蜀への長い道のり
エピローグ
このように蜀への旅は悪天候だったが、不運だった気が少しもしない。すっかり予定が狂い蜀の町は何一つ見学できなかったことは確かである。せっかくここまで足を伸ばしながらどこも見られずお気の毒でしたと言われるかも知れない。しかし、史跡や町並みを見られなかった反面、今までなかった興味深い経験をしたと思う。一人旅という醍醐味も味わうことができた。
生半可な中国語はまったく通じない、いざというとき言葉が出てこない。否、なまじ流暢に話すよりも下手で苦労するほうがおもしろいのかも知れない。ゲーテは「旅はそこに着くことではない」と言ったそうだが、なんとなく分かりそうな気がする。目的地がどんどん遠のく旅は単純な理由にせよ旅をしたという実感は付いてまわりそうである。
その実感の一つが、少数民族の自治県が散在する上空から見た棚田の光景である。日本の棚田百選も素晴らしいに違いないが、それらは各地に点在し千枚田ともいわれるように小さくまとまっている。山を切り開いて田を拡張していく工程は日本も中国も同じだ。ただスケールがまるで違う、山岳地帯にあって山という山はそのてっぺんまで切り開かれ、山一面に様々な形の田が織り成す景観は圧巻というより驚愕に近い。さすが稲作伝承の地、中国だと思わず唸ってしまう。進路変更による思いもかけぬ土産物を与えられたことに感謝している。
27前の中国旅行記をいまさら思い出しながら書き残しても大して意味はない。しいて意味を見出すとすれば今の中国が、あれからどうのように変わってきたのか、四半世紀の変化を追うことができるのではないか。それよりも傘寿を迎える年齢になって、薄れてきた記憶をこの辺で確かめてみたいという貪欲さがそうさせたのかも知れない。(完)
作品名:蜀への長い道のり 作家名:田 ゆう(松本久司)