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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 優奈はそう言うと、スマートフォンにQRコードを表示させてから、差し出した。修哉は慌てて自分のスマートフォンを取り出し、お互いに登録を終えてひと息ついてから、場を仕切り直すように言った。
「よろしくお願いします。てか、いつも思うんやけど、家の建物大きいよね」
「機械とかトラックがあるから。人が住めるとこは、半分もないで」
 優奈はそう言うと、スマートフォンのホーム画面を見つめて目を見開いた。
「時間ヤバい。帰らな怒られそう。じゃ、次は電話線? 通信しよ」
「うん、バイバイ」
 修哉は、早足で川沿いの道を歩いていく優奈の後ろ姿を見送った。連絡先を交換したいとは、ずっと思っていた。でもどうしてそれが、学校で盛り上がった日や、なんてない日の通学路とかでなく、兄の友達が死んだ日なのか。優奈の言う通り神様はDJで、中々意地が悪いタイプなのかもしれない。しばらく真っ暗な川面を見つめた後、修哉はハッピーターンが入った袋を手繰り寄せた。そのまま視線を落としたとき、ケロリンの洗面器が着替えの袋ごと置きっぱなしになっていることに気づいて、苦笑いを浮かべた。どうやって渡せばいいだろう。例えば自転車のカゴに入れておいて、帰りにこっそり手渡すとか。
 具体的な方法はそれ以上思いつかず、修哉はハッピーターンと洗面器を片手にまとめて持って立ち上がると、スマートフォンで家までの道を調べてから、その通りに歩き始めた。


 優奈は、耳の先まで熱くなった顔に手を当てて、家までの道を歩きながら、呟いた。
「神様、進んだコマを戻さないでください」
 知らんけど、とはつけなかった。代償があったとしても、知らない。頭からつま先までが急激に冷えて、ひとりだけ真冬の中を歩いているように感じる。中林環境サービスの看板が少しずつ近づき、並んで建つ民家のセンサーライトが、犯人探しをしているように、前を通り抜ける度に自分を照らしていく。
 こんなに長く話したのは、初めてだった。二人きりで話したのも、よく考えれば初めてだ。礼美には申し訳ないけれど、楽しかった。優奈は早足で歩きながら、目線だけを空に向けた。もう、そこへ顔を重ねる必要もない。話せたことで、今は頭の中にイメージができ上がっている。どんな性格で、挨拶以外にどんな言葉を話すのか。その端っこを掴むことに、成功した。同時に、その嬉しさを相殺するように、同じ言葉が頭の中で繰り返される。
 お願いします。どうかこれは、取り上げないでください。
 優奈は足を止めると、目を強く閉じた。今日が『その日』なら、ささやかなお願い事をひとつ足したぐらいでは、バチは当たらないはずだ。
「マジでお願い……」
 あまのじゃくな神様には、前科がある。去年、喫茶シャレードで初めてネオン姉さんと会った。文化祭が迫っているのに出し物が間に合わなくて、とにかく焦っていたときだ。礼美と二人で、がらんとした床に下書きの済んだ用紙を広げて頭をひねり、筆洗いバケツの水を入れ換えて戻ってきたら、その間に来店していたネオン姉さんは、カウンター席に座っていた。話し方や紅茶を飲む所作を間近で見ている内に色々と気になって、つい話しかけてしまった。そこからは絵の作業に戻ったけど、今度はネオン姉さんがすっと立ち上がって、興味深そうに絵を眺めながら話しかけてきた。
『文化祭?』
 あの、掠れた声。元は高くて、そこに錆びついたフィルターがかかったような、独特な声だった。絵を手伝ってもらっている内に、ネオン姉さんは色々なことを話してくれた。岡安寧々という名前で、自分と同じ左利き。十年前に夫を亡くして以来は、ずっと独身。他にも色々と教えてもらった後は、自分の話をした。中学一年生はどんな感じで、学校で何の話をしているか。話題は尽きることがなく、その間も絵は急速なスピードで仕上がっていった。そして、礼美と二人でお礼を言い、ネオン姉さんを見送った。ここまでが、良かったパート。なぜなら、家に帰るまでの道で、『また会えますように』と願掛けをしてしまったから。
 家に帰って、剛とマリにその話をすると、剛が突然車に飛び乗って、喫茶シャレードへ突撃していった。どんな文句を言いに行ったのかは、知らない。でも、穏やかでないのは確かだった。マリはミスコン立ちのまま見送って、毒物のように鮮やかなターコイズブルーのトラックにもたれかかりながら、言った。
『あの人とは、喋ったらあかんで』
 こうやって、神様はバランスを取る。こっちが乗って、手の平で踊るのを待っているのだ。岡安寧々という名前が会社のホームページにも載っていて、専務取締役だということを知ったとき、相当仲が悪いのだろうということを想像して、そのまま記憶に蓋をした。
 優奈は広い車庫に入ることなく大きく迂回して裏口に回り、事務所の通用口を開けた。一部を生活用に改修してあり、二階の元応接室が自分の部屋だ。ここに遊びに来たことがあるのは、礼美だけ。『うちの家ぐらいある』と言って、礼美は部屋の広さに笑っていた。二回目に来たときは、殺風景な壁に店から持ってきたポスターを貼ってくれた。そのポスターは今でも同じ場所に貼ってあるし、宝物だ。スーツを着た白黒写真の五人組が片膝をついていて、英語でビーチボーイズと書かれている。
 礼美がそうしようと思うぐらいに、この部屋は事務所然としている。置かれているのは、テープで補修した跡のある黒いソファベッドと毛布。あとは、二十七インチのテレビとノートパソコン。中学生が住んでいることを示す要素は、ハンガーに制服がかかっていて、事務机に参考書が数冊置いてあるということぐらい。ほとんど座ることがないから、学校の鞄は常に椅子の上だ。
 礼美がポスターを貼ってくれて初めて、気づいた。これは普通ではないのかもしれないと。同時に、人の普通を知るのが怖くなった。だから、何度も誘ってもらってはいるけど、礼美の部屋にはまだ遊びに行ったことがないし、それは早く克服したい目標のひとつだ。優奈は部屋着のジャージに着替えると、部屋を見回した。
 後藤くん。話の途中で急いで帰ってきたから、まだ何かが外と繋がったままだ。何も約束していないけれど、もしそんな機会があるとしたら。こんな部屋、絶対に見てほしくない。これが普通じゃないということは、今は分かりきっているから。もう一度部屋を見回した優奈は、洗面器を忘れてきたことに気づいて、ソファベッドの上に腰を下ろした。それを口実にすれば、外と繋がったままの糸を辿って、今日の内にもう一回会えたりするかもしれない。でも、そんなことはしない。
 これは、神様がバランスを取ろうとするために仕組んだ、姑息な罠だ。
 それでも洗面器の行方は気にかかり、優奈はスマートフォンを胸の前に掲げてまっさらなメッセージ画面をしばらく眺めると、鼻息を細く吐き出しながら文章を打ち込んだ。
『急ぎ過ぎてケロリンを忘れました。誰かに拾っていただき、そこでの更なる活躍を期待しております』
 送信すると、数秒で既読になり、返信が現れた。
『大丈夫、気づいたよ。保管しとくわ。今日必要かな?』
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