小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Snag

INDEX|1ページ/6ページ|

次のページ
 
「尾根の辺りに、建物が見えます」
 埃混じりの向かい風で目がかすんだが、夕暮れの中にはっきりと見えた。渡利は何度か瞬きを繰り返すと、反対方向を向いている太田に呼びかけた。
「おー、やるやん。さすが地元」
 太田は体ごと渡利の方を向くと、真正面から風を受けて目を細めた。渡利は役目から解放されたように一歩引くと、かつて発電所だった廃墟を見上げた。山越えをする季節でもなければ、それに合わせた車でもない。ステアリングが少しずつ重くなっているから、おそらくフロントタイヤから空気が抜けてきているが、どうしようもない。スープラの大きな車体では落石を避けるすべもなく、ここへ来るまでに無数に踏んだ。県道であることを示す青い看板は傾いていて、この道の全てが、何かが通り抜けることを拒否しているように思える。渡利がフロントタイヤを確認するために屈み込もうとしたとき、太田がその肩を捕まえて揺すった。
「行くぞ」
 渡利はうなずくと、スープラの運転席に乗り込んだ。共に二十五歳だが二人の役割は根本的に異なっており、大柄な太田が『暴力』を担当していて、それを細身な渡利があちこちへ素早く『移動』させる。その、対等とはほど遠い力関係を保ったまま、おおよそ五年に渡って活動を続けてきた。太田が渡利に目をつけた理由は、力で必ずねじ伏せられる上に、運転技術が高いからだった。
 渡利は砂利をごりごりと弾き飛ばしながらスープラを発進させて、呟いた。
「タイヤが……」
「タイヤが何?」
 太田が訊き返し、渡利は車までが自分の体の一部で、その不始末も自分の責任であるように、首をすくめながらステアリングを左右に振った。
「いや、穴が空いてるかもしれないです」
「は?」
 太田は、渡利の頭の代わりにヘッドレストを力任せに叩いた。その責任が自分にもあるというのは、はっきり理解していた。渡利が育ったらしい地域にこうやって足を運んでいるのは、単刀直入に言えば逃げているからだ。要は失敗したのだ。ずっと、警察に逃げ込めない人間を狙って強盗を繰り返してきた。どこにも記録されていないし、持っている本人が記録されることを望まない現金。それこそが狙いで、下調べを全て自分で完結させてきた太田からすれば、十二時間前に襲撃した相手も『退屈な一件』として、頭に刻まれるはずだった。バールで頭を叩き割った相手がその筋の人間ではなく、ただ金に汚いだけの弁護士だと分かるまでは。
 渡利は、太田をこれ以上刺激しないように力を込めてステアリングを回し、アクセルを踏み込んだ。この峠は『風貫峠』と呼ばれているが、それは地元の人間がつけたあだ名だ。幼少期に近所の子供が山を指してそう言っていたのを覚えている。今はその中を抜けようとしているが、遠い景色だったということだけを、はっきりと覚えている。親を知らず児童養護施設で育った渡利にとって、子供時代というのは地理的にも心情的にも最も遠い存在だった。太田の言うように生まれ故郷ではあったが、それはぼやけた白黒のイメージでしかない。
 今回は、記憶だけじゃなくて全ての輪郭がぼやけている。まず現場で何があったのか、太田は全く言わなかった。ただ、いつもなら早歩きで車まで戻ってくるところを、今日は汗を浮かべながら走ってきたから、何か想定外のことが起きたのだろうと推測した。聞く気にはなれないが、仕事の後はずっしりと重くなるはずのリュックサックがやけに軽く見えたから、もしかしたら現金すら取り損ねたのかもしれない。渡利は、自分があちこちに運んできた『暴力装置』の横顔をちらりと見た。夕暮れがさらに濃くなって表情は読めないが、もしかしたら、自分と同じことを考えているのかもしれない。
 これが、二人でやる最後の仕事になると。
 また次の『巣』を探さなければならないが、もう慣れっこだ。二十五年間の人生で、様々なものが自分の手元に辿り着いては、去っていった。唯一の例外は、施設にお世話になったときからポーチの中に入ったままの、小さな鍵。何にも使えないし、意味のないもの。無駄な持ち物が一切なかった自分にとっては、ある意味新鮮な存在だった。結局捨てることはできず、ある程度の年齢になってポーチを持ち歩かなくなってからは、ワイヤーを通して首飾りにしている。
 尾根に少しずつ近づくに連れて、渡利はアクセルを踏み込む足に力を込めた。太田との関係に終わりが訪れるなら、それは大歓迎だ。雑に取り付けられたグレーチングを乗り越えたときに首飾りが揺れ、ふと希望が心に宿った。同時に、遠くの尾根に見えていた建物の一階部分に、明かりが点くのが見えた。
    
 風貫峠という呼称は、尾根に一軒だけぽつりと建つ『民宿かぜぬき』の宿泊帳へ書かれたお礼の言葉が発端で、それ自体が三十年近く前のことだった。客が置いていった雑誌を読んでいた須田行広は、窓から外を眺めている妻の恵子に言った。
「雨か?」
 恵子は首を横に振ると、手招きした。行広は雑誌を裏返して立ち上がり、恵子の横に並ぶなり目を丸く見開いた。黄みがかったヘッドライトの光線が、山並みをくり抜いているのが見える。
「こんな時間に山越えかい」
 行広は恵子と顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。尾根を抜けてからも、そこからは先の読めない長い下りが続く。共に五十代半ばで、特に老眼が進んでいる行広は、この時間からランドクルーザーで山を下りる気にはなれなかった。
「お客さんかなあ」
 恵子はそう言うと、小さく息を漏らして笑った。行広は壁にかかった時計を見上げた。夕方の五時。この民宿を選ぶのは、林業関係か測量士ぐらいだ。仮にそうだとしても、予約なしで来ることはない。ヘッドライトがさらに近づいて、その黒いシルエットから古い型のスープラだと気づいた行広は、顔をしかめた。
「こっちにも、客を選ぶ権利はあるぞ」
 落石だらけの山を越える車には思えない。その走り方も雑で、何を踏み越えようが構わないような無鉄砲さだ。恵子は窓から少し体を引いて、厨房に顔を向けた。
「仕入れといてよかったね」
 行広は小さくため息をついたが、笑顔に切り替えた。恵子の性格は、基本的に前向きで明るい。実際、急な客が訪れたときはこれまでに何度もあった。恵子がそれに対して陰で文句を言ったり迷惑そうな顔をするのは、見たことがない。行広が営業用の表情を作ろうとする寸前、恵子が顔を向けて笑った。
「ほら、仕事の顔。時間かかるねんから、もうやっとかな」
 行広が急ごしらえの笑顔を作ると、恵子は合格点を出すようにうなずき、厨房の電気を点けた。行広はその後ろ姿を見ながら、思った。宿である以上、相手の事情に付き合わなければならない。タイヤがばりばりと砂利を踏む音が近づいてきて目の前を一度通り過ぎたとき、バックギアに入るときの微かな金属音が聞こえて、行広は営業用の顔を作ると引き戸を開けた。黒のスープラ。窓から運転手が顔を出していて、指示を仰ぐようにこちらを見ている。
「宿泊ですか? ランクルの隣にお願いします」
作品名:Snag 作家名:オオサカタロウ