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再会へのパスポート

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年3月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。

                小説の執筆

 昭和というと、今から35年前のことになるという、
「古き良き時代」
 というイメージがある。
 少なくとも、年齢的には、45歳以上くらいの人でなければ、昭和という時代をリアルで体験できていないのではないだろうか?
 45歳の人だとしても、昭和の終わりというと、まだ小学生だったという時代だ。何とか子供としての記憶がある程度だといえるのではないだろうか?
 だから、何かを味わったとしても、それは、学校から行った場所や、親と一緒にいった場所として意識できるような場所でしかなかった。
 小学生という時代において、一つ覚えているのは、親と一緒に行った、喫茶店だった。
 その喫茶店は、コーヒー専門店であったが、子供用に、ソフトドリンクも置いていて、何よりも、レジのすぐ横にあるショーケースに、おいしそうなケーキが並んでいるのを思い出していた。
 チーズケーキや、チョコレートケーキなど、オーソドックスなケーキが並んでいた。今のように、チェーン店のカフェなどのような、豊富な種類のスイーツが置かれているわけではなかったのだ。
 それでも、子供が自分のお金で頼むわけではないので、親の機嫌のいい時だったりしないと、なかなか、ショーケースの中身まで食べれることはなかった。
 それだけに、いつも恨めしくショーケースを覗いていた。
 そして、たまに親が頼んでくれるケーキに舌鼓を立てているのを、いまさら、昨日のことのように思い出せるのだった。
 特にチョコレートケーキが大好きな少年だったのだが、小学生を卒業するくらいまでに、コーヒーも飲めるようになり、店内のコーヒーの香りの沁みついた店内の雰囲気が、改めて好きになっていたのだった。
 今年で55歳になる河野晃弘は、小学生の頃のそんな思い出からか、喫茶店というものが好きになった。
 中学に入ると、時々、近くの喫茶店に寄ることも多くなった。中学生の頃までは、親と一緒が多かった。母親が、よく一緒に行ってくれたからだ。
 母親は、馴染みの店をいくつか持っていて、そのうちの二つくらいの店に行く時に連れて行ってくれた。
 自分では、それが満足できることだったのだが、本当の母親の狙いは別のところにあったようだ。
 というのも、これは、かなり後から知ったことだったが、どうやら、母親は不倫をしていて、男との待ち合わせに喫茶店を利用していたようだ。
 それは、息子と一緒にいくところではなく、それ以外のところに一人で行った時に待ち合わせをするようにしたのであって、そのお店を他の人に分からないように、息子といく喫茶店も決めていたようだ。
 そういう意味では、晃弘は、
「確信犯に付き合わされた」
 ということであり、
「不倫のアリバイ工作に利用されていた」
 ということである。
 そんな母親の不倫が発覚したのは、晃弘が高校生になった頃だった。
 晃弘自身、一人で喫茶店に行くようになって、母親の誘いを断るようになった。
 それでも、それまでの計画が狂ったことで、焦った母親が、その行動から、
「墓穴を掘った」
 ということであった。
 ただ、母親が不倫をしているだけなら、まだしも、何と父親も不倫をしていたのだった。
 だから、お互いに何も言える立場ではなかったのだが、お互いに、
「売り言葉に買い言葉」
 罵り合っているのが、分かるというものだった。
 ただ、離婚という形式的なことになると、お互いの主張で、泥沼化したようだったが、それでも、調停のようなものに持ち込むことで、うまく収めてくれたようだ。
 こういう状況になった場合は、お互いの話し合いだけでうまくいくわけもないのだ。そうなると、
「法の介入」
 というもので解決するというのは、勝負が早くていいことなのだろう。
 それを思うと、
「今回の問題も、勝負が早くてよかったんだろうな?」
 という思いと、自分が、高校生になり、ある程度の分別がつくという意味での、
「大人に近づいた時期だった」
 ということは、よかったのではないだろうか?
 結果として、
「喧嘩両成敗」
 ということで、慰謝料関係はないようで、離婚が成立して、母親方で暮らすことになったので、父親には、養育費というものがのしかかることになったが、二十歳までということなので、約5年間くらいだったので、そこまで問題ということでもないだろう。
 今の時代のように、
「三組に一組が離婚する」
 というほどの時代ではなかっただろうから、離婚というのは、よほどのことだったのだろうと思った。
 まさか、両者が不倫をしていたなど、その頃の晃弘には分かっていなかったので、気になるところだったのだろう。
 それを考えると、
「離婚というものが、どういうものなのか?」
 と、いうことが分かっていなかったのだ。
 何しろここまでドロドロだったのだから、想像を絶していたのではないだろうか?
 実際に離婚が成立してからというもの、どうもまわりがぎこちなく見えた。
「うちの家庭が離婚している」
 ということを大っぴらに公言しているわけではないので、基本的に誰も知らないと思うが、
「人の口に戸は建てられない」
 というように、ウワサというのは、結構広がったりする。
 しかも、ウワサというものは、尾ひれがついて広がっていくものだ。最初こそ、本当のことなのだろうが、連想ゲームのように、まったく違った内容で引きづっていくことになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、高校生の頃は、まわりの人の目が気持ち悪かった。
 嫌いだといってもいいくらいの視線を、まわりから感じる。
 まるで、汚いものでも見るようなその目に、恨みを感じてしまうのだから、まわりが、こちらを見る目も、
「恨みの目だ」
 としか見えないだろう。
 まわりからすれば、
「別に恨まれるようなこと、何もしていないのに」
 と思って見てくるので、その視線が、たまらなくなる。
 そうやって、お互いに苦しみしか与えないようなその雰囲気に、
「喧嘩にすらならないような、そのくせ、喧騒な雰囲気に包まれている」
 といってもいいだろう。
 そんなことを考えていると、
「よく、あんな状況のまわりの目に耐えられたものだ」
 と感じるほどだった。
作品名:再会へのパスポート 作家名:森本晃次