Sandpit
修哉は目の下に手をやりながら、どうして涙が出るのか分からずに立ち尽くした。ガードレールから身を乗り出して木々をフラッシュライトで照らす救急隊員の姿や、地面に屈みこんで削られたような痕の写真を撮っている警察官。最初は、非日常が突然押し寄せてきたからだと思っていたが、実際には違った。ここには、拓斗を除く後藤家が集結している。しかし、川端の親はいない。
「川端さんの親は?」
修哉が縋るように言うと、幸平はその肩に手を置いた。
「連絡はもう行ってる。おれらがたまたま、先に着いただけや」
理路整然とした説明に、修哉はうなずいた。警察官が『木には、当たった痕がない』と言うのが聞こえてきたとき、自分が見つけたときの状況をもう一度思い出そうとした。警察に少しでも、情報を伝えたい。そう思ったとき、修哉の頭を撫でながら真由美が言った。
「ご両親、気の毒やわ……」
フロントフォークが折れ曲がったバイクを見て、真由美は拓斗が乗る緑色のニンジャをそこへ重ねた。鉄の塊同士がぶつかれば、このような結果が待っている。例えどれだけ自分にとって大事な人間であっても、そこに例外はない。幸平は、真由美までが目に涙を浮かべ始めたのを見て、宙を仰いだ。
「なんや、どないなっとんねん」
修哉は二人が話すのを眺めながら、スマートフォンの写真を見返した。実際に会ったのは去年で、ハッピーターンを買った帰りだった。ぶっきらぼうに高校の友達と紹介されただけで、そのときの印象は薄い。ただ、この写真で後ろに乗っている女の人も一緒にいて、確か彼女だったはずだ。修哉は道路を見渡した。
今日は、一緒に乗っていなかったのだろうか。
左腕が、ほとんど感覚を失くすぐらいに痺れている。水島は意識を取り戻したとき、まず自分が生きているということを理解した。それまで何かの夢を見ていた気がするが、頭が起きるのと同時に、内容はどこかへ仕舞いこまれてしまった。
全身に打ち身のような鈍い痛みが広がる中、水島は自分の体に敷かれている左腕を動かそうとして、その先端が右手と触れていることに気づいた。手首の辺りが折れ曲がるぐらいに圧迫されていて、びくともしない。足首も同じで、くるぶしの骨が互いに押し付けられてひりひりと傷んだ。手足をテープのようなもので縛られている。口を開けようとして、糊のような感触がするのと同時に鼻でしか呼吸ができないことに気づいたとき、頭の中にはっきりと危険信号が灯った。そして、自分の両目がずっと開いていることに気づいた。真っ暗だ。どこかに閉じ込められている。首をぐるりと回したが、光が漏れている場所はどこにも見当たらなかった。ただ、どこかから冷たい風が微かに吹き込んでいるようにも感じる。
体を捩ると、細い紐が両肩を通っている感触があり、水島は顔を傾けて耳で肩に触れ、学校を出るときに背負ったリュックサックがまだ背中にあるということを悟った。そのとき、教室を出る瞬間までの景色が頭に凄まじいスピードで呼び出され、自分が何の夢を見ていたのかを思い出した。ご飯を食べていた。ノブが向かいに座って、色んな車が走るのをずっと見つめていた気がする。話したいことがいっぱいあったのに、そんなことはそっちのけで、特定の車を見つけようとしていた。
そして、現実のわたしたちは、その車を見つけた。
水島は手足が縛られていることを忘れて体を起こしたが、すぐ真上にある天井に頭をぶつけて、顔をしかめた。同時に、目が少しずつ慣れてきて、スエードのような布地と金属が混ざった景色に囲まれていることに気づき、自分の閉じ込められている暗いスペースが車のトランクの中だということを理解した。
「ノブ……?」
声は、テープに塞がれてほとんど通らなかった。水島はどこにも隙間が見当たらないトランクの中で顔をあちこちに向けた。内側から開けられるような取っ手は存在しないし、何かを試せるほど動く余地もなく、足元に何かが置いてあるから、体の方向を変えることすら難しい。視界が広がるにつれて息苦しくなり、水島は冷たい空気が流れ込む方へ顔を向けた。体がいくら空気を吸い込んでも足りないと、悲鳴を上げている。このままだと、窒息しそうだ。
「ノブ……、どこ?」
テープで塞がれていても、もごもごと声を掛けるだけで、常に自分の視界まで来てくれる。それが言葉になっていなくても、呆れながら『何?』と言って注目してくれるのが、水島にとっての彼氏であり、川端だった。 いつも、隣どころか食い込むぐらい近くにいたはずなのに、離れ離れになってしまった。
リュックサックの紐に髪がひっかかり、ファスナー付きのサイドポケットにスマートフォンが入っていることを思い出した水島は、肩から紐をずらせた。左側に入っているから、リュックサックを前まで持ってこないと、この先はない。頭が先走って発した言葉に、水島は固まった。何がないんだろう。自分は、誰に捕まったのか。そして、次にトランクが開くときは殺されるのだろうか。体が無意識に慌てるのを抑えながら、水島は体を揺すった。もともと長めにしていた紐が滑り、完全に裏表がひっくり返ったようになったリュックサックが目の前まで来たとき、水島は額から流れてきた汗を目に受けて、顔をしかめた。目はさっきよりも慣れていて、冷たい空気は、トランクの下の方に空けられた小さな穴から流れ込んでいることも分かった。体の位置をずらせて空気穴に顔を近づけると、水島は呼吸を落ち着けながらファスナーを見つめた。衝撃で落とすかもしれないから、二人乗りのときはいつもリュックサックの中に入れて、真上までファスナーを閉めていた。
持ち手はフックの形をしているが、指で引っ張るための小さな穴しか開いていない。水島はトランクの壁にリュックサックを押し付けて、添い寝するように体を寄せると、ヘアピンに引っかけようとして頭を動かした。何度か方向を変えている内に、頭とファスナーが繋がったようになり、そろそろと動かすとファスナーの開く感触が頭に伝わってきた。隙間から無事にスマートフォンが滑り出して床に落ち、思わず息をついたとき、今度はファスナーと髪が絡まっていることに気づいた。水島は、リュックサックに頭をくっつけたまま、スマートフォンの黒いガラス面を見つめた。テープで顔が半分塞がれているし、この明るさで顔認証はできない。ボタンを押そうとして何度か顔を動かした後、水島は息を止めて覚悟を決め、リュックサックを押しのけるように強く顔を引いた。絡まっていた髪の毛が引きちぎられて、刺すような痛みに顔をしかめながら、スマートフォンのボタンをリュックサックに押し付けてパスワードの入力画面までたどり着いた。あともう少し。