さよなら、カノン【小説版】
駐車場とその周辺では、警察官や警備員によるカノンの捜索が継続された。
実穂子はエントランス横のベンチに浅く腰掛け、警察官らによる捜索に模様をぼんやり見つめた。
福住は実穂子の傍らで、無線が入ってくる度に立ちあがって状況把握に努めていた。
閉鎖されたスーパー駐車場の出入口付近に、一台の黒いタクシーが停まった。
タクシーから降りたのは、正樹であった。
正樹は、複数のパトカーと多数の警察関係者を目の当りにして、何が起きているのか認識を新たにした。
正樹は、建物のひときわ明るい場所に人影を認めて走り寄った。
そしてエントランスのベンチの前に佇む実穂子を見つけた。
傍に5歳の女児はいない。実穂子ひとりである。
「カノンは?」
「パパ・・・」
実穂子は唇を震わすだけでそれ以上喋ることができなかった。
「カノンは? カノンはまだみつからないのか」
正樹は実穂子に詰め寄った。
実穂子は正樹を正視して、ただ首を横に振るのみ。
自責の念に駆られ、涙が溢れた。
「なんで目を離したんだ?」
泣き面で俯く実穂子に、正樹はさらに追い打ちをかけた。
実穂子は正樹の言葉に返答できず、ついに涙をこぼした
離れて実穂子たちを見ていた福住が、実穂子を不憫に思い助け舟を出した。
「あの、ご主人様ですか」
福住は正樹に身分証を提示した。
”足高警察署 生活安全課 福住愛子”
「どうも・・・。うちのが・・・」
状況が把握できず当惑気味の正樹は、二の句が継げない。
福住は正樹の乱れた感情を鎮めるべく穏やかな口調で言った。
「お子さんは我々が必ず探しだします。ですから奥様を・・・」
正樹はやり場のない感情を福住にも向けようとしたが、拳を強く握りしめ思い留まった。
「よろしく・・・お願い、します」
正樹は福住に頭を下げ、俯いたままの実穂子の肩を抱いた。
警備員室では2台のモニターが同時にモノクロの録画映像を再生していた。
青木が椅子に座って、藤原は立ったまま、防犯カメラがカノンの痕跡をとらえてないか探し続けた。
壁掛け時計に長針と短針が「10」と「11」の間で重なっていた。
指で眉間を揉みながら青木が藤原に言った。
「再生速度落としますか」
「いや、それより最初からもう一度」
車の出入りが頻繁な駐車場。
買い物袋提げて歩く高齢女性。
ベビーカーを押す主婦。
西日が長い影をつくる。
カラフルな装飾のキッチンカーが駐車場を出ていく。
キリンの空気人形を積んだ軽トラックが画面の右から徐行で進入、画面左に消える。
「青木、今のとこ別角度のカメラあるか」
青木は6分割に縮小されてコマ送りされる別の防犯カメラ映像を拡大した。
駐車場の出入口側を広い画角で捉える駐車場映像がモニターに大きく映しだされた。
軽トラックが出口に通じる車路を曲がる。
そのとき
「あ、いまの。女の子じゃないか」
背の高い金網のフェンスと植込みの陰に小さな人影を、藤原は見つけた。
「えっ、どこですか」
画素の粗いモノクロ映像が判別を難しくした。
「あぁ、木の影に入った」
藤原と青木はフェンスの木の影を注視した。
そして次の瞬間、幼い子どもがはっきりと姿を現した。
「あっ」と青木は思わず声を発した。
幼い子どもは駐車場を出ていく軽トラックを見送るかのように車路に歩みでた。
頭の先から爪先まで全身姿を現したが、如何せん防犯カメラのスペックが低すぎた。
カメラから遠いこともあって、鮮明な画像ではない。
頭髪が肩までかかっていることから、おそらく少女であろうと推察できる程度だ。
だが上は白い半袖、下は淡い色の半ズボンという見た目は、藤原、青木両者の一致するところであった。
