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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Snag

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 運転手はうなずくと、長いノーズを器用に振りながら、ランドクルーザーの隣にスープラを停めた。行広は車体の動きを見て、右のフロントタイヤがほとんどパンクしていることに気づいた。助手席から降りてきた大柄な男がぺこりと頭を下げたとき、行広は恵子の言うとおりに迎え入れたことを少しだけ後悔した。人は第一印象が全てだ。正確には見た目でなく、その目を見れば分かる。
「こんばんは、ちょっと一泊いいっすかね」
 太田は強い風によろめきながら、作り笑いを浮かべた。行広はうなずいて扉を大きく開いた。
「どうぞ。今日、寒いでしょ」
 太田は世間話に応じることなく、三和土に足を踏み入れた。渡利が後ろからついてきて、行広に頭を下げた。
「助かりました」
 行広は笑顔で応じた。車がパンクしていることを伝えるか迷ったが、相手が自分で気づくまで待った方が得策だと考えて、料金表と宿泊帳を差し出した。
「一泊ですね。お代は帰りで結構ですので、こちらにお名前をお願いします」
 太田は、宿泊帳に『田中、鈴木』と書き、その隣に空いた住所や電話番号の欄をしばらく見つめた後、行広の顔を見上げた。
「それで結構ですよ」
 行広はそう言うと、宿泊帳を閉じた。本名ではないだろうが、わざわざ電話番号や住所を書かせるようなことをして、揉めたくはない。恵子は厨房から戻り、渡利と太田の顔を代わる代わる見ながら言った。
「よくお越しくださいました。夕食は一階の広間になるんですが、何時ぐらいが良いですか?」
 太田は壁にかかった時計を見上げた。午後五時半。正直、腹に入れば何でも構わない。
「準備できしだいで、何時でも大丈夫です」
 渡利は上着を脱ぎ、片手に持った。正直、今の状態で何かが腹に入るとは思えない。行広と恵子の両方が自分を見ていることに気づき、渡利は頭を下げた。
「すみません、ハンガーあります?」
「あら、ごめんなさい。ありますよ」
 恵子は慌てて渡利の上着を受け取ると、ハンガーに通した。行広は二階に通じる階段を目で指して、言った。
「奥の部屋が一番広いので、そちらへどうぞ」
 恵子が階段を先に上がり、太田が続いた。渡利は外が気になるように、扉に目を向けた。行広は完全に日が落ちて真っ暗になった外を窓越しに見て、首を横に振った。
「この時間からの下りは、怖いですよ。ゆっくり休んでください」
 渡利はうなずくと、階段を上がった。部屋の中で上着を脱いですでにくつろいでいる太田と、笑顔で世間話をして付き合っている恵子を見たとき、つい十分ほど前に助手席で太田が呟いた言葉を、できるだけ腹の底に押し込んだ。
『一泊するか、車もあるし。殺したって誰も気づかんやろ』
 渡利は、二人が世間話を続ける会話の輪から少し離れて、広々とした和室に腰を下ろした。テレビは薄型で、それなりに新しい。携帯電話の電波も届く。五十代と思しき夫婦は活気があって、廃業寸前という雰囲気ではない。ただ、こんな山奥にぽつんと建つ民宿なんて、中で誰かが死んでいたとしても、相当長い時間は気づかれないだろう。
 太田は渡利の方をちらりと見ると、再び恵子に目を向けて言った。
「ここ、風貫峠って名前なんすよね?」
「懐かしい。その名前で呼ぶ人は、もうほとんどいませんねえ。地元の方?」
「いや、おれじゃなくて、そっちの方が」
 太田は渡利を手で示した。水を向けられた渡利は世間話に巻き込まれることを覚悟したが、恵子は古い記憶を呼び起こすように目を細めて、言った。
「ここは、最初は名無しの権兵衛でした。民宿としか看板を出してなくてね。地元のお客さんが酒盛りの席で風貫峠だと言って、それを宿泊帳に書き残して行ったんです。それが定着して、うちの屋号になりました」
 そこまで言って初めて、恵子は渡利の方を向いた。渡利が相槌ともお礼ともつかない角度で頭を下げると、恵子は太田の方に向き直った。
「ここにいらっしゃるのは、この先の林を整備する業者の方か、測量関係の方がほとんどです。用事がなければ、みんな観光地へ行ってしまいますから。では、私は夕食を用意してきますので、この辺で」
 恵子が立ち上がって一礼してから部屋を出て行き、渡利は静かになった空間で息を潜めながら言った。
「色々喋って、良かったんですか?」
 太田はスマートフォンを横に向けて、動画を見ながらうなずいた。
「殺すの、簡単そうやから」
 食事は一時間後に用意されたが、ご飯をお代わりした太田と違って、渡利は何を食べたか全く頭に入らないまま、部屋に戻った。太田の単純すぎる頭は、この民宿を新しい獲物としか理解していない。確かにこの立地なら、誰にも気づかれずに強盗を成功させられるだろう。しかし、この状況で休める場所を提供してくれた二人は恩人だ。
 今、太田は風呂に入っている。あの主人と妻に何かをする姿は見たくない。しかし、目を離したら最後、何か取り返しのつかないことをあっさりやってのけそうな気もする。例えば『風呂までありがとうございました』と言って、バールでいきなり店主の頭を殴るかもしれないのだ。一度行動を決めたら、太田は無駄口を叩かなくなる。それに、どの道タイヤの空気が抜けている以上、ここからは出られない。だとしたら、まずはその動機を消さないといけない。
 風呂を諦めた渡利は、部屋に戻った。風呂上がりの太田は布団の上で大の字になって眠っており、拍子抜けした渡利は壁にもたれかかった。
「なんやねん……」
 午後九時。外は真っ暗で、民宿全体が静かだ。廊下で耳を澄ませると、夫婦が一階で観ているらしいテレビの音が、微かに聞こえる。
 これが続けばいい。
 頭の中に突拍子もない考えが浮かび、渡利は目を伏せた。どうしても、この部屋に落ち着こうとしてしまう。自分は風来坊だ。同じ場所に何日もいられるような生き方はしていない。小さく息をつくと、渡利は一階に下りて上着を羽織った。扉を静かに開けて外へ出ると、目が慣れていないのもあって夜空の中にすとんと落ちたような気分になった。
 スマートフォンのライトでスープラのフロントタイヤを照らしながら触れていると、折れた釘が中途半端に刺さっている箇所があった。渡利はリアハッチを開けてパンク修理キットと充填剤を取り出した。ドライバーとしては、この辺のアイテムを揃えていないとプロ失格だ。簡易ジャッキをマウントの位置に滑り込ませてクランクに力をかけたとき、光源が増えて渡利は振り返った。
「パンクですか? 来るときに気になってたんやけど」
 暗い色の上着を着込んだ行広が言い、渡利は苦笑いを浮かべた。
「釘でした。麓に材木置き場があったんで、そこで踏んだかもしれないです」
「あー、ありますね。わざわざ、真っ暗になってから修理せんでも。明日の朝、手伝いますよ」
作品名:Snag 作家名:オオサカタロウ