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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Sandpit

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 今、少しだけ後ろ髪を引かれるのは、礼美が喫茶店に誘ってくれたからだ。優奈も乗り気というか、歓迎してくれていそうな雰囲気がある。だとしたら、全くお礼にはならないが、いつかこの廃墟にも二人を誘ってみたい。修哉は車回しに自転車を停めると、ヘルメットをカゴに投げ入れてスタンドをかけた。そんなに大きなホテルではないが、三階にがらんとした宴会場があり、その窓から町を一望できる。修哉は窓が全て割れた扉を抜けてロビーに入った。フロント前には毛布が積まれていて、前に来たときと比べると、全体的に物が増えている気がする。それに、さっきまで人がいたか、今でもどこかにいるような、微かな空気の動きも感じる。同じように廃墟が好きな人間が、カメラ片手に歩き回っているのかもしれない。
 階段を駆け上がって三階の宴会場まで辿り着き、修哉は額に滲んだ汗をぬぐいながら、曇った窓の外を眺めた。町全体に被る、オレンジ色の影。冬はすぐ真っ暗になるし、夏は昼と変わらない。今がちょうどいい。こうやって見下ろしていると、自分が生きている世界の狭さが、手に取るようにわかる。今日は、いつもと違う方向の景色も気にかかった。学校前の道路に喫茶シャレードを構える丸川家と、田んぼを挟んで大きな事業所兼住宅の建物を持つ中林家。ここから全て見渡せるぐらいに狭い世界の話なのに、連絡先を交換する手前で踏みとどまっている、微妙な関係性。
 しばらく景色を見た後、修哉は小さく息をついて、さらに窓に近寄った。そこで初めて、真下を通る道路の向かいに密生する木々に紛れて、赤い部品のようなものが落ちていることに気づいた。一階まで下りて、入ってきた方と反対側に足を向けたとき、トタン板を雑に被せられたセフィーロが建物の隙間に頭から突っ込んでいるのを見て、顔をしかめた。かくれんぼに失敗したように後部だけが見えている状態で、ナンバープレートが取り外された車体は、だらしなく左に傾いている。
「なんでもかんでも、捨てすぎやろ」
 常に、誰かが何かを捨てに来る。壊れたテレビが転がっていたり、ソファが玄関前に置いてあったり、都合のいいゴミ捨て場になっている。自転車のスタンドを下ろして、赤い部品が見えたガードレールまで近寄ると、修哉は身を乗り出した。林の中に、バイクが落ちている。どこかで、見覚えがあるような気がした。拓斗が見せてきた『仲間』の写真に、こんなバイクがいた気がする。修哉はスマートフォンを取り出して写真を探し、すぐに見つけた。今年の二月、拓斗が自撮りした背景に、同じバイクが写っている。ハンドルバーを握る高校生のヘルメットは特徴的な柄で、修哉は視界の隅に見える景色に恐る恐る目を向けた。同じヘルメットを被った人が、茂みの中に倒れている。拓斗の話によく出てくる人のはずだし、一度会っているはずなのに、名前が出てこない。
 無意識に後ずさっていた修哉は、自転車のペダルに脚がもつれて尻餅をついた。それで意識がリセットされたようになり、体を起こして自転車を投げ捨てるように路肩へ寄せると、警察に通報した。
      
   
 我妻と梶木が夕方にやってくるのは、滅多にないことだった。健がフライパンを振る手を止めると、我妻がカウンターに腰かけるなり、滑舌の悪い声で言った。
「クラブハウスサンドウイ……、ッチとアイスコーヒー。暑うてかなわん」
 梶木は皮手袋を脱ぐと、がさがさに荒れた指で、壁にかかった『本日のおすすめ』であるクリームシチューとトーストを差した。
「自分は、おすすめのやつで。アイスコーヒーもお願いします」
 二つともランチメニューで、とうにそんな時間は過ぎている。しかし、この二人にはそんなルールは通用しない。健はうなずくと、シチュー鍋を火にかけて、冷蔵庫から材料を取り出した。我妻に合わせて細かく切る必要があるし、トーストすると永遠に噛み切れないだろうから、パンは生のままだ。
「この時間に、しっかり食べはるんですね。これから仕事ですか?」
 健が訊くと、我妻は風船から空気を少しずつ抜いていくような音を鳴らして、笑った。
「んな、野暮なこと。聞くもんやあない。ほんま、有終の美っちゅうわけには、いかんかったな」
 梶木が抑えた声で笑った。
「健さん、何か聞いとるんです?」
 健は首を横に振った。喫茶シャレードは家族経営だ。ほとんどの場合は京美が一緒にいるし、朝と夕方は礼美がいる。今日は優奈と本屋に行くらしいから、あと一時間は帰ってこない。京美も買い物に出ているから、店にはこの三人だけだ。ひとりだと体が軽くなり、この二人と世間話をしようという、変な気が起きてくる。
 我妻と梶木は、八年間この店に通い続けている。それより前は、我妻が雀荘の常連客で、梶木は『中林環境サービス』の従業員だった。仲間内から怖がられていたのは、皮手袋を常にはめている強面だからではなく、火傷のようにただれた手の指に、ひとつも指紋が残っていないからだ。同僚に聞かれたとき、警察に記録を取られないよう自分で油に突っ込んで焼いたと答えたらしい。礼美は、ゆで卵の殻を剥くのが下手だと言って笑うが、笑っていられるのはその指を間近に見たことがないからだ。
 今から十五年前、この建物自体は雀荘を経営していた高遠という男がオーナーで、一階は元々美容室だった。喫茶店として再オープンしたがうまくいかず、そこに雇われ店長として入ったのが、そもそものきっかけだった。まだ礼美は京美のお腹の中で、まだ二十代だった梶木は一度だけ同僚とモーニングを食べに来た。そのときの印象に比べれば、梶木は随分毒気が抜けたと思う。喫茶店の営業時間も、夜の七時で閉める今とは違って、当時は七時以降スナックに模様替えして深夜まで営業していた。雀荘から下りてきた我妻が帰り際に一曲歌っていくことまで含めて、日常だった。
 懐かしさはない。ただ、地元に根付いた喫茶店である今と、雀荘のおまけみたいな存在だった過去を繋ぐ細い線がこの二人であり、自分の足跡をカウンター越しにずっと見つめているという、恐ろしさだけがある。
 健は、クラブハウスサンドイッチを我妻の前に出し、続けてクリームシチューとトーストを梶木の前に差し出した。我妻は経を唱えるように手を合わせてから両手でサンドイッチを掴み、体ごと覆いかぶさるように口に含んだ。梶木はクリームシチューに黒胡椒を振りかけながら、言った。
「段取りがね、うまいこと行かんかったんです」
 健は、アイスコーヒーをグラスに注ぎながら、梶木の目を見返した。我妻と梶木は、筋金入りの犯罪者だ。八年前から、ここを『受け渡し』の場所として使っている。運んでいる物の中身を聞いたことはないし、知りたいとも思わない。ただ、配送ルートの終点にある最後の入れ替えは、常にここで行われる。絶対に通報されないし、何も記録に残らない、全てにおいて好都合な場所。朝から夕方までは、喫茶店。夜は、受け渡しの拠点。それが喫茶シャレードの役割であり、自分に課せられた義務だ。もちろん、予定外のことが起きるときもある。本当なら夜中の内に受け渡しがあるはずだったが、相手は来なかった。
作品名:Sandpit 作家名:オオサカタロウ