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再会へのパスポート

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 正直、つかさの生活のほとんどを、晃弘が面倒みていた。
 家賃だけは、司が払っているようだが、それは、引き落としなのでしょうがないのだろうが、それ以外の細かいところは、そのほとんどを賄っていた。
 食費であったり、光熱費など、すべてをまかなっていたのだ。
 それなのに、部屋に行くことはあったが、泊ることはなく、つかさは、
「男の人と一緒にいるのが怖い」
 というが、それも本当に病気のせいなのか、怪しいものであった。
 それを考えると、
「俺は本当は騙されているのではないか?」
 とも思ったが、最初に好きになってしまったものの負けと言えばいいのか、
「騙されているとしても、それでいい」
 と思うのだった。
 やっぱり、
「同じシチュエーションになっても、やることが同じだ」
 ということになるのだろう。
 それを思うと、
「俺ってバカなんじゃないか?」
 と思い、
「俺は騙されて、貢がされてるだけなんだ」
 と思うと、悔しくもあったが、これくらいのことで辞められないという思いもあったのだった。
 ただ、晃弘は、そこまでは許せても、それ以上は許せないというところもあった。
 というのは、
「つかさが、小説家のプロになりたいということで、自分をプロデュースしているところまでは応援してあげようと思うのだが、それには、自分の中で許せないところがあるのだった」
 というのも、
「彼女には、プロデュースのための後援者のような人がいて、つかさもその連中を頼りにしているようだった」
 それを見ていると、だんだん耐えられなくなる、晃弘がいた。
 ある時、つかさが、その人たちのプロデュースの元で、
「これから、私はその人たちと頑張っていこうと思う」
 と言った時、晃弘の中で、
「何かが、弾けた気がしたのだ」
 というのは、
 その連中のことをつかさが、
「その人たちに委ねている」
 という言葉を聴いた時だった。
 どうもつかさには、昔からの親友がいて、晃弘と知り合う前は、その人を頼っていたという。
 その人も同じようにつかさが、
「自分の道を掴もうとしているところを邪魔されている気がする」
 と言っていたのである。
 そして、そのプロデュースを行っている人のことを聴くと、
「どうやらプロのようだ」
 というではないか。
 そして、
「その人はつかさの病気のことも知っているのか?」
 と聞くと、
「その人も、パニック障害を乗り越えてきた」
 というのだ。
 そして、つかさが、
「親友に、邪魔されている」
 というようなことを言うと、その男が、
「それは嫉妬からではないか」
 と言ったという。
 晃弘はそれを聴いて、完全に何かが切れた気がした。
 そう、自分だって、同じように嫉妬している。それは、
「自分から離れて、そっちの方に委ねようとしていることに腹が立っているのだ。しかも、生活まで面倒見ているという自負もあるので、完全に裏切られたかのような気がしたのだ」
 正直、嫉妬という言葉を口にしたので。
「その人は、本当に医者のいうことを聴いて、克服したのか?」
 と聞くと、
「その人は、医者と意見が合わずに、自分の考えで克服した」
 というではないか。
 話を聴いていると、危険な気がした。
 その男は、自分の経験を誰にでも当てはまると思い込んでいるのではないかと思ったからだ。
 ただ、晃弘にとって、何が苛立つかというと、
「つかさが、自分ではない。しかも、同じ疾患を持った人を頼り出した」
 ということであった、
 これは、正直、
「嫉妬心から来ているやっかみだ」
 ということはわかっている。
 だが、今のままでは、
「つかさは、自分の知らない世界の自分と同類の人の中に入り込んで、手が出せなくなるのではないか?」
 と思うと居たたまれなくなる。
 このような、嫉妬心を抱いてはいけないのだろうか?
 確かに、こちらは年を取っていて、まるで娘と言ってもいいくらいの年齢の女の子に嫉妬するなどというと、
「気持ち悪い」
 と言われることだろう。
 しかし、実際に、彼女から、
「慕っている」
「大好きだ」
 と言われて一緒にいるのだから、
「自分が悪い」
 ということであれば、
「いや、俺は騙されたんだ」
 ということになるのではないかと思うのだった。
 話を聴いているうちに、
「どれが本当の話なんだ?」
 と思ってきた。
 確かに、精神疾患の人の気持ちが分かるわけではないので、それも分かっている。さらに、相手が何を考えているかということも分かるはずもない。
 だから、遠慮気味になるし、相手の話がどこまで信じていいのかが、疑問でしかなのだ。
 そんな相手に、精神疾患の仲間がついてしまうと、
「俺ってなんだったんだ?」
 ということになる。
 しかも、
「多勢に無勢」
 ということであり、一人取り残された気分になるのだ。
 そうなると、
「自分たちの領域を犯した連中が許せなくなる」
 というものだ。
 意識をさかのぼらせると、
「どこまでが本当のことなのか?」
「どこまでが本当の意識なのか?」
 ということである。
 しかし、だから言っても、すぐにつかさを許せなくなるわけではない。
「惚れたものの弱み」
 ともいえるのだが、少なくとも、
「信じよう」
 とした相手のはずである。
 好きになったことには変わりはないのだ。
 だから、確かにイライラしても、嫌いになりかかっても、本当に嫌いになれるのかどうか、自分でも分からない。
 ただ、このまま嫉妬心を抱いていく中で、気持ちを中途半端にしたまま、付き合っていけるのかどうかを考えると、
「もし、今回は何とかなっても、次回にも同じようなことがあると、今回のように耐えることができるだろうか?」
 と考えてしまうのだ。
 つかさが、謝ってくれれば、たぶん、許してしまうだろう。
 しかし、今後も似たような苦しみと、ずっと味わっていかなければならないのかと思うと、
「ずっと、このまま同じことを繰り返すことになるのだろうか?」
 と考えてしまうと、いつまで耐えられるか? という、
「負のスパイラル」
 が生まれてくるに違いないのだ。
「負のスパイラル」
 というのは、螺旋階段のようなもので、
「どんどん、長引けば長引くほど、疲れが増してきて、逃れられない、底なし沼の中に落ち込んでいるかのようだ」
 と思うと、この螺旋階段と似たところがあるのを感じさせるのだった。
 そんな底なし沼には、足を引っ張る妖怪がいる。その妖怪、
「正体は河童なのだろうか?」
 河童というと、可愛らしいというイメージがあるが、実際には、その恐ろしさは、
「生き胆を食う」
 というような話もあったりするではないか。
「河童が魑魅魍魎であれば、自分を苦しめているものの正体は、本当に、魑魅魍魎と言えるような妖怪なのかも知れない」
 と感じるのだった。
 水の中から、脚を引っ張られるというような、怖い夢を、昔見たことがあったような気がする。
 どのような夢だったのかということは、正直分からないが、その恐ろしさは、
「一度入れば抜けられない」
 ということで、今の自分を表しているような気がするのだった。
 それは、
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次