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さよなら、カノン【小説版】

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正樹はリビングのソファに腰をおろし、実穂子はダイニングの木製の椅子に浅く座って遠目に大型テレビの画面を見つめた。
実穂子の傍には福住が鎮座する。
◇   ◇   ◇
足高警察署では、藤原、青木、芹沢の3人が会議室に小型テレビと黒電話を持ち込み、番組放映に備えていた。
事件概要が簡潔に説明された後、実穂子の登場シーンが始まった。
カノンが存命していてこのテレビを見ている前提で、実穂子は泣きたいのを堪えて、カノンに訴えかけた。
実穂子が喋る声と表情がテレビ画面から流れてくる。
芹沢は目頭を押さえ、俯いてしまった。
実穂子が映っていた時間は1分に満たなかったが、母親の心の叫びは多くの視聴者に届いたはずだと、藤原は思った。
放映後、藤原たちは情報提供の電話が鳴るのを待ち構えた。
だが、深夜を迎えても電話が鳴ることはなかった。
その一方で、インターネットのコミュニティでは、カノン失踪に関して様々な考察がされていた。
今回の放映はそんな考察オタクたちに、さらにガソリンを供給したようなものだった。
見た目で判断する短絡的思考は、ウェブから一般市民にじわじわと広まっていった。


カノンの発見を呼びかけた番組放映から一週間が経過した。
母親の関与を怪しむ声や実穂子の当日の行動を非難するような電話が数件かかってきたものの、カノン発見に結びつくような情報提供は皆無であった。
警察の力不足を、藤原は実穂子と正樹に詫びた。
実穂子は感謝こそすれ、警察を責めるつもりはないと藤原に答えた。
実穂子の心の底にあるものは、ただ喪失感だけであった。
警察に届くカノン情報が皆無の中で、実穂子に届くいわゆる“嫌がらせ”は継続していた。
「いつでも私に知らせて」
と福住は実穂子にサポートを約束した。
「根拠のない誹謗中傷は犯罪だから」
だが喪失感と無力感に苛まれる実穂子に、世間の声と争う気力は残っていない。
心を無にしてスルーするしかない。
雨戸とカーテンを閉め切り、実穂子は自宅に閉じこもった。
壁に吊るされている制服の下で、実穂子はしゃがみこんで壁にもたれかかった。
玄関チャイムが鳴った。
幾度となる玄関チャイムを実穂子は無視した。
「小包でーす」
玄関で郵便配達と思われる男の声がする。
それでも実穂子は身動きせず、その声を無視し続けた。
「吉川さーん」
実穂子が息をひそめていると、郵便配達は諦めて玄関から立ち去った。
◇   ◇   ◇
福住の奨めに従って、実穂子は差出人無記名の封書を開封せずに取り溜めた。
差出人名のみ書いてあっても、その名前に心当たりがなければ、同様に開封しなかった。
そうして1週間溜まった封書は手提げの紙袋にまとめて入れられた。
内容によっては刑法犯罪に進展する可能性もあるからと、福住はある程度まとまったら足高署に届けるよう実穂子に助言していた。
福住が署に届けるように言ったのは、閉じこもりがちになっている実穂子の精神状態を案じたからである。
カラスが啼き交わしながら山に帰る夕暮れ時に、実穂子は手提げ袋を提げ、戸外に誰もいないことを確かめながらゆっくりと玄関ドアを押し開けた。
オレンジ色の空に、カラスの鳴き声が響き渡る。
玄関から見える範囲に人影はなかった。
だが玄関を一歩出たとき、視界の隅にひらひらと動くものが見えた。
玄関ドアの外側に貼り紙がされていた。
“自首しろ”
太い黒字で書かれたA4大の貼り紙であった。
実穂子は力まかせに貼り紙を剥がし、紙袋に入れた。
書かれた内容もさることながら、何者かが知らぬ間に自宅敷地に侵入していたであろうことに実穂子は恐怖を覚えた。


