蜀への長い道のり
(2)三度目の正直、ついに重慶空港に降り立つ
成都は午前7:30でもまだ闇の中だ。この時期の天候の所以だけではない。中国国内では時差がない。北京を基準にした時刻から経度で10度も西に位置するためである。重慶行きの四川航空便は8:40発である。成都のホテルから空港まで車で40分程度の距離がある。7:30にはホテルを出発しなければならない。朝食付きの宿泊だが餐庁はあいにく7:30からの開始である。
フロントでタクシーを呼んでもらい結張(チェックアウト)してホテルを出る。来たときと同じように濃霧の中を人や自転車の間をすり抜けながら猛スピードで空港に向かう。途中で運転手が電話をかけしばらく走ったところで別人と運転を交代する。その恐怖は乱気流中の飛行機よりもはるかに恐ろしい。日本の暴走族もこれほどではない。真似をすれば事故を起こすに違いない。
猛スピードの一端は私の側にもある。8:40発では急がなければならないのだ。8:20空港に着くと運転手が窓から私に入口を指して早く搭乗しろと促す。待合室には乗客の姿はない。搭乗カウンターの手続きも終わり係員もいない。隣のカウンターで搭乗券を発行してもらい、本機への連絡を取ってもらう。搭乗までの数分間滑稽なほどあたふたとしながら何とか目的の機内に乗り込む。8:30予定時刻よりも早く成都空港を離陸する。
60人乗りのプロペラ機に乗客は5人、あとは四川空港の移動乗務員が10名ほど乗っている。とにかく成都を離陸したのだ、しかし、このあと長~い空の旅が待ち構えていようとは知る由もない。
騒音と振動の激しいプロペラ機内に落ち着き、眼下を覗くが成都の町は霧で何も見えない。この濃霧の中でよく飛び立ったものだ。昨夜ホテルで、もし飛行機がだめなら高速バスに切り替えるしかない。飛ばない方に賭けてみようかと思案した。上海の旅行社は高速バスは危険だと言って薦めなかった。確かにこの濃霧の中を猛スピードで突っ走られたらたまったものではない。
今、四川航空重慶便は雲上の晴れ間を快調に飛んでいる。機内で周恩来生誕100周年記念の卓上カレンダーが配られ開けて中を見る。ところで成都から重慶まで1時間もかからないはずだ。しかし、もう1時間以上経過している。先ほどから四川航空の移動乗務員が後部座席と操縦席の間を行き来している。ちょっと様子がおかしい。そこへ女子乗務員が私のところに来て事情を説明し始めたが、中国語でよく分からない。そこでメモ帳に書いてもらうことにした、筆談である。
由于重慶天气不好 我们現在返回成都 地面人員会安排您休息
等重慶天气好了 地面人員通知您 重新飛往重慶
こうして第1回目の飛行は重慶上空をUターンし成都空港に引き返したのある。重慶もまた濃霧の中にあり着陸を回避した。空港では地上乗務員が迎えてくれて待合室で待機するように指示、この乗務員はつい先刻搭乗ゲートが分からずにあたふたしていた私を飛行機まで誘導してくれた人だ。5名いた乗客のうち3名はキャンセルしたらしい。他の出発便を待つ乗客であふれる待合室には2人だけが残った。どうしても今日中に重慶に行きたい。飛ぶ可能性があるのかどうか地上乗務員に聞いてみる。筆談再開である。
重慶天气很壊 現在什么时候能走我们不能保証 現在能見度只有500m
必須達到800m才能走 如果能見度一直上不去到下午这个航班還是不能走
そうこうしているうちに出発できるとの連絡が入り10:20再び重慶に向かって飛び立つ。しかし、天気は気まぐれである。重慶空港は再び深い霧に覆われたのである。今度は成都に引き返さず一路湖南省張家界空港へ進路を変更した。
今、少数民族の各自治県が散在する上空を飛んでいる。山のてっぺんまで耕地が切り開かれ、手入れされた棚田は美しい模様を描いている。時折きらきらとため池の水面が光る。こちらは天気がいい。12時過ぎ張家界空港に着陸する。餐庁に案内され弁当を支給されたが、このやり方は上海での遅延の場合と同じである。こうして私と楊氏の二人は15:40発重慶行きのトランジット客となり、ここで結局4時間ばかり待機することになった。
かの移動乗務員らは民族風味小吃(一般餐庁と区別された別室で、食堂兼娯楽室になっている)に入って麻雀をしている。地方空港で一般客はそれほど多くないが、それでもみやげ売店を覗いたり、待合室から戸外へ出て日向で休んだり、名山の土地で名高いこの辺の山を見ながら出発を待つ。こうして四川航空3U421便に乗ること三度目にしてついに重慶の地面を踏んだのである。
作品名:蜀への長い道のり 作家名:田 ゆう(松本久司)