認知症に遠い心の持ち方
その4
少し調子が良くなったころ、私は母に連れられて生家に戻った。毎日ほとんど寝ていたが、その内周辺の田圃で近所の幼い子と遊んだり、ピアノを弾いたりした。
翌年には何かしたくなって、まず個人の編み物教室に通いともだちが家に遊びに来るようになった。機械編のカーディガンを二日ぐらいで編んでいた。そのころ編んだ緑色のニットのスーツを母はずっと着ていたように思う。
次の年には洋裁学校、その次の年は栄養士の免許が取れる栄養学校へ二年間通った。
まだ本当の健康体ではなかったので卒業ぎりぎりの出席日数で、多分校長と親しかった母が何とか頼んで卒業したのだろうと思う。
作品名:認知症に遠い心の持ち方 作家名:笹峰霧子