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さよなら、カノン【小説版】

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相手チームの選手が落ちてきたボールを素早く拾って、一か八かのロングシュートを放つ。
だがボールはゴールポスト前で失速し、コート外へ転がった。
長いホイッスルが鳴った。
「ゲームセット。レイシェルズの勝利です」
勝利した選手5人はコートの中央に集まって喜びを爆発させた。
同様に観客席でも立ちあがって選手に拍手を送ったり、抱き合って喜びを表す者たちが少なからずいた。
青いジャージを着た監督は、コートサイドに立って勝利に沸く観客席を見あげた。
スタンドの最上段で立見する正樹を見つけると、監督は大きく手を振った。
正樹は笑顔で応えたが、監督が手を振りやまないので、照れ隠しに小さく手を振り返した。
アナウンサーは選手や監督、観客席の様子を短く活写した。
興奮冷めやらぬ体育館のコートから、スポーツバッグを担いだ選手たちが退出した。
監督も選手たちに追随する形でコートからロッカールームへ向かった。
「ではまた次回、お会いしましょう」
アナウンサーがカメラに向かって、いつものフレーズで締めくくった。
少し間があって、カメラの赤いランプが消えた。
「はい、OKです。お疲れ様でした」
小曽根の若々しい声が、イヤホンを通してスタッフ全員に届いた。
実況ブースの傍に陣取る小曾根は、片手でヘッドセットを外し、観客席最上段で見守る正樹を振り返った。
小曽根は、左前腕に巻かれたギプスを三角巾で首から吊っていた。
正樹は手すりから身を乗り出して、小曽根に親指を立てサインを送った。
小曽根はギプスを持ちあげて白い歯を見せた。
ファイルを抱えた宮田が、立見の通路を正樹の元へ小走りでやってきた。
「とりあえず終わりました」
「お疲れ様でした」
「小曽根、どうでした?」
「よかったんじゃないですか。次も任せられそうだ」
「褒めすぎですよ、チーフ。あいつすぐつけあがりますから」
正樹と宮田は、互いに満足げな顔を見合わせて笑った。
「ダイジェスト版これから作りますけど、チェックされますか」
「あ、それきょうは宮さんにお願いしようと・・・」
「え、どうして?」
「きょうは早く帰るって娘に約束しちゃったから」
「そうですか・・・そうですよね。カノンちゃんどうしてます?」
「もう、やんちゃ盛りで」
「かわいい盛りじゃないですか」
体育館の天井を叩く雨音が一段と強くなった。
壁面のハメ殺しのガラス窓に、雨だれが幾筋も流れた。
正樹と宮田はガラス窓を振り返った。
「本降りになってきましたね」
 ◇   ◇   ◇
風に飛ばされた雨粒が絶え間なく、体育館の庇のある通用口の奥まで降りこんだ。
正樹は雨がかからぬよう、背を丸めて携帯電話を開いた。
携帯電話の画面に実穂子の名前が表示され、正樹は通話ボタンを押した。
呼び出し音が鳴る。
鳴り続けるだけで、相手は電話に出ない。
繰り返し通話を試みたが、実穂子に繋がらなかった。
遠くで雷鳴が轟く雨空を、正樹は表情を曇らせて見あげた。


