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さよなら、カノン【小説版】

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「いえ、巻き毛の女の子がひとり、ユニコーンで・・・」
「ちゃんと見て」
「・・・そう言われましても・・・」
向坂は実穂子から顔を隠し、「弱ったなぁ」と呟いた。
「なんで? なんで見えないの?」
実穂子は向坂に食って掛かった。
声を張りあげる実穂子に、受付事務員が様子を見にきた。
実穂子はカノンの手を掴み、事務員の横をすり抜けた。
待合室で診察を待つ複数の男女の視線が実穂子に集まった。
プレイロットでは幼稚園児が泣きだし始めた。
長椅子の間を大股で横切り、実穂子はプレイロットでユニコーンを手にして笑顔のカノンを叱りつけた。
「返しなさい」
「やだ」
「返してあげなさい」
実穂子は無理やりカノンの手からユニコーンを奪った。
ユニコーンを取られたカノンは、口をへの字に曲げた。
実穂子は泣き顔の幼稚園児に「ごめんなさい」と囁いて、ユニコーンを返した。
ぐずるカノンの手を引っ張って立たせようと実穂子は試みた。
「帰るわよ」
だが、カノンは抵抗した。
「やだ」
カノンは床にべったり座り立とうとしなかった。
「そう・・・」
実穂子はカノンだけを連れて、観音開きのガラス扉からクリニックを出た。
「吉川さん、」
立ち去る実穂子に事務員が声をかけた。
「お子様を、お忘れです」
実穂子はスローモーションのように振り返った。
拗ねた表情のカノンと事務員が手を繋いで立っていた。
実穂子は事務員を訝しげに睨みつけた。
この事務員はもしかして・・・、と淡い希望を抱いたが、すぐにかき消した。
「いらっしゃい」
実穂子がカノンを呼び寄せると、カノンの拗ねた顔はいたずらな笑顔に変わった。
エレベーターの扉が開いた。
エレベーターには誰も乗っていなかった。
カノンたちを連れてエレベーターに乗りこんだ実穂子は、地上階の1を押した。
 ◇   ◇   ◇
実穂子たちだけしか乗っていないエレベーターが途中の6階で停まった。
エレベーターの扉が開いた。
カジュアルな恰好をした学生風の女性がふたり、エレベーターの前に立っていた。
すると唐突に声がした。
”まあ、かわいい。双子さん?”
実穂子の耳に、誰かがそう言った声がはっきりと聞こえた。
少ししゃがれた年配風の女性の声が、残響するように耳に残った。
エレベーターに乗りこんでくる女子学生たちの声ではない。
彼女たちはスマートフォンの操作に夢中で、カノンにすら気づいていない。
彼女たち以外、人がいる様子はない。
誰が言ったのか気になった実穂子は、女子学生らと入れ替わりにエレベーターから降りた。
閉まりかけた扉を押し返して、カノンたちをエレベーターの外に導いた。
狭いエレベーターホールに降り立つと、照明を落とした通路が奥まで伸びていた。
通路の壁際を埋め尽くす大小の観葉植物に混じって、古いベンチが置いてあった。
枝の葉陰にフェイクのフクロウ。
ガス灯のようなランプまであり、まるで深い森のような怪しげな雰囲気を醸しだしていた。
通路の突き当りの暗闇で、人影が動くような気配があった。
よく見ると、暗闇から滲んだような青い光が放たれ続けている。
その光に誘われるまま、実穂子は奥へと通路を進んだ。
通路の途中の観葉植物と一体化したようなベンチに、思いつめた表情をしたカップルが座っていた。
男女とも目鼻立ちがくっきりしており、マネキンと見紛うような不気味さがあった。
暗闇の入口に据えられた毛筆の立て看板が、実穂子の目に入った。
”盲目の占い師 法院慈翠”
青白い闇の中で法衣を纏いサングラスをかけた年配の女性が虚空を見つめて座していた。
実穂子はたじろいで、歩をとめた。
闇の片側から黒いスーツを着た小柄な女性がぬぅっと現れた。
「あの、ご予約いただいてますでしょうか」
小柄な女性が実穂子に尋ねた。
実穂子は戸惑いつつ、女性に
「いいえ。その・・・」
と答えた。
すると不意にあのしゃがれた声がした。
「矢島」
法衣の女性がそう言って向きを変えた。
法衣の女性は車椅子のホイールを操り、実穂子に向き直った。
「私が呼びとめてしまったの。ごめんなさい。余りに可愛いお子さん達だったから」
「えっ? たちって、見えるんですか」
矢島が咳払いをした。
「慈翠様は目がお見えになりません」
「カノンとカノン。同じ娘が、ふたりいるんです」
実穂子はすがるような思いを慈翠にぶつけた。
実穂子は手を繋いでいるカノンと、通路を駆けまわるカノンを見比べた。
「同じ娘?」と口ごもり、矢島は失笑した。
「矢島。少し控えてなさい」
慈翠は法衣の下で手をひらひらさせた。
矢島は口元を結び直して闇に姿を隠した。
慈翠に促されて、実穂子は丸椅子に腰かけた。
「矢島が言ったように私は目が見えません。でも私は心の眼で見ています。何か特別なご事情がおありのようですね。よければ話していきませんか。無論相談料は頂きません」
着座した実穂子は、膝の上でハンカチを握りしめた。
 ◇   ◇   ◇
通路を跳ねまわるカノンは、カップルに話しかけたり、葉陰のフクロウに飛びついたりして遊んでいた。
一方のカノンは、矢島がパワーストーンなど開運グッズの説明をするのをおとなしく聞いていた。
実穂子は、自分の身に起きた出来事をぽつりぽつりと慈翠に話した。
慈翠は黙って聞いていたが、実穂子が話し終えると、低い声色で実穂子に語りかけた。
実穂子は慈翠の口から発せられる言葉を聞き逃すまいと、前のめりに聞き入った。
「人は見たいものしか見ません。見たくないものは見えないの。ハナから無かったみたいに人の意識に残らない。人ってそんなもの。世の中がそうなっているの」
実穂子はしばらく席を立つことができなかった。
話を聞いてもらって軽くなったはずの心に、慈翠の話が波紋のように拡がり浸透した。
カノンを呼び寄せて、ようやく実穂子は席を立った。
「ありがとうございます」
「普段はね、鎌倉の法院にいます。気が向いたら遊びにいらっしゃい」
慈翠はそう言うと、実穂子にそっと右手を差しだした。
実穂子は両手で慈翠の右手を握り、もの言いたげな慈翠の顔を見つめた。
慈翠は唇を動かさなかったが、実穂子には慈翠が言ったことが聞こえた。
左右両側にカノンを引き連れて、深い森の通路を実穂子は帰った。
通路が途切れたあたりで、実穂子は慈翠のほうを振り返った。
だが慈翠の姿は見えず、闇に青白い光が浮かんでいるだけだった。
実穂子は闇と光を見据えながら、慈翠が直接心に語りかけてきた言葉を反芻した。
「母親なら、本当のわが子の姿がわかるはず」