実穂子から伝えられた行方不明者の事前情報とも合致した。
「カノンさんでしょうか」
「親御さんに見てもらおう」
フェンスに隔てられた駐車場の隅で軽トラックを目で追うカノン。
その画像はすぐに警察本部で画像処理ソフトにかけられ、より鮮明な画像となって世に出回ることになる。
まだ明けやらぬ早朝の田園地帯を一台の単車が走っていた。
単車は県道から農道に進路を変え、畑で農作業をしている初老の男の近くに停まった。
「朝早くから精が出ますね、兵頭さん」
単車の男はヘルメットを脱いで兵頭に言った。
「駐在さんこそ、朝早くからご苦労さま」
兵頭は腰をかがめて千切れたキャベツの葉を握ったまま、駐在の柳井に挨拶した。
「何かあったかね」
兵頭は腰を伸ばして土汚れの手を手拭いで拭いた。
「昨夜、スーパーの駐車場で女の子が行方不明になりましてね」
「ふむふむ」
柳井は石段を降り、畑にずかずかと入っていった。
「その子っていうのが、この辺りに住んでる子なんですよ」
「見つかっとらんのか」
「ええ。自宅の周辺も捜索範囲になって、私もこうして・・・。兵頭さん、5歳の女の子
なんですが、見てないですよね」
「見とらんな」
「そうですか」
柳井が伏せた視線をあげた先に、県道を走る2台の車が見えた。
2台とも警察の車両であることを、柳井はすぐに視認した。
2台の車列は、田畑とは反対側にある民家が点在する丘陵方面に進路を変え、柳井の視界から消えた。
厚いレンズの眼鏡をかけた鑑識の芹沢が、実穂子と正樹の携帯電話に外部録音機器をセットした。
正樹と実穂子の自宅は農村地帯の丘陵地に隣家とは離れて建っている。
古い民家の外観を残しつつ、使い勝手の良い内装にリフォームされた2階建ての家屋である。
「見ての通り僕たちは裕福な家庭ってわけでもないですし」
正樹はリビングのソファに浅く掛け、生後1年に満たない仔犬のシロを膝に抱いた。
藤原は芹沢の作業進捗を見ながら立ったまま、正樹に応対した。
「身代金目的の誘拐かどうかの判断をしなくてはなりません。どうかご協力を」
実穂子は憔悴した表情で、ダイニングの木製の椅子に腰かけていた。
「カノンは・・・」
実穂子はテーブルに置かれた自身のスマートフォンを見つめた。
「奥さん、ご心配なく。スーパー周辺は県警が総力を挙げて捜索を続行しています」
「準備整いました」
芹沢が言った。
「そうか。では吉川さん、犯人からの、身代金誘拐の犯人がいればの話ですが、犯人からの接触を待ちましょう」
吉川宅に重い空気が流れ始めた。
◇ ◇ ◇
フローリングのカーペットに直置きしたノートPCの画面を、芹沢は見ていた。
正樹は縁側に立ち、喉元を団扇で扇ぎながら、犬小屋の前で水を飲むシロを見ている。
180度に首を振る扇風機が、張り詰めた空気をかき混ぜるように風を送った。
スマートフォンをじっと見つめる実穂子に、藤原が言った。
「奥さん、しばらく休まれては? 夕べから一睡もしてないでしょう」
「そうだ、実穂子。ちょっと寝たほうがいい」
と、正樹が同調した。
「いいえ、大丈夫。もう少し」
実穂子はスマートフォンに手を添えたまま、席を動こうとはしなかった。
麦茶が注がれたグラスの氷は、テーブルの上ですっかり溶けていた。
玄関先で誰かが訪ねてくる気配がした。
先に立ちかけた実穂子を藤原が制した。
「私が・・・」
と言って藤原が玄関で応対した。
訪ねてきたのは福住だった。
「藤原課長、ご苦労様です。交替します」
作品名:さよなら、カノン【小説版】 作家名:椿じゅん