「ママ、ドラえもんがいるよ」
カノンは実穂子の袖を引っ張った。
大型玩具店の店内に入るや否や、カノンは目敏くカート置場にある人気キャラクターを見つけた。
小さな子どもがひとり乗れるように作られた買い物カートがいくつも並んでいるのを見てカノンは小躍りした。
「どれがいいの? 選んで」
カノンはアンパンマンがデザインされたカートに乗りこんだ。
広々として天井も高い店内は、商品棚に玩具やキャラクターグッズが嵩高く積まれていた。
両脇に豊富な種類の玩具が陳列されている通路を、カノンを乗せたカートが駆け抜けた。
大小様々な大きさのビーズクッションが試用体験できるエリアでカノンは、アヒルの形やダイオウイカの形をしたクッションと戯れた。
「好きなの、買ってあげる」
実穂子にそう言われてカノンは、多種多様な動物やキャラクターのぬいぐるみが一堂に陳列されている売場を、端から順番に物色し始めた。
そうして、毛並みがふわふわした真っ白な犬のぬいぐるみが、カノンの目にとまった。
大型玩具店の軒下に立ち、降り続く雨に霞む平面駐車場を実穂子は眺めた。
「せっかく雨具持ってきたのにね」
入店したのは雨が降る前で、雨具は車のなかに置いてきてしまっていた。
実穂子の隣で、大きな白い犬のぬいぐるみを抱えたカノンは上機嫌だ。
しかし買ってもらったばかりのぬいぐるみが雨に濡れちゃうのは嫌だな、と思った。
実穂子のサーブは店舗の建物から少し離れた位置に停まっていた。
天空を埋め尽くす雨雲が一瞬白く明るく輝いた。
そして雷鳴が唸るように響いた。
「行くよ」
ハンドバッグで頭を覆い、実穂子は雨のシャワーのなかに身を投じた。
サマーニットに雨が沁みこむことを厭わず、実穂子はサーブに向かって歩いた。
先を歩く実穂子を見失うまいと、カノンも冠水しかけてきた駐車場に足を踏みだした。

雨が激しく降りしきる。
打ちつけるような雨粒が高速道路のアスファルトの表面に跳ね返る。
跳ねあがった雨粒は駆け抜ける車の風圧によって細かく裂かれ、霧状になって車道に拡散する。
実穂子が運転するサーブは、雨が降り続く高速道路を疾走していた。
助手席には白い犬のぬいぐるみを抱いて、カノンが機嫌よく寛いでいる。
「疲れたら寝てもいいんだよ」
「ううん、大丈夫」
雨に遮られる視界に目を凝らし、実穂子はアクセルを踏みこんだ。
都心から遠く離れた低い丘に挟まれた高速道路の出口で、サーブは高速道路を降りた。
バイパスを通って、拓けた田畑を貫く農道を走行する。
すぐに道路標示版があるT字路に出た。
道路標示板は雨に霞んでいるが、矢印の先にかろうじて”神楽沢ダム”の文字が読みとれた。
実穂子は矢印に沿ってハンドルを切った。
県道はなだらかな坂道が山間部まで続いていた。
やがてサーブは、傾斜がありながらも右へ左へと曲がりくねった山道を登坂した。
ワイパーをフル稼働させているが、降る雨でフロントガラスの視界が悪い。
ところどころ道路に茶色く濁った水が流れていた。
山肌を小石や小枝を巻きこんで、道路に流れ落ちたものだ。
カーブにさしかかると、時折ハンドルを取られそうになった。
それでも実穂子は、前を向いてアクセルペダルを踏み続けた。


自宅に向かうタクシーの車内に正樹はいた。
タクシーの中から正樹は、携帯電話で実穂子に電話をかけ続けた。
しかしタクシーが龍神口バス停を通り過ぎ、まもなく自宅に到着する時分になっても、実穂子に繋がらなかった。
何度か試みても、呼び出し音が鳴るだけだった。
タクシーは吉川宅が見える県道脇に停車した。
正樹は料金を払って領収書をもらった。
正樹がタクシーを降りようとしたとき、切り裂くような雷鳴が轟き同時に眩い稲妻が光り、正樹の住む村の風景を一瞬照らしだした。
次の瞬間、ジーと音を立てながら鈍く光っていた街灯が、断続的に点滅しパッと消えた。
それまで灯っていた近隣の民家の門灯や窓灯りも、一斉に消えた。
呼び出し音を鳴らしたまま正樹は、額に手をかざし急ぎ足で自宅に向かった。
門扉を抜け玄関に辿りつくまでの短時間で、正樹はずぶ濡れになった。
濡れた手でインターホンを押すが、呼び出し音すら鳴らない。