認知症に遠い心の持ち方
その7
長い年月叔母は奇異な行動をしながら、母と私の夫の見守りでどうにか生きていた。私の夫は特に優しく接していたので、私が叔母の部屋へ食事を持って行くたびに、叔母は優しい優しいたけしさんと歌うように繰り返した。
長々と叔母の痴呆への経路を書いたが、私が言いたかったことはおしゃべりが好きという人は危ないということだ。
叔母の場合は子供が居なくて寂しかったのかもしれないが、それにしても医師である叔父や母に守られていたのだからそれほど不幸ではなかったとおもう。
近所の老人とも仲良くしていた。それなのに晩年に何故それほどまでにボケたのだろう。
今は認知症という言葉は誰もが恐れる病気として注目しているが、当時はそれほどでもなかった気がする。近所の老人たちもみな頭はしっかりしていたようだ。
しっかりしていた老人はおしゃべりよりも身体を使って何かをしていた。生家の近くの老人は90歳を越えても野菜を作り自活していた。
叔母が大ぼけになったのはおしゃべり好きが原因だと私は思うのである。
おしゃべりが趣味と豪語して何もしなかったり、噂話で日が暮れている人は危ない危ない。
完
作品名:認知症に遠い心の持ち方 作家名:笹峰霧子