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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Sandpit

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 不測の事態に緊張はするが、少なくとも今は、八年前のように突然命を失いかけるということはない。そう考えると、高遠はめちゃくちゃな男だった。喫茶店が軌道に乗ったことを確認すると、ずっと待ちかねていたように『計画』を実行したし、そこには何の躊躇もなかったのだから。高遠のささやかな計画。それは、丸川健だけをこの狭い輪から追い出すこと。京美を狙っているということは、最初に店を貸してくれたときから、その目つきで分かっていた。ただ、あくまで自分の常識に照らし合わせて次の動きを予測していたから、気づいたときには、何度踏みつけてもデミオのブレーキは空振りするように底へ張り付き、目の前にはガードレールが迫っていた。ハンドルを咄嗟に切ったことで継ぎ目に車体が入り込み、運転席側のドアを貫通したガードレールの破片が右足首を折った。ただの事故だ。咄嗟にそう思って自分を安心させようとしたが、実際には大きな血管が切れていて、フロアに自分の血が流れ出していくのを見たとき、助からないと実感した。実際、直後に偶然通りがかったターコイズブルーのトラックが停まらなかったら、死んでいただろう。
『あかんあかん、下手に動かすな。血だけ止めるどー』
 独り言のように早口で言う、小柄なドライバー。それが中林剛だった。止血が無事に終わって、急にブレーキが利かなくなったことを伝えると、剛は懐中電灯で車体の真下を照らした。ブレーキホースが割れていて、その割れ方からすると、最初から切れやすく加工されていた可能性が高い。それを剛は、端的なひと言で表現した。
『なんか、恨みとか買ってはる?』
 そこで、救急車が来るまでの間に、全ての事情を話した。喫茶シャレードという名前を出すと、剛は笑った。
『毎日、前通っとるわ』
 そう、この界隈の人間なら、確実に一度は前の道を通っている。健は記憶を中断して、クリームシチューとトーストを交互に食べる梶木をちらりと見た。クラブハウスサンドイッチを食べ終えて、全ての指を舐めつくした我妻が隣から言った。
「健さん。もう受け渡しはないから、安心してくれやあ。その代わり、遅くまで開けとってほしいねん」
「はい、入る前に電話だけください」
 健はそう言うと、梶木が食べ終えるまで根気良く待った。この二人は、何をさせても遅い。慎重派と言い換えることもできる。我妻は骨董品のようなアコードを手放そうとしないし、梶木の皮手袋は二十年ものらしい。とにかく、二人とも昔ながらのやり方を守る、保守的な人間だ。我妻は魂を一緒に吐き出すように深呼吸すると、言った。
「今朝、一見さんおったやろお。顔、見てるか?」
「京美の方が、レジでよう見てると思います」
 健はそう言いながら、記憶を辿った。開店時間を待ち構えていたように、モーニングを食べに来た男。通学する中学生に紛れるように、会計を済ませて出て行った。トーストのくずを払ってコーヒーを飲み終えた梶木は、皮手袋をはめながら言った。
「カメラの映像だけ、段取りしとってほしいです」
 健がうなずくと、我妻が警告するように光る指を向けた。
「気抜いたら、あかんぞお」
 会計を済ませて二人が出て行ってから、健は皿を片付けることなくその場に立っていた。カメラは、店内を映す広角のものがひとつと、レジ前にひとつ。喫茶店として稼働する時間帯だけ電源が入っている。二人が例の『一見さん』を気にしているのなら、映像を確認しておかなければならない。深く考えない。それは義務のひとつだ。
 八年前、救急車のサイレンが聞こえてくる中、剛は言った。
『そいつ、殺したいのー』
 たった、ひと言。首を縦に振ってからことが進むまでは、あっという間だった。雀荘の常連だった我妻と、中林環境サービスの従業員で最も凶暴だった梶木。二人がどうやってこの世から高遠を消したのかは、知らない。ただ、我妻は顔が広く、知り合いの不動産屋が管理する私有林に出入りできるという噂があったから、そこへ埋めたのではないかと想像していた。実際、賭けで負けが込むと口癖のように『馬の背に埋めたろか』と冗談のように言っていた。だから、そのようにしたとしても不思議ではない。
 全てが終わったことを閉店間際に伝えに来たのは我妻と梶木ではなく、さらさらとした黒髪をなびかせる、フクロウのように目の大きな女だった。そのたたずまいから、二人を言葉ひとつで動かせる存在だというのは、よく理解できた。京美はそこで高遠が死んだことを知り、放っておいたら自分の夫が先に殺されていたということを知った。
『終わったから、安心して。その代わり、あの二人の頼みごとを聞いてあげてほしい』
 女は、岡安寧々と名乗った。
 そうやって全てが始まり、その代わりに、ずっと終わりの見えないような今があった。
 しかし、それも終わりを迎えようとしている。
     
       
 こんな簡単にサイクルが崩れるとは、思っていなかった。塾は休むことになり、パトカーや救急車とほぼ同時に、後藤家の黒いプリウスアルファが駆け付けた。修哉が次々に集まってくる大人を眺めていると、運転席から降りてくるなり、幸平が言った。
「大丈夫か」
 答えようとすると、隣からタックルするように真由美に抱きしめられ、修哉は息を吸い込む場所を探すように上を向きながら、言った。
「おれは何もなってない。通りがかっただけ」
 再び自由の身になったとき、幸平は廃墟を見上げた。
「ここは、寄り道したら危ないとこやぞ」
「ごめん。兄ちゃんは? おれから言ったほうがいいかな」
 修哉が言うと、幸平は首を横に振った。
「さっき連絡した」
 心が軽くなり、修哉は小さく息をついた。要塞のような廃墟が見下ろす不気味な空間に、真由美が肩を震わせながら補足した。
「家に誰もおらんって、言うといたわ。心配するやろから」
 修哉は、拓斗がこっそり見せてくれた自撮り写真を思い出した。赤色のバイクに跨ってカメラに目を向けている高校生と、その彼女。一度どこかへ解き放たれた重りが帰ってきたように感じて、修哉は言った。
「兄ちゃんの友達かも知らんねん」
「川端くんやろ。拓斗に現場は見せたくない」
 幸平が名前を知っていたことに、修哉は驚いて目を大きく開いた。拓斗の口癖は『親の期待は、全部お前の方に乗ってる』で、実際そのような空気も感じていた。もちろん、露骨に扱いが違うということはないが、磁石が反発し合っているように、夕食が揃うということも滅多にない。
「知ってる人なん?」
 修哉が訊くと、幸平は不謹慎にならないギリギリの音量で笑った。
「親やぞ、知らんわけないやろ。内田さんの工場で、ようバイク触っとったわ」
 見た目では狭い世界のようで、無限の奥行きがある。心にずっしりと居座っていた重りの代わりに、その言葉が入り込んだような気がした。修哉はうなずくと、俯いた。真由美に背中をさすられている内に、幸平が顔を向けて、呆れたような表情を浮かべた。
「泣くな……、とも言えんか」
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