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同一異常性癖の思考

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。

                 迫田刑事

 K警察の刑事課所属である。桜井刑事は、日ごろの事件や業務とは別に、いくつかの、未解決事件、いわゆる
「お宮入り事件」
 というものに、興味を持っていた。
 今は昔と違って、凶悪事件、特に殺人などという事件は、時効というものがなくなったので、
「本来なら、時間があれば、そちらの事件も追いかけるくらいの気概がないと、刑事とは言えない」
 というくらいに思っていた。
 もちろん、これを他人に強要などできるわけもなく、自分一人で、コツコツと捜査をしていた。
 しかし、ちゃんとした仕事ではない。もちろん、
「未解決事件」
 というものに立ち向かうのは、刑事としては大切なことであり、当たり前のことだ。
「国民の血税で生活している」
 などという、お飾り文句のようなことをいうわけではないが、あくまでも、
「刑事としての、本能と、自己満足のようなものだ」
 と思っていた。
 桜井刑事は、自己満足という言葉が嫌いなわけではなかった。
 それは、学生時代からのことで、
「趣味であっても、何であっても、自分で満足できないようなものを、人が満足してくれるわけはない」
 ということで、自分で作ったりしたものを他人に施したり、共有するものは、基本、
「自己満足が大切だ」
 と思っていたのであった。
「自己満足しかしないようなものを、他人が満足してくれるのか?」
 というやつがいたが、
「いやいや、まずは、自分で満足のいくものを作るのが先決なんじゃないか? じゃあ、お前は、すべての人が満足するものを作ることができるのか?」
 と聞くと、
「そう思って努力するのが、人間なんじゃないか?」
 というのである。
「じゃあ、聞くが、全員が満足するというのは、どういうものなのかって、誰が分かるんだい? そもそも人間は、皆性格が違うんだから、万人を満足させるなんて、できるわけはないんだ」
 というと、
「だから、努力をするといっているんじゃないか?」
 というので、
「努力をするという言葉は実に都合のいい言葉だよな? でも、努力をするといっても、目標がハッキリ見えていないのに、努力もくそもないと思うんだが、どうだろう?」
 と、かなり汚い口調になってしまっている。
 桜井青年は、昔から、自分の考えに遭わない人と話をする時は、結構相手を口汚く、罵ってしまうくせがあった。
 だから、その時も、結構ひどい言い方だったのだが、それも、
「売り言葉に買い言葉」
 相手も同じだったのだ。
 ただ、この会話に関しては、結果、
「堂々巡り」
 と繰り返すだけであり、それ以上の話ができるわけではなかった。
 そのことを考えると、
「どこかで、さやを収めるしかないか?」
 と考えるのだが、どこで収めていいのか分からずに、喧嘩が拗れて、不仲になってしまった人もいた。
 それから、桜井刑事は、人と話す時は、必ず、
「一歩下がった目で見る」
 ということを考えるようになったのだった。
 だから、桜井刑事は刑事になった、まだ新人の頃から、
「会話に関しては、熱くなることもなく、冷静に見れるやつだ」
 ということで、まるで、
「ベテラン経緯のようだ」
 と言われるようになっていた。
 だからこそ、上司からは、
「頼もしい」
 と思われ、後から入ってくる後輩たちからは、
「頼られる」
 のであった。
 同じ、
「頼」
 という字を使っているが、見る方向によって、
「まったく違って感じるということを一番分かっているのが、ひょっとすると、桜井刑事ではないか?」
 と思っている人は、結構多いかも知れない。
 そういう意味でも、
「決して内輪では、敵を作らない」
 という人間なんだと思われていることだろう。
「人には話せないことを、桜井さんには話ができる」
 という後輩が目白押しだったのだ。
 そんな桜井刑事がいう、
「自己満足」
 という言葉に一番、
「造詣が深い」
 と思っているのが、迫田刑事だったのだ。
 迫田刑事は、いわゆる、
「勧善懲悪」
 というものを絵に描いたような性格の人だった。
「自己満足と、勧善懲悪の何が関係あるんだ?」
 という人もいるかも知れない。
 ただ、勧善懲悪というのも、ある意味、
「自分勝手な考え方ではないか?」
 という思いを裏に持ち、自己嫌悪に陥ったことも、昔には結構あったものだった。
 それが、学生時代であり、今から思えば、
「ごく最近のことのように思える」
 というものであるが、その思いが、特に、高校生から大学に入ってすぐくらいのことであった。
 その頃というのは、
「高校時代末期と、大学に入学してからでは、人間が変わったと言われるくらいに精神状態に波があった」
 ということを考えると、その頃が一番、
「自分勝手な考え方をしていたのではないか?」
 と感じたのだ。
 高校2年生くらいから、受験というものを意識し始めて、その受験のために、少し精神的に、
「病んでいた」
 ということがあった。
 病んでいたといっても、受験のために追い詰められることで、
「何かにすがりたい」
 という思いだったのだろう。
 自己満足というものを感じたのは、その時だったのかも知れない。
 どうしても、
「逃避行」
 に走りたくなり、そのためには、
「自分を納得させるだけの何か」
 というものがないと、前に進むことができない。
 逃避行をするためには、必ず、
「さらなる逃げ道も考えているものであり、その逃げ道も一つだと安心できない」
 のであった。
 どんなにたくさんの逃げ道があっても安心できない。だから、無限に不安が付きまとってくる。それが、循環しているということに気づけば、また見えているものが、角度によってかわってくるのだが、それを理解できるだけの頭が、自分には備わっていなかったのだ。
 だから、
「逃避行」
 であったり、
「無限の逃げ道」
 というものを、
「悪だ」
 と感じるようになると、元々の勧善懲悪という意識からか、自分が許せなくなってしまうのだろう。
 そういう意味で、勧善懲悪が、自分の中で、結界のようなものを示しているようで、
「矛盾の塊」
 ではないかということを感じさせるのであった。
 だから、
作品名:同一異常性癖の思考 作家名:森本晃次