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血の臭いの女

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 しかも、相手はまだ思春期にさしかかったばかりではないか。こちらは抜けているので、気持ちの余裕と一緒に、完全に相手に対して、自分がマウントを取っているということにも気付けたし、マウントを取ることで、相手が安心してくれるのも分かってきたので、こちらが、少々相手に命令口調になったとしても、相手が却って安心してくれるのだから、美穂にとっては、ありがたいことなのに違いなかったのだ。
 ただ、彼らもいずれは、思春期を抜けるであろう。そうなると、美穂のマウントも、終わってしまうのではないだろうか?
 そんなことを考えていたが、それは、思い過ごしだったようだ。
 完全に彼らは、
「美穂の下僕」
 といってもいいくらいになり、美穂のいうことであれば、まるで、奴隷のように聞くというくらいになっていた。
 それは、まるで、
「美穂が宗教団体の教祖であり、彼らが信者という関係に近いのではないか?」
 と美穂は考えていたが、彼らはもっと強い結びつきを感じていた。
 彼らといっても、美穂の取り巻きは、男の子が三人であった。その三人の男の子が、美穂という女の子を支えている。その光景は、普通は見られるものではないだろう。
 しかも、彼らは、元々美穂を苛めていたという関係である。その三人の関係が、実はバチバチしていることから、美穂に対しての思い入れも強いのだ。
 ある意味、この三人は、
「三すくみ」
 という関係のようであり、お互いにけん制し合うことで、美穂は安泰だったといってもいいだろう。
 それぞれがそれぞれを抑止していて、美穂にとっては、まるで、王女か、乙姫様かと言った感じで、男を下僕として従えているようにしか、まわりには見えなかっただろう。
 そういう意味で、美穂は、女性に敵が多く、男性の中にも結構敵がいた。自分では分かっていなかったが、
「敵だらけだ」
 といっても過言ではないだろう。
 実際に、その三人は、確かに
「三すくみだ」
 といってもいいだろう。
「AはBよりも強いが、Cには弱い。Bは、Aには、弱いが、Cには強い。したがって、CはAには強いが、Bには弱い」
 という関係である。
 それぞれが、お互いを食い合うという関係、お互いにハッキリとした力関係があるにも関わらず、その力の均衡が取れていることで、お互いに手を出すことができない。
「いくら、目の前に自分よりも弱いやつがいるといっても、そっちにかまってしまうと、強い相手が、こちらをめがけて襲ってくる。だが、その襲ってくる相手も、自分から逃げたのではなく、自分が優位に立つ相手を攻撃したのだとすれば、それぞれ位置が入れ替わるだけで、その近郊は経モテたままだ」
 と言えるであろう。
「世の中、この力関係があることで、成り立っている」
 といってもいいかも知れない。
 もし、3つのうちのどれかが、大量発生でもしたらどうなるだろう?
 大量発生するということは、確かに、全体的な力は強くなるかも知れないが、餌になるべき、自分にとっての弱い相手をすべて食い尽くしても、餌が足りないということになる。
 しかも、食いつくすということは、相手が種の継続ができないということで、絶滅を意味することになる。そうなると、未来永劫、餌がなくなってしまうということになるだろう。
 じゃあ、自分に対して強い相手はどうだろう?
 こちらは、たくさんいるので、食料に困ることはないが、数の理論で、迂闊に手を出せなくなるというのも、理論である。
 そうなると、餌になる動物が死滅する。しかも、今度は、こちらを襲ってくる動物は、点滴がいなくなって、増えることになる。ただ、餌はたくさんあるので、数が近づいてくるにつれて、大量発生していた動物の数が減ってくる。追い抜いてしまうと、今度は、最初と同じ理屈で、
「餌になる動物を食い尽くしてしまい、三すくみで生きのこったのは、自分たちだけだ」
 ということになるだろう。
 ただ、今度は餌がない。最終的には、皆、
「飢え死にしてしまう」
 というのがオチとなり、生き残るところは一つもないということになる。
 つまりは、三すくみに限らずであるが、
「自然界の摂理」
 というものも同じ理屈ではないだろうか?
 そもそもいろいろ考えてみると、
「自然界の摂理」
 というのは、
「循環する」
 というのが、基本になっている。
「弱肉強食」
 という基本があるには、動物というものが、
「何かを食べないと生きていけない」
 ということが基本となり、それがまわりとの関係を作っていき、生命というものを育んでいると考えるなら、
「世の中に存在している弱肉強食というものは、一種の必要悪というものではないだろうか?」
 と言えるのかも知れない。
 ただ、人間のように、意識というものがあり、そこから意思が生まれている動物は、善悪の判断から、
「弱肉強食というものは、悪いことだ」
 というイメージがついてしまう。
 特に、戦争のように、
「戦争を仕掛けることは、相手を侵略することになり、悪いことだ」
 という理屈を特に日本人を中心とする、民主主義の国は思うことだろう。
 しかし、中には、
「他国を侵略しなければ、生きていけない」
 という国だって存在する。
 いくら、
「侵略が悪いことだ」
 といっても、生きていくために必要な食糧であったり、資源が他の国にあるとするならば、
「生きるため」
 という理由で行う侵略を、果たして、
「悪いこと」
 だとして、糾弾できるのだろうか?
「やらなければ、やられてしまう」
 という状況に陥った時、
「自衛のため」
 ということで、攻撃を許されるのと、何が違うというのだろう?
 世の中が全体的に不況に陥ったり、真剣な食糧不足に陥ると、そういう事態だって起こるにちがいないではないか。
 その時、生き残るために戦争を仕掛けたとして、それを、
「侵略」
 と言えるだろうか?
 いくら一つの国が困っているといっても、助けられるほど、他の国が豊かではないだろう。
 むしろ、その分、他の国も弱っているわけで、そう思うと、
「今なら、攻撃ができるだけの力が残っている」
 というわけで、これ以上衰弱すると、動くこともできなくなって、見捨てられるか、他の国から、侵略を受けるかが関の山ということであろう。
 それを思うと、
「あくまでも、自分たちが生き残るため。つまり、生存をかけての戦い」
 というわけである。
 それを、
「自衛のため」
 とは言えないだろうか。
 かつて世界は、2度の
「世界大戦」
 を経験した。
 時代は、大量虐殺の時代となり、いろいろな兵器が生まれた。
「戦闘機、戦車、潜水艦」
 などがそのいい例で、
「空から爆弾や焼夷弾をばらまく」
 という絨毯爆撃なるものも生まれた。
 さらに、一発の爆弾で、大都市が死滅してしまう爆弾までできた。しかも、今はその破壊力はすごいもので、
「世界にある兵器がすべて爆発すれば、地球がいくつ吹っ飛ぶか?」
 というほどになっているのだった。
 これらの、
「核兵器」
 と呼ばれるものは、開発したことで、
「相手の国への抑止になる」
 という考えがあった。
作品名:血の臭いの女 作家名:森本晃次