Sandpit
待合室には客が数人いて、バラエティ番組が流れるテレビを見上げていた。かなり上に設置されているから、全員首がもげそうな角度になっている。三国が腰を下ろして同じようにテレビを見上げたとき、隣に座る常連客らしき男は、そのさらに隣の客と顔を見合わせて、無念そうな表情を浮かべながら言った。
「夕方にな。ホテルの跡地の傍で、バイクごと見つかったらしいわ。かわいそうにな。川端さんとこの子やろ」
「やんちゃ坊主やけど、ええ子やった。また、テレビでもやりよるやろう」
三国は息を呑んだ。川端というのが誰で、どこで何が起きたかまで、頭の中に明確なイメージが浮かび上がった。間違いない。あのバイクだ。セフィーロを追いかけてきたのだろう。そして、おそらく運転していたモッサンがキレて、バイクを衝突させた。トミキチ率いる犯罪者集団にとっては、日常茶飯事。自分が一員だから、その荒っぽさは嫌というほど理解している。
三国がテレビから視線を逸らせたとき、女湯の暖簾が動いた。ちょうど、ケロリンのロゴが入った洗面器を小脇に抱えた少女が出てくるところで、無意識に目で追っていると、空いたばかりの隣に勢いよく座った。湯に浸かりすぎたらしく、壊れた機械のように全身から湯気が上がっている。目が合いかけて、三国は顔を明後日の方へ向けながら、見覚えがあることに気づいた。このままやり過ごそうと決めたとき、声がかかった。
「おー」
そう言うと、優奈は体を捻って、顔を覗き込んだ。三国が目を合わせると、ぺこりと頭を下げた。
「朝、シャレードいましたよね。コーヒー、どうでした?」
「美味しかったですよ」
三国はかろうじてそれだけ言うと、前に向き直った。優奈はテレビを見上げて、目に半分かかった前髪を左右に払った。
「リピします?」
三国は言葉の意味をしばらく考えて、リピートの略だと気づくのと同時にうなずいた。
「地元の人の、邪魔をせん程度には」
「朝、シャレード行って、夜にスパまつって。地元民コースですよ。でも、地元ちゃうんや」
優奈は足を浮かせて伸ばしながら言うと、三国の方を向いた。
「中林です」
それは知っている。セフィーロの目撃者候補だ。ここで接点を完全に切るよりは、もう少し話してみた方がいいのかもしれない。だとしたら、名乗らない方が怪しまれる。そう思った三国がどうやって応じるか考えていると、男湯から出てきた柿虫が言った。
「三国さん、早風呂っすね。いいと思います。はい」
優奈は柿虫の方をちらりと見ると、三国に向き直り、歯を見せて笑った。
「三国さん」
「はい」
三国は、後で柿虫の頭に拳骨を入れるために、予約するように拳を固めた。最悪だ。そのまま会話が続くと思って身構えたとき、優奈は小さく頭を下げてから立ち上がり、受付のおばちゃんに挨拶をしてから、靴箱からスニーカーを取り出した。会話から解放されて、三国は頭の中でぐるぐると回っている思考の波に再び乗った。事故現場は、さっきの常連客の会話の通りであれば、廃墟のすぐ近くだ。モッサンは、バイクが尾行していることに気づいて、廃墟の中をショートカットした後、林道の出口でUターンしたのだろう。そして、曲がってきたバイクを正面から弾き飛ばした。自分の辞書には存在しない無鉄砲さだ。三国は、柿虫の方を向いて言った。
「アシがいる。自分の車、取って来れるか?」
柿虫はうなずいた。三国は、用事をひとつ終えたように息をついた。一時間もあれば戻って来れる。柿虫の車は最終型の黒いホンダライフで、決して速い車ではない。しかし、目立たないしダッシュボードにはS&Wの大型ナイフが入っている。
「取ったら、そのまま河川敷まで来い」
「はい」
柿虫が俯いたまま返事をしたとき、家がはるか遠くの地平線に消えてしまったように感じて、三国は視線を泳がせた後テレビに落ち着いた。柿虫のせいで、セフィーロの目撃者かもしれない『中林ユウナ』に、こちらの名前を知られてしまった。一度知られてしまったことは、もう取り消せない。
柿虫が警戒していなかったのは、こちらのミスでもある。目撃者がいるかもしれないということを、誰にも言っていなかったのだから。柿虫に何も言うことなく、三国は前に向き直った。モッサンは、何も考えていないように見えて、想像をはるかに上回るぐらい、本当に何も考えていない。だから、セフィーロを隠すとしたら廃墟の中だ。そして、そのセフィーロは『中林ユウナ』の目撃証言と繋がり、その中で三国という名前が飛び出す。
あんな子供ひとりが、脅威になるとは。しかし、分かっている以上は、甘いことを言っていられない。三国は、風呂に入る前よりも重く感じる体を折って、頭を抱えた。愛実は、あと十年もすれば『中林ユウナ』と同じぐらいの年齢になる。
そのとき自分は、今日これから起きるかもしれないことを、毎日思い出すのだろうか。
修哉は、カゴを手に持って慣れない店内を見回した。いつもは行かない方のコンビニ。同じチェーンだから自動ドアが開くときのメロディは同じだが、中のレイアウトは全く違う。同級生からはお爺ちゃんみたいだと笑われるが、どのコンビニも同じ配置にしてほしい。
実際には、そんなことを気にする余地がないぐらいに、頭が明後日の方向に高速回転している。真正面から対峙するにはあまりに大きな問題が、目の前にあるからだ。拓斗の友達が死んだ。優奈に『地獄のライダー』と呼ばれていた、赤と緑のバイク。不死身のように道を走っていても、何かと衝突すれば一巻の終わり。同じような事故が起きたとき、拓斗が乗る緑色のカワサキニンジャは、どうなるのだろう。あんな風に、あっけなくオーナーを放り出して、自分も役目を終えるのだろうか。真っ白に光る店内を歩きながら、修哉は想像を巡らせた。
一旦、家に戻ってからコンビニに行くと言ったとき、両親から全く同じトーンで『歩きで行けよ』と声がかかった。そんな両親が家に戻った拓斗に何を話すのか、内容は今から想像がつくし、現場に居合わせたくはない。ただ、拓斗に声をかける権利だけは失いたくないから、こうやってハッピーターンを買いに出かけている。一軒目のコンビニでは売り切れだったから、自転車で出ていた方が用事は早く済んだが、あんな事故を見た日に、両親に言い返す気にはなれなかった。修哉はお菓子の棚に顔を出し、パウダーが二五〇パーセント増量になっているタイプを二袋、カゴに入れた。
買い物を終えて、レジ袋に入ったハッピーターンをぶらぶらと振りながら外に出たとき、二軒隣の『スパまつおか』から湯気を纏った優奈が現れ、コンビニの方へ向かってくるのが見えた。私服姿を見るのは、初めてだった。鮮やかなオレンジ色のパーカーとくすんだブルージーンズの組み合わせは、明るい性格をうまく表しているように見える。無地の黒いジャージ上下という、人との会話を想定していない格好の修哉が空いている方の手を挙げると、着替えの袋が収まるケロリンの洗面器を持った優奈は、足を止めて笑顔になった。
「後藤くん、こんばんは。塾は終わったん?」
「こんばんは。塾は、今日はなくなった。銭湯帰り?」