑うと、優奈は同じ声色で笑った。
「めっちゃ戻されるときあるやん、人生って」
「重い重い」
 礼美はそう言いながら、ひと呼吸置いた。優奈は『高林』から『低林』にコンマ五秒で切り替わるときがある。もしかしたら、今もそうなのかもしれない。あまりにもいいことが起きすぎて、その反動で折れかけているようにも見える。
「大丈夫?」
 礼美が訊くと、優奈は即答した。
「うん。今日、めっちゃすごい日」
 そう思っているなら、何も心配は要らない。礼美は上着を引っかけると、部屋から出た。
「ちょっと店の前ふらーってするんやけど。会ったりできる?」
「ごめーん、剛とマリに呼ばれてるから、今は無理」
 優奈の言葉に肩をすくめたとき、礼美は一階から珍しい声が聞こえることに気づいた。閉店時間が過ぎても一階で話している健と京美の声は、いつも通り。でも今は、そこに三人目が混ざっている。しばらく耳を澄ませて、礼美は気づいた。
 ネオン姉さんが来ている。
 礼美が無意識に息を呑んだとき、電話の向こうで優奈が『あっ』と声を上げた。
「誰か来たわ。歩きって珍しいな」
      
     
 梨沙子は、夜になってもLED照明で白く光る車庫を見つめた。中林環境サービス。長男は剛で、ろくでもない方向にだけ頭が回ることで、昔から悪名高かった。人を集めて焚きつける天才で、中学校のときに起きたケンカの半分は、剛があちこちに噂を吹き込んで引き起こした。六歳離れた妹の自分からすれば力でも言葉でも敵うわけがなく、ずっと迷惑な存在だった。そして、自分が中学生になる頃には、『あの中林の妹』だということが広まっていて、真面目に暮らすことはもう不可能だった。悪い仲間からの期待と畏怖は表裏一体で、少しでも引いたら最後、剛に直接は向けられない悪意が自分へ降りかかるのは、目に見えていた。仲間に引きずられている内に過失致傷で前科がつき、就職先の選択肢は針の先ほどに狭まった。
 二十代に入って、学校という縛りが完全になくなっても、前科は呪いのように付きまとった。運送会社の事務員として働けたのが、今となっては奇跡だ。西川信介と知り合ったのもこの会社で、結婚式の計画を立てるころには、中林家のことをほとんど話していた。信介はあまり近寄るなと言っていたし、その通りにしていた。
 生活は順調だった。昌平が生まれて、信介はひとり親方になり、夢だった自分のトラックを持った。問題が起きたのは、昌平が九歳を迎える年だった。『昔の仲間』に名前を使われたことで、全く手を動かしていないにも関わらず、詐欺事件の重要参考人になってしまったのだ。そこから事態が収束するまでの半年間は、思い出したくない。前科がある自分は、次は確実に実刑を食らうと確信していた。身代わりで出頭してくれた妹の寧々には、本当に迷惑をかけた。自身の前歴を隠して肩代わりしてくれたことが分かったのは、執行猶予が付かないことを知った後だった。中林家は、長男の剛を筆頭にまともな人間がいない。でも、寧々が自分を庇ってくれた恩だけは、今も記憶の最前列にいる。今は特に色々なことが頭に浮かぶが、ひとりになる度に自分の人生を振り返りたいわけではない。勝手に再生されて、止められないだけだ。
 梨沙子は、車庫の中をつかつかと歩いた。ターコイズブルーのキャンターにもたれて、剛がマリと話しているのが見えたとき、声を張り上げた。
「どういうことなん! 説明してや」
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