福住は足高署の1階で実穂子から紙袋を受け取った。
紙袋から突き出た“自首しろ”と書かれた白い紙をつまみあげ、渋面を作った。
「危害はなかった?」
「はい」
「駐在の柳井に周辺の巡回を増やすよう言っておくわ」
福住は紙袋を抱きかかえた。
実穂子は言葉数少なめに福住に礼を言った。
署の玄関で福住と別れ、実穂子は駐車場に停めたサーブのドアに手をかけた。
その時、ふたりの男性が不意に現れ、実穂子に声をかけた。
「あのぉ、吉川、実穂子さんですか?」
実穂子は声がしたほうを振り向いた。
男たちのひとりはスーツ、もうひとりはパーカーを着ていた。
実穂子は身の危険を感じた。
スーツを着たほうが笑顔で実穂子に近づき、名刺を差しだした。
「週刊ニュースパレットの記者の木佐貫です」
実穂子は接近する男に拒否感を示し、如実に嫌な顔をした。
その瞬間眩しい光が実穂子の眼前に閃いた。
パーカーの男が持つカメラのフラッシュであった。
同時にシャッターを切る連射音が実穂子を襲った。
「カノンさんは今どこにいらっしゃるんですか。ご存じでしたら教えてください」
木佐貫と名乗る記者は、マイクを実穂子に向けたて続けに質問を浴びせた。
「カノンさんは生きているとお考えですか」
木佐貫の礼儀知らずの言動に、実穂子はなす術がなかった。
実穂子がようやく車に乗りこみ、木佐貫の取材を遮断したとき、署内から福住がやってきた。
福住は木佐貫たちを、有無を言わせず足高署の敷地から追いだした。
木佐貫たちは愚痴をこぼしながら不適な笑みを浮かべて撤収した。
実穂子の黄色いサーブは、福住が気づいた時には、足高署の駐車ロットから姿を消していた。
◇   ◇   ◇
帰路につくため、実穂子はサーブのハンドルを握っていた。
自宅まであと少しというところの路肩に、見慣れない乗用車が停まっているのが見えた。
先の記者が先回りして待ち伏せしているのだろうか。
取り越し苦労かもしれないが、今は誰とも話をしたくない。
実穂子はすぐ手前のT字路でハンドルを切った。
サイドミラーに映る謎の乗用車が小さくなっていくのを見ながら、実穂子はアクセルを踏みこんだ。


実穂子が所有するサーブは1970年代にスウェーデンで作られたものである。
実穂子の父親が独身時代に購入し、所帯を持ち実穂子が生まれても新車に買い替ることなく乗り続けた。
父親は実穂子が成人してもなおサーブに乗ることに辞めなかった。
それだけサーブという車に惚れこんだのだろう。
オーバーホールを定期的に繰り返しながら、サーブは長い間父親の愛車として維持された。
実穂子が結婚する直前に父親は亡くなった。
父の形見として実穂子はサーブを相続したのだった。
年代を経て駆動部の故障回数は多くなったが、父との思い出を忘れないため、実穂子はボディや装備に手を加えることなく大切に乗り継いだ。
手を加えたことがあるとすれば、ボディカラーと同じ塗料をスウェーデンから取り寄せ、全塗装し直した。それだけである。
座席のシートベルトも発売当時の2点式のまま替えることはなかった。
実穂子がサーブに乗り始めた頃、実穂子は運転に慣れるためよくロングドライブをした。
ひとりでハンドルを握っていると、自然と父親のことが思い出された。
無愛想で無口なタイプの父親と、生前楽しく会話した記憶はほとんどない。
一度だけそんな父親が運転するサーブの助手席に乗せてもらったことがあった。
その時も、父は無口だった。
父はあたしを隣に乗せて、どんな気持ちだったのだろう。
その時は幼くてわからなかった。