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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Snag

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 行広が言うと、渡利はその顔を見上げた。雪がちらつく真っ暗闇をいびつに切り開く光の中でも、その表情は不思議とよく見える。純粋に心配しているだけではなく、手伝うとまで言ってくれている。だからこそ余計に、手を煩わせたくない。むしろ、パンク修理を終えたらすぐに太田を起こして、ここから抜け出したい。タイヤがパンクしたまま夜を越したとして、太田が夜中に突然起き出して『殺そう』と言ったら最後、止める術がない。犯罪者として合理的に考えるなら、最低限でもランドクルーザーを狙う。その鍵を手に入れるためなら、太田は何だってするだろう。そして、口止めのような手間もかけないし、目撃者は残さない。
 渡利は少しだけ宙に浮いたスープラの車体に向き直って、言った。
「ありがとうございます、気を遣ってもらって。でも、いつでも出れるようにしときたいんです」
「そうですか。ほな、今やってしまいますか」
 行広は、渡利の予想に反して隣に屈みこむと、タイヤをぐるりと回した。
「私もね、車は多少分かりますんで。ナナマルが走ってくるのを見て、いよいよ目がおかしなったんかと思いましたよ」
 渡利が顔を伏せたまま笑うのを見ながら、行広は運転席を指差した。
「外すんも面倒やし、右に切ってこのままいきましょか」
 二人がかりで作業を始めたとき、渡利が前に屈んだ拍子に上着がずれて、首からかけた鍵がスープラの車体にぶつかった。慌ててその鍵を引き寄せる様子を見て、行広は宥めるように苦笑いを浮かべた。
「それぐらいなら、傷にはなりませんよ」
 渡利がうなずく様子を見て、実際に気にしているのはスープラの車体ではなく鍵の方だと、行広は気づいた。その視線に気づいた渡利は、言った。
「いや、これね。子供のころから持ってた唯一の持ち物で。何にも使えないんですけど、だから逆に捨てられんかったんです」
 行広は充填剤の缶を引き寄せると、懐中電灯でラベルを照らして読みながら何度もうなずいた。
「大事にしてるもんがあるのは、いいことです。そういう拠り所を持ってないと、糸が切れた凧みたいになってしまいますから」
「長いこと、ここで民宿やってはるんですか?」
 渡利が訊くと、行広は充填剤の缶を傍に置きながら顔を上げた。
「そらもう、根が生えるぐらいね」
「危ない目に遭ったことも、ありますか?」
 渡利はプラグをタイヤに差し込みながら、言った。行広はうなずいた。
「人間相手の商売なんで、色々と見ますね」
 渡利がはみ出たプラグをカッターナイフで切ったとき、ほとんど真っ暗闇に見える背後で空気が揺れた。
「渡利? 何してんねん」
「パンク修理です」
 渡利が答えるのと同時に、近くまで歩いてきた太田は行広が一緒にいることに目を丸くした。
「あ、すんません。手伝ってもらってるんですか」
「ライト係ぐらいなら、お世話できますんでね」
 行広はそう言うと、懐中電灯を持ったまま腰を上げた。二人がスープラの前で立ち話を始めるのに合わせて、民宿の中へと戻った。テレビは消音になっていて、恵子は寝室で客が置き忘れた文庫本を読んでいた。
「タイヤは治った?」
「まあ、山越えはできるやろ。もう一発穴が空いたら、終わりやけどな」
 行広はそう言うと、敷布団の上にあぐらをかいた。恵子が文庫本にしおりを挟んだのを見て、抑えた声で言った。
「でかいほうは分からんが、もうひとりの名前は、渡利で間違いない」
「聞いたん?」
「でかい方が、名前を呼んだ」
 恵子は消音になったテレビの画面で話し続ける芸人の顔を見ながら、言った。
「でかい方の人、外に出て行くまでずーっと歩き回っとったわ」
「一階を?」
 行広が念押しするように訊くと、恵子は寝室に置いた小さな金庫をちらりと見て、苦笑いを浮かべたままうなずいた。
「うち、ほんまに何も置いてないのにね」
 渡利の『危ない目に遭ったことがあるか』という質問。あれは、警告なのだろうか。だとしたらあまりにも粗削りだが、素直で好感が持てる。行広は相槌代わりにうなずいた。
「タイヤは修理したからな。このまま出て行かん理由はないと思うけども」
「何かから逃げとるんやろねえ。二人は、友達なんかな?」
 恵子はすっかり目が冴えたように、背筋を伸ばした。行広は首を横に振った。
「上下関係がはっきりしてる。でかい方がリーダーで、完全に主導権を握っとる感じやろうな」
 そういう人間関係を百個は思い出せるように、恵子は苦笑いを浮かべた。行広は同じような苦笑いを返した。その困ったような表情は、若いころから変わらない。頭の中で何か言ってやりたいと思うほど、外から見たら困っているような表情になると言っていた。今もそうだ。行広自身も、いびつな人間関係が人生にどうやって鎖を巻き付けてくるか、身を持って知っていた。この辺鄙な立地の民宿で過ごしてきた三十年近くの年月は、そういった鎖とは無縁だった。
「でかい方は、気にしといたほうがええな。まあ、今日は何もしよらんわ」
 行広はそう言うと、テレビの音量を元のボリュームまで上げた。
  
 朝になり、渡利は枕にめりこんでいた頭を引き剥がして、体を起こした。太田はすでに起きていて、充電ケーブルが接続されたままのスマートフォンを手に持って、難しい顔をしている。
「寝過ごしました」
 渡利が言うと、太田は眉間にしわを寄せた。
「ゆうて、まだ六時半や」
 太田は朝に弱いはずだが、随分早起きだ。渡利はテーブルの上に置いたペットボトルの水をひと口飲んだ。同時に、壁にかかった上着が傾いていることに気づいた。太田は、外に出ていたのだろうか。それとなく部屋の中を見回したとき、スープラのトランクに置いていたはずのリュックサックが寝かされていることに気づいた。ブランドは定番のポーター。黒色で、シンプルなデザイン。基本的に触れることは許されないが、中身は大体知っている。戦利品の金と、ロープ、ガムテープ、バール、スタンガン。つまり、仕事道具だ。渡利は歯を食いしばった。胃が体の外へ出て行こうとしている。太田はやはり、ここを襲うつもりだ。
 渡利がもうひと口水を飲んだとき、太田は大事なことを思い出したようにスマートフォンから顔を上げた。
「ぼちぼち朝メシ用意してくれるて。さっき、奥さんと喋った」
「分かりました。食べたら出ますか?」
「いや、道が凍ってるかもしれんから、昼ぐらいまで待った方がいいって言われたわ」
 太田が退屈そうに伸びをしたとき、扉がノックされた。恵子について一階に下りると、朝食が二膳分用意されていて、行広は雪掻き用のシャベルを玄関に置いているところだった。
「おはようございます。積もりますかね」
 渡利が言うと、行広は首を傾げた。
「おはようございます、今日はよく晴れとるんで、大丈夫やとは思いますが」
作品名:Snag 作家名:オオサカタロウ